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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(413)

 

 弱かろうと何だろうと、ちゃんと、坂下の拳は、綾香に当たっていた。当たりさえすれば、そこから毒が回ることはなくとも、ダメージは蓄積する。しかも、坂下の「硬さ」はダメージのみではなく、人体を破壊する。

 攻撃にも防御にも中途半端な構えから、必殺にはなりえない、小槌のような攻撃が、それでも綾香に当たる。綾香に当てることの大きさを、誰よりも理解しているのは坂下だし、それに劣ろうとも、見ている者のちゃんと理解していた。

 明らかに、綾香を押している。しかも、試合開始早々の、まだ気分が乗っていないような、油断しまくりの綾香ではなく、試合も終盤にさしかかり、完全に本気を出した綾香に対してだ。

 後になればなるほど、綾香は試合を一方的に進めて来た。どんなに強かろうが、時間が経てば、じりじりと天才に間をあけられ、起死回生で狙って出された技を、まるで知っていたかのように狙って仕留める、まさに怪物の綾香を、ただの人が、言い過ぎてもただの虎が、押している。

 しかし、それに一番驚いているのは、坂下本人だった。

 この構えも、この戦い方も、何も準備して来た訳ではない。

 確かに、坂下は綾香に対抗する為に、意識的にしろ無意識にしろ技を練って来た。だからこその拳であり、だからこその受けや交差法だ。綾香に勝つ為に考え、有効に使える技を優先的に鍛える。そうやって生まれた坂下という格闘家は、いつの間にか、一流と言っていい強さを手に入れていた。

 だから、ある意味この構えもこの戦略も、綾香を倒す為に突き詰めた結果、とも言えるかもしれない。

 空手の一撃必殺を、誰がどう言おうとあこがれている坂下が、それすら捨てて、勝つ為に坂下の身体と心が選んだ選択肢だ。

 そう、坂下は、気付いていた。綾香の弱点を。

 弱点、というほどは大きくないのかもしれない。しかし、そこだけは明らかに綾香の中で、他の部分に比べて低い。

 技、だ。

 心技体、と簡単に口に出される言葉を、坂下は真理だと思っている。体なしでは技は出ず、技なくては体を生かせず、心なくては技も体も届かない。その三つがそろって初めて、強者たりえるのだ。

 綾香の技が低い、と言えば、笑われそうだ。ラビットパンチを使いこなす人間などまずいないし、打撃だけではない、組み技でも負ける要素が見つからない綾香に向かって、技が弱いとは、例え達人でも言うのをはばかられるだろう。

 しかし、坂下は言う。どこを狙うかと言えば、技である、と。

 技とは、つまり有効に身体を使う方法であり、正しく動かせるセンスがある人間は、そうでない人間よりも、より早く、そしてよりうまく覚える。努力は何においても重要ではあるが、その努力が実を結び易い人間は、確かに存在するのだ。

 もちろん、綾香は天才であり、かつ身体能力にも非常に優れる。短い時間で、難しい技も覚えてしまう。思うように身体を動かせる人間にとって、技を覚えるというのは、そうでない人間には想像が出来ないほど簡単なことなのだ。

 だが、それならば、身体能力が優れていれば、それで強いのか?

 相性や心のことを置いて考えても、しかし、否、だ。

 世の中には、訳の分からない強さ、というものは存在する。それは、まず間違いなく、身体能力の所為ではない。

 達人と呼ばれる人間の、その多くは眉唾ものではあるが、しかし、確かに、そこには嘘ではない強者が存在する。世界ランカーのボクサーにボクシングのルールで勝てる老人だって、探せば出て来るだろう。

 それは、何か?

 技、だ。身体能力のみで覚えた技は、それで十分な効果を発揮するだろうが、しかし、その先が、技にはある。

 格闘技に、神秘的な力を信じる者がいるほどに、ときとしてその合理は非条理なものを感じさせるほどまでに成長する。どんなにセンスがあろうと、どんなに身体能力があろうと、到達できない世界は、確実にある。

 綾香の技は、そうではない。非合理を、力でねじ伏せているだけだ。その、言わば流れへの逆行が、余計に綾香の技を凶悪なものにしているのだ。不自然な投げが危険なように、不自然な技は、それだけで危険なのだ。

 しかし、どれほど危険であろうとも、逆流している以上、それを超える合理にあったとき、それはあっさりと流される。

 心に関しては、正直隙がないのは認める。振り幅はないものの、どこまでも深く潜り込む綾香の性質は、相手にとっては危険以外の何にもならない。

 体に関しては、それこそ、何の隙もない。坂下の方が拳が硬い? そんなもの、その差に比べたら、たいしたことなどない。女の身で、単純な身体能力ならば、誰にも負けることはないだろう。そう思えるほどには、常軌を逸している。

 だが、技は?

 心と体につられるようにある技には、どれほどの脅威がある?

 マスカレッドを、抵抗もさせずに投げ続ける投げや、普通はただなでるだけに終わるはずのラビットパンチを、異常なまでの威力を持って行使することを見れば、確かに技も、決して劣ってはいない。

 だが、突き抜けているのか、と言われたとき、綾香は、どう答えるだろう?

 こと技、という意味で言うのならば、チェーンソーの異能の必殺技には、綾香は遠く及ばない。

 マスカレイド最強の、無敗だった一位と比較してというのは、あまりにも厳しい評価の仕方かもしれない。しかし、坂下は、技であれば綾香を超える、というチェーンソーの必殺技を、真正面から撃破したのだ。

 綾香に勝てないのは、単純に、その逆流してくる力に負けるから。それを耐えてしまえば、おのずと、結果は見えて来る。

 そして、坂下は耐えた。今この瞬間も、綾香の逆流を押し返す。完全に流れに飲み込むには、綾香の抵抗が激しいが、しかし、綾香が坂下を押し切れないのは事実。

 坂下は、確信を持って言える。

 今、自分が綾香と対等に戦えている、ということと。

 そろそろ、来るだろう、ということを。

 坂下もこのレベルの戦いはしたことがないので、多くは言えないし、ここまで綾香を追いつめた人間を、坂下は知らない。だから、綾香が一体どこまで行けるのかは、実のところ分かっていない。これで倒せるのならば、負けてなどいない、などともうそぶけない。

 しかし、これで終わったりはしないだろう、という考えを、確信に近い気持ちで持っていた。むしろ、希望、とすら言っていいかもしれない。

 相手は、誰あろう、最強の格闘王女、来栖川綾香だ。

 このまま時間が経てば、坂下の勝ちだろうが、それを許してくれる訳はない。許す訳がない、と信じている。

 最大の逆流を持って、綾香は来るだろう。それを耐え、流し返したときに、初めて、坂下がずっと目標にして来たものが、現実味を帯びるのだ。

 綾香を倒す、という子供でも笑うような夢物語が。

 

続く

 

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