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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(414)

 

 無駄とすら言える攻撃を繰り返す綾香のスタミナは、さすがのものがある。ここまで完全に封じられているというのに、簡単には攻撃を食らわないのも、やはり綾香だからこそだろう。坂下が有利とは言え、油断は出来ない。

 しかし、徐々にではあるが、綾香の動きに、変化が見られ始めていた。

 坂下の反撃が、届かなくなって来たのだ。

 綾香が、坂下の動きについていっているのでは、ない。残念ながら、綾香は反撃を一方的に受けている。しかし、それでも坂下の攻撃が当たらないのは、実は簡単な話で、距離が開いているからだった。

 近さ、という早さを武器にして戦う坂下も、その近さが広がれば、早さを有効活用できないどころか、そもそも拳が届かない。

 だが、それは綾香にとっては良くない傾向だった。綾香が意識的にしているのか、不利を悟って無意識に行っているのかを別にしても、まずい。距離が開けば、それは攻撃が当たらないことを意味するのは、何も坂下に限ったことではなく、綾香本人も同じことなのだ。

 それを、坂下は、明らかにわざとだ、と判断した。実のところ、浩之だって葵だってそう思っていた。綾香が、ただ不利だから腰が引けている、などとは思えなかったからだ。そういう意味では、綾香を良く知っている人間にとって、それが綾香の作戦であるとしか思えなかった。

 後ろに下がることによって、坂下を前に出そうと、引きつけようとしている。そう判断するのも当然だし、それは正しかった。

 これで終わるとは、到底思えない綾香の作戦だ。意味は必ずある。坂下ですら、それに乗るべきかどうか躊躇してしまうほどに、危険だ。

 いつもの二人の力関係であれば、坂下は乗っていた。罠と分かっていても、ただ単純に戦うよりも、そういう「まぎれ」があった方が勝負がゆれるからだ。だいたい、もともと不利なのだ。どうなったところで、それ以上不利になることはない。プラスマイナスの面で言えば、不利が変わる訳でもないのだから、賭けというほど悪くはない。

 しかし、今の状況では、坂下は、あえてそれには乗らなかった。

 坂下の性格を理解していれば、乗って来ると判断する場面で、乗らない。躊躇するまでもなく、坂下の有利を、何故崩さねばならないというのだろう。綾香が何かやってくるとしても、そのチャンスを、わざわざ坂下から渡す意味などない。

 坂下は、動かなかった。しかし、そこに一瞬の思考の時間が入ったのはいかんともしがたいことであり、その瞬間を、綾香は見逃さなかった。

 坂下の攻撃圏内に、気付いたときには、綾香の右足が入り込んでいた。

 早い判断だった。坂下が押して来ないとなれば、つまり坂下の前進がそこで止まるということで、その一瞬の隙をついて、綾香は普通ならローキックで迎撃されるところまで、足を踏み込ませることに成功したのだ。

 いきなり自分の攻撃圏内に、入らせる気もなかったのに入られたとなれば、誰でもあせる。少なくとも、一瞬は自分の方が不利だからだ。

 が、それでも坂下は冷静だった。

 右足に重心、身体はまだ遠い。左脚の蹴りが本命。それだけのことを、瞬時に判断する。

 例え攻撃圏内に入られようが、坂下の両腕は、先に相手を捉えるし、相手の攻撃を簡単にさばく。近ければ近いほどまぎれは起きやすいが、そのまぎれを気にしないでいいほどに、坂下は近距離戦での十分な技を持っているのだ。

 そして、一瞬の隙で入られたとは言っても、坂下の迎撃用のローキックは、綾香の攻撃よりも早い。最終的な速さは綾香の攻撃には劣るが、今先手を取れるのは坂下の方で、それに対処する分、どうしても綾香の攻撃は遅れる。

 だいたい、ただ間合いに入ったぐらいでは、今の坂下を倒せる訳ではないのだから。

 綾香が坂下の攻撃圏内に右足を入れたとほぼ同時に、坂下は動いていた。前にある足が振りすら必要なく、膝から先の動きでローキックを放つ。これを回避する為には、綾香はどうしても後ろに下がるか、最低でも足を地面から浮かせねばならない。そうなると、もう深くに踏み込んだ意味がなくなる。

 このまま、ローキックを受けて無理矢理入ってくる可能性は? それこそ愚問だ。そのどんな攻撃にすら、今の坂下なら対処する自信があった。綾香が近づいたことよって受ける恩恵は、坂下の考える限り、まったくない。綾香はただローキックのダメージを受けるだけの結果になる。

 ヒュッ!

 坂下のローキックは、空を切っていた。綾香が、足を上げたのだ。それによって、せっかく一瞬の隙をついて中に足を入れた意味がなくなる。これで振り出しだった。

 ここからの攻撃はない。坂下は、経験から、思考すら必要としない速度でそう判断していたのだ。いくら綾香でも、前に踏み込み、そこに重心を乗せ、それを浮かせた以上、そこからの攻撃は不可能。

 しかし、坂下の身体は、その違和感に、すぐに反応していた。

 その変幻自在に動いていた腕が、素早く頭の前で十字に構え直されていた。中途半端な位置にあればこそ、そこからの両腕の変化は素早い。そういう意味では、その構えだったからこそ、両腕が間に合った、とも言える。でなければ、防御なしとまではいかなくとも、片腕でガードすることになっただろう。

 片腕でガードする、それは、必死を意味する。綾香のハイキックの前では。

 ズバシィィィィィィィィィッ!!!!!

 綾香の渾身のハイキックが、坂下の両腕による十字受けのガードの上に入っていた。

 坂下の修練による勘の域にまで達した反応でも、受け流すという行為が不可能なほどに突然繰り出された、右脚による綾香の上からたたき落とすようなハイキックを、坂下はがっちりとガードしていた。

 だが、ガードでは、綾香のハイキックの威力を消すには不十分。車をぶつけられたような衝撃が、坂下の身体には伝わっていた。しかも、それは上からだ。それで、坂下の身体は、地面に縫い止められる。

 坂下が、得意の受けを使えずに、十字受けという緊急手段を使わなければならなかった最大の理由は、ローキックの空振りだった。避けられる前提ではあったが、それでも十二分なダメージを乗せたローキックは、避けられればどうしても次の動きを阻害する。

 だが、普通ならば、それでも坂下が体勢を立て直す方が早かったはずなのだ。綾香の右足には、完全に重心が乗っていた。そこから後ろに下がれば、重心の移動で綾香はバランスを崩す。重心の移動は力を生むかわりに、時間経過と不安定さを生むのだ。ローキック一発の空振りでは、その差は埋まらない。

 埋まらない、はずなのだ。

 だが、現に坂下は、綾香の右脚のハイキックを受けるはめになっていた。そこにも疑問はあった。坂下が本命だ、と判断した左ではなく、右のハイキックが、打たれたことだ。それこそ、予測外の話。

 技の選択を変更することは出来るだろうが、どうやってあそこから右脚で攻撃出来るのか、坂下には理解出来なかった。重心の乗った脚から蹴りを出せる訳がないのだ。重心の関係が、はっきり言ってぐちゃぐちゃだった。

 そして、何より問題であり、おそらくは綾香の狙いであること。

 坂下の、その鉄壁の攻防を担っていたその両腕が、ガードにまわされ、その機能を、殺されていた。

 

続く

 

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