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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(419)

 

 坂下が歓喜したとき、坂下の策にかかった、などとは、綾香は考えていなかった。

 それどころか、自分の立場が危ないところにある、とすら思っていなかった。

 現状は、綾香にとってはどう見ても良くない場所である、にも関わらず、綾香はそれを頑なに認めようとはしなかった。いや、誰の目から見ても、不利は分かっていても、認められるものではなかっただろう。

 どう見ても、綾香の方が強い。身体能力のどれを取っても、綾香の方が上なのだ。技の種類も、明らかに綾香の方が多い。器用貧乏などではなく、パーフェクトと言っても過言ではないほどに、綾香は万能だ。

 坂下が直接綾香よりも優れているのは、攻撃部位の硬さだけだ。攻撃部位の硬さは有効な手段ではあるものの、鉄製のナックルをつけても坂下には勝てないように、決定的なものではない。

 だが、押されている。

 手数を増やした攻撃を受けられるのは、驚きはすれ、大したことではない。問題は、こんな技を試さなければならないほど、坂下を攻略する方法が思い付かないことだった。

 坂下の最大の技にも見える両腕の攻防の構えは、確かに有効な技で、綾香には真似できないものだが、それも片腕をつかんでしまえば封じれる技だ。もちろん、簡単には坂下も腕をつかませてはくれないが、攻略不可能な技でもない。

 反対に、綾香の重心のフェイクは、素人には分からないかもれないが、坂下ほどの使い手になれば、これほど有効な技はない。どんな状況であろうとも、致命的な技へつなげることのできる汎用性に富んだ技だ。攻撃にも防御にも使えるが、ラビットパンチで、人がそう簡単に真似れるものではない。

 それでも、決定打を出せない。

 何が悪いのか、何が差を作っているのか、綾香には、理解出来なかった。今何とかさばけているのは、綾香のあふれるような才能で凌いでいるだけだった。

 理解できないこと、これ以上恐ろしいものが、格闘技の世界にあるだろうか?

 強い弱いの問題ではない。何をされているのか分からない、それは、最大の恐怖だ。

 何をされているのかが分かれば、打開策も浮かぶし、直接的なものはなくとも、どうにか出来るとっかかりぐらいは探せる。だが、分からないものはどうしようもない。打開策もない、理解も出来ないでは、手など打てようはずがない。

 だが、いくら考えたところで、綾香には理解出来ないのだ。それは、綾香が才能に恵まれすぎていたから、とも言える。

 その差は、技に対するスタンスの違いだ。

 綾香は、技を使う。所詮技というのは、いかに身体を有効に使うかだけの話なのだから、そのあふれる才能は、どんな技でも可能に、どんな技でも必殺にする。児戯で放たれた子供の石が、当たれば昆虫を殺してしまうような、それほどの差が、綾香と一般人との間にはあるのだ。まして、綾香のそれは必中。

 片や、坂下はそんなに器用な方ではない。技も、覚えたその日から使えるものではない。綾香が三日でやれることを、三ヶ月で出来るかどうかも分からない。

 だが、だからこそ、坂下は技を練る。届かないからこそ、高みを目指す。

 普通は、才能の方が上だ。効率の良い動きである以上、それを簡単に模倣し、さらに効率良く動く方が有利なのは当然。

 だが、どのレベルからだろうか? それは、逆転する。まるでおとぎ話に出てくる魔法のように、常識を覆す。

 誤解してはいけない。格闘技も、所詮は身体を使ったスポーツだ。それが元来人殺しに使われていたとしても、いや、だからこそ、現実的でそこに人外の理が入ることなどない。どこからどこまでも、理路整然としているものなのだ。

 それでも、格闘技に神秘的なものを求める人間は、けっこうな数がいる。実際、冷静に考えてみればバカらしい話。だが、広域的に見れば、それも間違っていないのかもしれない。神秘的、としか言い様のないものが、そこにはある。

 効率よく覚えて行く技を、ただ愚直に繰り返した技が超えるレベルが、確かにあるのだ。

 少なくとも、狭い範囲で言えば、達人は実在するのだ。世界規模の異種格闘技に出れば勝てないかもしれないが、屈強な男達に十人がかりでかかられても路上なら勝ってしまう身体の小さな老人はいる。

 今の坂下の技は、その世界に一歩足を踏み入れているのだ。いくら綾香が天才であろうとも、「技」という限定的な状況では、片足の達人相手には不利なのだ。

 それもこれも、坂下が、技を「積み重ね」て来たからこそだった。

 「使う」綾香には、到達できない世界。それが、二人の差だ。

 だが、綾香には理解できない。才能が理解を妨げる。人よりも極端に低い努力で、それでも作り上げられてしまう人よりも優れた技は、劣った者が、だからこそたどり着ける極地を理解出来ない。

 理論的な話をしてしまえば、何度も練習する結果、もっと効率の良い動きにたどり着いただけだ。どんなに身体を自由に動かせるとしても、人間には限界がある。身体を動かすというのは、理屈だけではどうしようもない部分があり、それは身体を動かすことでしか解消出来ない。

 本当ならば、坂下だって、片足とは言えそこにたどり着くのは、もっともっと時間のかかることだ。それを、坂下が置かれた状況が、そして何より綾香の存在が、加速させてしまった。

 奇跡、と言ってもいいだろう。それは、綾香にだって理解出来ないのは当然かもしれない。

 そうやって、効率を超えた坂下の技は、綾香の技を上回る。技自体の質ではない、綾香が使う技の質と、坂下の使う技の質、使い手の技の質の差、だ。その結果、綾香は、理解出来ないまま、追い込まれていた。

 道理を理解出来ないまま、それでも、綾香は現状を鑑みて、理解するしかなくなる。

 私が、不利?

 それこそ、綾香にとってはバカな話だった。綾香は、それを実にすんなりと理解した上で、鼻で笑い飛ばした。

 今の私が負けることなんて、あり得ない。

 綾香は、常識や物理法則すらねじ曲げようかと、身体を動かす。現状に満足出来ないのならば、現状を踏みつぶし、自分の都合の良いようにしてしまえばいいだけのこと。

 今まで、綾香はそうやってやってきた。出来ないことはある、だが、綾香が出来ないことは、極端に少ない。

 まして、格闘技で、今の綾香が押し通せないことは、ない。

 自分から攻めるのは、坂下相手には不利。しかし、それを忘れたかのように、綾香は、仕掛けた。

 

続く

 

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