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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(421)

 

 受け……れない?!

 二人の動きは速かったし、綾香の動きは意表を突いたものではあったが、遠くから見ている浩之には、見えるほどの速度だった。目で追えるとなれば、浩之もなかなかの目を持っている、二人の動きを把握していた。

 坂下を無理矢理宙に飛ばしたのは、綾香の何かしらのうまい攻め方があってのことなのだろうが、しかし、それだけでは、坂下を攻略出来ないのも事実。

 下からの突き上げの蹴りは、普通の相手ならば受け辛いし避け辛いのだろうが、坂下にはもう対処される程度にしか効果がない。何度も使って来た技だからこそ、両方の修練度があがっていては、受けを得意とする坂下に対しては、いまいち効果を発揮出来ないのだ。

 その程度のこと、考えてみれば、綾香が気付かない訳がなかった。もう、この試合中に何度も自分の技があっさりと受け流されるのを経験しているのだ。この技だけ、それを免れると考える甘さは、綾香にはない。

 だから、綾香は受けることの出来ない攻撃をした。

 攻撃を、しなかったのだ。

 宙にいる、身動きの取れない相手に、攻撃をしない道理はない。坂下の受けは綾香の攻撃を上回っているとしても、地面に足がついた状態と比べれば、遙かに効果は落ちる。おそらくは、ダメージを完璧に受け流す、というのは不可能だろう。

 だが、決定打にはならない。綾香はそう判断したのだ。確かに、多少はダメージを通せるかもしれない。坂下だって、ダメージは受け続けて来た。ダメージ量だけ言えば、綾香よりも遙かに大きい。坂下の方が打たれ強いとしても、差としては出る。それでも、倒すまでにはいかない。

 綾香は、結局のところ、忘れてなどいない。何もダメージを当てるのが目的ではない。相手を倒すこと、それが目標であり、それを達成しない以上、ダメージが通ったとしても、単にチャンスを消費しただけになる、と考えたのだ。

 だから、受けられるような攻撃は、出さない。

 浩之が、坂下でも受けれないと判断したのは当然のことだ。ないものは受けられない、受けられない以上、坂下は自分の技を出すことも出来ない。

 しかし、攻撃をしなければ、それはそれで意味のないこと。せっかくのチャンスをスルーしたのでは、それこそ意味がない。だから、もちろん綾香は攻撃することを前提で、その瞬間だけ攻撃を止めたのだ。

 突き上げる蹴りが来ると見せかけたフェイントも含めて、それは綾香の作戦だった。

 綾香は、床に手をついたまま、一瞬のための後に、さらに床の上で身体を回転させた。

 狙うは、着地点。

 坂下が、どれほど受けに優れていても、着地する足までは、受けに使えない。移動の方向が決まっているからだ。坂下ならば、脚で受け流すことぐらいやってのけそうだが、それも脚の動きに制限がなければ、だ。

 坂下が、その脚を達人の域まで突っ込んでいたとしても、翼は持たない。宙にあれば、後は重力に引かれて落ちるだけだ。落ちている間に、その方向を自在に動かすなど、達人とかではなく超能力者が操るような世界であり、残念ながら、坂下にはそんな能力はない。

 超低空の蹴りを、綾香は続けて繰り出したのだ。

 坂下の足が地面につく瞬間を狙った、末端に対する必殺の蹴りだ。側面から後ろにわたって、足首に打撃を入れられたら、打たれ強さなど関係ない。肉も骨もないそこは、狙い難いとは言え、立派な急所だった。

 何より、そのタイミングが、危険過ぎる。人が飛んで着地すれば、もちろん足にはかなりの衝撃がある。それを、人間の身体は生理的な構造で、神秘的な力とも言えるような衝撃吸収力を発揮して何事もなかったように処理するのだ。

 だが、そこに力がかかっているのは事実で、そこを打撃で叩けば、相乗効果にはならずとも、綾香の蹴りの衝撃は、まったく損なわれることなく、坂下の足首にかかるだろう。そうなれば、坂下の身体でも、あっさりと破壊されるだろう。

