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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(424)

 

 綾香の腕は、坂下の顔を、正確には坂下の顔の横を、突き抜けていた。

 受け流すことは坂下にも出来なかった。だが、坂下は、その拳をギリギリのところでかわしていた。

 避けさせるつもりなど、綾香にはなかった。だが、避けられるかもしれない、という思いは、綾香にもあった。簡単ではなくとも、この紙一重の戦いの中で、坂下が綾香の上を行くことはあった。避けられないと思った攻撃が避けられることも、仕方ないとすら綾香は思っていた。

 そう、避けられたのは仕方ない。そして、避けられたとしても、別にそれで良かった。

 坂下が、あそこまで受けを特化させて来たのは、綾香に対抗する為である。もっと言えば、綾香のラビットパンチを封じる為だ。綾香のラビットパンチは、必殺となりうるし、避けられた後に、見えないところから飛んでくる、反則的な技ではあるが、唯一の欠点として、綾香自身が深く相手の懐に入り、拳を相手の裏まで持っていかなければならない。

 攻撃を避けられた後に必殺の技が出せるのだから、それを弱点とは呼べないのかもしれない。しかし、それが綾香のラビットパンチを効率良く封じることのできるとっかかりになるのも、事実なのだ。

 綾香に、ラビットパンチに派生する為のパンチを打たせない。その為の受けである。後頭部に届きさえしなければ、何も恐れることはない。

 そして、だからこそ、この状況は、どちらにとっても、致命的な位置だった。

 綾香の拳は、坂下の後頭部が届く位置にあり、綾香はラビットパンチを打てる体勢にいた。

 ボクシングや他の打撃格闘技のほぼ全てで禁じ手となっているラビットパンチ、後頭部への打撃は、だからこそ強力。坂下は、それでも一発は耐えたが、さて、二発目も受けても立っていられるかどうか。

 もちろん、綾香は、もう立つことを許すつもりはなかった。この一発で、決めるつもりだ。

 と同時に、坂下は、一度そのラビットパンチ自身を受け流そうとした。

 元来、ラビットパンチは威力もさることながら、見えない後ろから襲って来るという、防御も回避も不可能に近いという利点を持っている。綾香の技の中でも、一つ抜けて効果が高いのは伊達ではない。

 だが、坂下は、失敗したとは言え、一度はそのラビットパンチを受け流そうとしていた。見えない位置の打撃を受け流せる訳がない、と思う反面、受けを取ろうとした坂下のそれが、格好だけではない、とも思っていた。

 こんな体勢から打つ打撃に、普通なら威力などなく、ただ危険な部位を攻撃する、という程度の効果しかないのだろうが、綾香のラビットパンチはその点から違う。打撃としても、高い威力を、その身体能力から絞り出すのだ。だが、その威力を持ってしても、坂下に受けられてしまっては、効果を失う。

 真っ正面から、ラビットパンチは真後ろからだが、狙っても仕留められない。それは、綾香の直感が導き出した答えだった。そんな答えを出さなければならないほどに、坂下が綾香を追いつめた、とも言える。

 その答えの一つが、片方をフェイントに使ったラビットパンチだ。坂下に受けさせないだけの効果を、一度は発揮した。だが、二度目があるか、と言われると、微妙、いや、ないと断言してもいいだろう。そんな甘いことを、今の坂下は許してくれそうになかった。

 それでも、ここまで持って来た以上、綾香に、攻撃しない、という選択肢はない。

 ラビットパンチは、このまま放つ。

 しかし、それだけでは、受け流される、と綾香は確信していた。綾香の代名詞とも言えるラビットパンチだが、それでも、今の坂下には、ここまで綾香を追いつめるほどの坂下相手には、甘い。

 もう一つ、綾香はここから出せる技を持っている。後ろから来ると思わせたその瞬間に前から繰り出されるパンチ、ラビットカウンターだ。

 だから、それも放つ。

 一つでは、届かないかもしれない。しかし、違う方向から、二つが来たら、どうだ?

 左右でもない、上下でもない。一人では現実など不可能なはずの、前後からの連携。

 もともと、人間は二つのことに対処するようには出来ていない。一対一ならともかく、一対二になれば、もうそれで戦いは破綻する。ましてや、それが前後から連携して来た場合、例え達人であったとしても、一体どれほど対処できるだろうか。

 ここに来て、綾香の技は、また一段レベルアップした、と言っていいだろう。技というのは、結局どれほど相手に対応されないかでその技の効果が変わって来るのだ。そういう意味で、綾香の前後のコンビネーションは、これ以上ないほどに、対処し辛い。

 前に突き出された右腕で、相手の後頭部を強く叩く為に、右脚が後ろに素早く引かれる。その引かれた速度を持ってラビットパンチは、そんな状態からは理解出来ないスピードを生む。引きつける力によって生まれる、打撃。

 下にためられた左腕を突き上げる為に、左脚のバネを全開にして伸ばす。その左半身全体で突き上げるような動きが、ラビットカウンターを綾香なりの崩拳の理解によって生まれた身体の瞬発力を限界まで使用したアッパーにする。

 そのどちらも、一発で勝敗の決する威力を持つ、文字通り必殺技。それを、これほどまでに防御も回避も困難な、前後のコンビネーションとして繰り出す。

 兎咬み、とでも言えばいいだろうか。天才の、最強の名に恥じない技。

 その技を。

 見えていないはずなのに、まるでそこに目があるかのように、綾香のラビットパンチを、坂下は左の掌で受ける。綾香が、初めて体験する、「ラビットパンチをガードされる」という状況。それがある、と直感で感じ取り、それに対抗する為の手段を実行して来た綾香にとっても、信じられない状況。

 だが、綾香のラビットパンチは、それだけではない。片手でのガードぐらい、たたき壊すほどの威力が、その不安定な打撃にはあるのだ。

 同時に。

 ラビットパンチという、回避も防御もまず不可能の技をガードしたにも関わらず、ありえないはずの前後のコンビネーションを、まるで十分に準備も経験もしたかのように、綾香の瞬発力の全てを込めたラビットカウンターを、右の掌で受ける。この攻撃が、まさかガードされるなどというのは、綾香の予測にも直感にもなかった。コンビネーションの性質上、そんなものは、ありえないはずだったのだから。

 だが、綾香の瞬発力、つまり「才能」が作り出したアッパーは、葵の崩拳を綾香なりに理解した結果生まれた打撃であり、その威力は、片手でガードするなど、まったくの無意味でしかないほどの威力を持つ。

 真っ向から、坂下は、受けた。

 そして、坂下の神技は、解放される。

 坂下は、綾香の打撃の威力を吸い込み、その場で半身の身体を回転させていた。その遠心力と、坂下の下から上に向けた力によって、坂下の掌にある綾香の拳は。

 パァァァァァァァンッ!!!!

 弾けるような音を立てて、上に、跳ね除けられた。

 後に残るのは、完全に脇が浮いてしまった綾香と、綾香の技の威力を吸収し、その力を解放しようとする、坂下の姿だった。

 

続く

 

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