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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(417)

 

 片や、非効率という泥の塊の中から、砂金を取り出すかのような、中軸に構えられた、攻防「ニ」体の両腕。

 片や、地球にいながら重力という力から解放されたような、重心のフェイク。

 お互いの技を出し合った結果、勝負はまたどちらに転ぶか分からなくなっていた。全体的な話で言えば、坂下の両腕はいつでも効果を発揮する為有利だが、局地的な話になれば、綾香の重心の嘘は、坂下が手練れであればあるほど効果を発揮する上に、強い一撃にもつなげる強みがある。

 ゆえに、お互い、全力とも言える。少なくとも坂下には、もう隠しているような技はない。もともと、技を出し惜しみするようなタイプではない。この両腕での攻防も、この試合に初めて使えるようになったもので、隠していた訳ではなかった。

 しかし、綾香は、隠していた。十二分に強敵と判断し、本気を出したと言った後ですら、技を残していた。それが、二人の間の底の深さの違いであることに、綾香本人はもちろん、坂下ですら同意していた。

 奥底に、まだ何かを隠しているかもしれない。そう思わせる深さで言えば、坂下など、綾香には到底及ばない。

 お互いに技が有効過ぎて、拮抗することもなく大きく揺らいでいる状況ではあるが、天秤は僅かに綾香の方に傾いている、と言っていいだろう。才能の天秤の傾きそのままほども差がないだけ、坂下はがんばっているとも言える。

 だが、それをまるで恐れるでもなく、先に仕掛けたのは坂下の方だった。

 速さとは無縁な、しかし自然な動きで、坂下は綾香との距離を詰めた。必死に飛び込まなくとも、二人の間にある空間は、一秒も満たずに消える。そういう距離で二人は戦っているのだ。

 さらに、先に手を出したのは、坂下の方だった。

 お互いに、蹴りであれば必中の位置にまで近づいた坂下は、無造作に左の拳を綾香に突き出した。

 後の先を得意とする坂下にしては、珍しいまでのまっすぐで愚直な攻撃だった。坂下の性格はまっすぐかもしれないが、戦い方は、かわし手や受け手で隙を作り、そこを攻めるという待ち型の攻撃が多いのだ。

 それを、綾香は手本のように受け流す。坂下の拳には、当たれば人体のどこであろうと破壊する硬さがあるが、今の中途半端な位置からでは、驚異的なスピード、というものは出せない。坂下の方が使っているので誤解されそうだが、綾香だって受け流しは得意なのだ。力の流れを見極めることに優れた綾香にとってみれば、今の坂下の拳は、どこからどう力が出ているのか丸見えだし、それを受け流すことなど、酷く簡単だった。

 が、問題はその後。坂下の拳の恐ろしさは、ここからの連打にある。速さではない、近さによる打撃の連打は、中距離では綾香すら圧倒する。もともと体重の乗っていない拳は、受け流したところで体勢を崩させるのには不向き。攻略し辛いことこの上なかった。

 しかし、砂金集めというよりも錬金術のような不可思議な、そんな技が、いつまでも通じるような綾香ではなかった。

 綾香は、受け流した坂下の左腕を、つかんでいた。

 坂下の、難攻不落に思われる両腕の構えは、あっさり、それだけで打破できるような技だった。両腕が邪魔であるのならば、片方を封じてしまえばいい。先ほどは、蹴りで無理矢理封じたが、そんなことをせずとも、つかむ暇があるのならば、綾香ならばどうでもできることだった。

 片手同士であるのならば、綾香が遅れを取ることはないし、下手な攻撃をしてくれば、つかんだ腕を引っ張って体勢を崩させることなど、簡単な話だった。

 だが、攻撃は、綾香の予測していないところから、来た。

 掴まれていた腕が折れ曲がり、肘が綾香のほほに向かって打たれていたのだ。

「くっ?!」

 予測していない動きではなかった。しかし、綾香の予想は、まずは左の次には右が来ると予測していたのだ。まさかその構えの利点を使わない、さらに左の肘が来るとは思うまい。その隙を、狙われたのだ。もう一瞬遅ければ、腕を引いて体勢を崩せたのに、その機会を綾香は失った。

 綾香は、とっさに空いた手で肘を受ける。パシィッ!! と決して軽くない音が響く。当たることを無視して受けていれば、KOはなくとも、体勢は崩れていた。最初の拳をおとりにして、坂下はちゃんと仕留める技を織り込んできていた。

 両腕を受けに使った以上、空いている腕は、坂下の右だけ。だが、それを綾香はすでに予測して、肘を受けた腕の肘でたたき落とすつもりだった。拳が当たれば綾香の肘の方が負けそうだが、上からたたき落とすだけならば、綾香の肘の方が勝つ。

 しかし、その予測も、あっさりと裏切られた。危険を一瞬で察知し、綾香は後ろに飛んでいた。綾香の予測しない方に一度来たからこそ、二度目があるのでは、と綾香が疑った分、回避が間に合ったのだった。

 まわりから見たら、大げさに坂下の中途半端なローキックを避けたようにしか見えなかっただろう。しかし、実際はかなり危険な技を坂下は仕掛けて来ていた。

 足のつま先で、綾香の足の甲を打ち抜こうとしたのだ。それこそ、比喩ではなく骨も折る勢いで。坂下の身体で危険なのは、何も拳だけではない。坂下は、つま先で巻き藁を本気で蹴れるのだ。そんなつま先に打ち抜かれたら、一撃で綾香の翼は折られるだろう。

 両腕をおとりにして、見えにくい下を狙った。普通ならばひっかからないだろうが、上の攻防に細心の注意を払っていた綾香は、一瞬なりとも反応が遅れたのだ。もっと振りの大きな動きならば簡単に回避できたかもしれないが、今度はそれこそがフェイントである可能性も出てくる。

 重心のフェイクなど、使う間もなかった。それは当然だろう、そもそも、あれは遠距離での戦いでこそ真価を発揮するものなのだ。坂下は、それを一瞬で見破ったのか、あっさりと距離をつめて、不用意とも思える攻撃を仕掛けてきた。

 技の質で言えば、負けていない、それどころか勝っているとすら綾香は思っていた。両腕の攻防は難しいだろうが、重心のフェイクほど才能を必要とするとは思えなかった。しかも、試合であれば、ウレタンナックルをつけるから、打撃の威力もほとんど消える。

 最大限に、坂下の両腕の構えを有効活用できるこのルールですら、綾香の重心のフェイクの方が凄いであろうことは、疑いようがなかった。

 しかし、同時に、それでも、綾香がまだ押されていることは、事実としてあった。綾香の技の弱点を見抜いた坂下の眼力も確かにあるだろう。しかし、それだけでは説明のつかないものを、綾香は感じていた。

 そう感じれることは、流石は綾香、と言っていいだろう。並の天才ならば、何も分からないまま、無惨に負けている場面だ。

 そう、差は、あるのだ。坂下と、綾香の間には。

 覆せないほどの、決定的な、差が。

 

続く

 

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