 人の身体を物理的に破壊するのに、何も坂下のような凶悪な拳を用意する必要はない。要は、それなりの威力と、後はうまいタイミング。これだけで、人の身体など、もろい泥人形のように折れる。綾香は、それを何度も行って来た。

 足首の怪我は、膝と同じほど身体を動かす者にとっては致命的になりかねないものだ。そして、綾香のそれには、一片の容赦もなかった。もともと、容赦をするような人間ではなかったが、今回のことを言えば、手加減など含める余裕は、綾香にもないのだ。

 いや、今回のことを言えば、綾香にしては、ちゃんと気を利かせた方なのかもしれない。

 綾香は、ちゃんと言ったのだ。二人が戦えば、取り返しのつかないことになるかもしれない、と。だから、棄権しろ、と。

 戦いが始まる前に、坂下に言った言葉は、挑発のようにしか聞こえないだろうが、綾香は本当にそう思っていたのだ。

 マスカレッドが、赤目が死んでいないのも、たまたまでしかない。綾香は、殺すつもりはなくとも、完全に破壊するつもりで、首を折ろうとした。もし、首を破壊されていても生き残れるのならば、確かに生き死にはしなかっただろうが、人間、首が壊れてまで生きていられる人間は、まあほとんどいないだろう。

 それに比べれば、今回は何とおとなしいことか。足首を完全に破壊したとしても、格闘技は出来なくとも、命に関わることはない。多少足の動きが悪くなっても、通常の生活を営む程度ならば、問題はないだろう。命を危険にさらすことを考えれば、温情とも言って良かった。

 いや、忠告はともかく、足首を狙うのは、流れでしかないので、温情とは言い過ぎだろう。

 完全に足首を破壊するつもりで綾香の床と水平に繰り出された蹴りは。

 ヒュンッ!!!!

 空を切った。

 坂下は、逃げれない、受けれない、と判断した瞬間に、重心を後ろに持っていったのだ。ここでの重心は、体重のかかる場所のことではなく、身体の中心のことだ。物は、自然に回転するのならば、重心を中心にする。身体が重心を中心にまわろうとするのは、例え身体が宙にあろうとも、関係のない話だ。いや、地面で止まったりしない分、顕著に結果が表れる。

 坂下の身体は、宙にあって、後ろに倒れたのだ。

 重心を中心に後ろに回転すれば、当然だが頭は下に動き、脚は上に動く。重心からの重さに変化がない以上、それは自然現象としては矛盾しない。そして、矛盾しないままに、一瞬ではあるが、足が地面につくのを遅らせる。

 一瞬遅らせることが出来れば、この場合は十分だった。綾香は、坂下の着地に合わせている。であれば、そのタイミングさえ外すことが出来れば、何の問題もない。

 こうやって、坂下の格闘家としての人生を終わらせる結果になるはずだった綾香の容赦ない蹴りを、坂下は空振りさせたのだ。

 攻撃が来ると読んだところに来ない、しかも、受けの届かない位置に攻撃を繰り出されたにも関わらず、一瞬でそれを判断して、瞬間的に回避出来たのは、やはり坂下の経験のたまものだっただろう。

 だが、問題がない訳ではなかった。

 一撃目を避ける為に、飛ぶというリスクを背負ったように、着地点を狙われる、という状態を回避する為に、坂下はリスクを背負うしかなかった。

 そもそも、翼も持っていない人間には、空中で動きを変化させるなどという芸当には、あまりにも無理があるのだ。最初からそれを狙っていても至難なのに、そこを一瞬の判断で行った坂下に、無理がなかったとは言えない。

 身体を後ろに倒すことで、坂下は避けた。しかし、そのリスクは、かなり厳しいものとなったのだ。

 緊急回避を行ったのだ。当たり前だが、先のことなど考える余裕はなかった。あったとしてもどうにもならなかった。

 坂下は、背中から、床の上に、落ちた。

 

続く

 

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