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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(425)

 

 もとより、坂下は、立ち上がった場面では、攻撃の意志はなかった。

 それは、もちろん坂下にとっても賭けではあった。

 綾香は、確かに坂下の動きを上回って、最大限のチャンスを生み出していたのだ。ここで、下手な行動は、自分の首を絞めるだけだっただろう。

 だからこそ、賭けたのだ。綾香が、坂下の脚をつかんでおくことを躊躇なく捨てて、回避して攻撃に移ったように。

 坂下は、攻撃を捨て、両腕を、守る為だけに動かしていた。もちろん、賭けだ。それでも間に合うかどうかは怪しかったし、何より、綾香の攻撃が坂下の知覚を凌駕すれば、もう目も当てられない。

 だが、坂下は、賭けに勝った。感じることが、出来た。

 綾香の、非常識にもほどがある前後のコンビネーションを、坂下は、見ずとも感じ取れていた。チェーンソーに、異能の必殺技を繰り出されたときと一緒だった。

 感じ取れたのならば、何も恐れることはない。チェーンソーと戦ったときの坂下には、その自信がなかった。昔よりは成長したが、感じ取れるまでが限界かもしれないと思っていた。それは、経験がなかったからだ。

 今は、違う。

 チェーンソーの異能の必殺技を感じ、それを受け流した。あまつさえ、その力を自分の拳に乗せて打ち返した。代償として、腕に大きな傷を負ったが、結果から言えば、上出来過ぎた。何より、あれほどの技であっても感じられることと、技を感じ取ることさえ出来れば、受け流せる自信が生まれたことは、大きい。

 だから、綾香の前後のコンビネーションであっても、感じることが出来た時点で、もう、怖くなどなかった。

 意識する必要すらなかった。坂下としては、自然に、綾香のラビットパンチとラビットカウンターの両方に、まるで吸い付くように掌が張り付いた。だけでは、綾香の打撃の威力は殺せなかっただろう。しかし、その難解なものも、今の坂下には、やはり簡単とすら言っていいことだった。

 綾香の打撃の力を吸い込んで、坂下の身体はその場で回転し、そして、綾香にその力を流し返した。

 綾香の渾身の前後のコンビネーションを、坂下は完全に上に向かって、受け流した。

 坂下が入れた力は、上に少し方向をずらすための力、それだけだった。

 流石は、綾香の打撃。受け流した結果、綾香の打撃の力は、綾香自身に跳ね返り、両腕が、上に向かってはじかれた。ただはじかれるだけならば良かっただろうが、脇が開き、完全に体勢が崩れていた。脇が開くというのは、非常にまずい状況だ。それだけで、腕が戻る時間が、ほんの少しの間だけでも、違う。

 ここで、そのほんの少しは、致命的過ぎた。

 坂下の目に、驚愕に目を見開き、自分に隙だらけの身体をさらしている綾香の姿が写る。今ならば、おそらくどこを叩いても届くだろう。

 今の綾香の状態では、腕は使い物にならないし、それどころか蹴りですら出せない。綾香自身の打撃の強すぎた力が、綾香の身体を上に跳ね上げた。今の綾香は、陸に揚げられた魚のようなものだ。

 それでも、腐っても揚げられても、綾香は綾香だった。

 自身の非常識な打撃の威力を腕に流され返されたにも関わらず、それでも腕力でなのか、それとも根性でなのか、無理矢理身体に引きつけて、ガードしようとしている。脚は、動かせるような状況でもないのに、坂下に蹴りを入れる為に、いつもとは比較にならないぐらい緩慢な動きではあるが、動いていた。

 そして、綾香があがく様を、坂下はまるでスローモーションのように感じていた。

 坂下の身体の回転は、綾香に流し返しても、まだ殺し切れていない。そして、それはそのまま、坂下の打撃の力となる。神技、とも言える、相手の力を自分の力へと転化する、受けの集大成。

 その坂下を持ってしても、制御しきれないほどの打撃の威力が、綾香の技にはあった。だから、流し返しても、まだ残っている、その力も、坂下では十分に扱いきれない。その分、僅かながら、最速のスピードからは劣っていた。

 その間に、すでに綾香の腕は、顔面をガードするまでに降りてきている。脚も、もう膝は持ち上げられて、すぐにでも前蹴りが飛んで来そうだった。流し返した力を考えれば、それこそ非常識な話だ。

 綾香は、やはり非常識、としか言い様がない。こんな相手を倒そうと、よくもまあ自分で考えたものだ、と坂下は、まさに自身のことながら、呆れるばかりだった。

 まあ、どんなに綾香が非常識であろうとも。

 もう、それ以上は間に合いなど、しなかった。

 ズッ

 綾香の出来た抵抗は、そこまでだった。そこまでで、坂下の拳は、ガードも間に合わない、蹴りも放てなかった綾香の鳩尾に、吸い込まれていた。

 ドンッ!!!!

 上に跳ね上げられて浮いていた綾香の身体は、何の抵抗も出来ないまま、坂下の正拳突きの威力で、後ろに跳ね飛ばされた。

 しかし、その跳ね飛ばされ方も、いつもの綾香の軽やかなものでは、なかった。

 衝撃を逃がす為に、後ろに飛んだときの軽いものではない。身体に入りきらなかった衝撃が、仕方なく身体を飛ばすことでその威力を消費するときに起こる、無理矢理動かすような、鈍く重い動き。

 筋肉と骨の間、覆いきれなかった急所に、坂下の凶器以上の拳が、入り込んだ。

「か……はっ……」

 綾香の口から、聞いたこともないような声にならない吐息が漏れる。鳩尾を強打されれば、息が詰まる。人間は、それだけで動きが止まるのだ。

 鳩尾から腕を引き抜くと、坂下は、素早く一歩後ろに下がった。

 人体急所に、綾香の打撃の威力を吸収し、金属とも打ち合える硬さを持つ拳の一撃。

 それでも、坂下は、綾香を倒せるとは思っていなかった。もう、それは信仰にすら近い、盲信とすら言えるものだったかもしれない。

 しかし、確かに、綾香は、鳩尾に一撃を受けたにもかかわらず、まだ、倒れていなかった。それどころか、息が詰まって動けないはずの身体を動かして、一歩下がった坂下に向かって、拳を突き出そうとしていた。

 これぐらいで、私が負けるとでも!!

 綾香の目が、そう坂下を睨み付けていた。不屈の闘志、その前では、坂下の意志すら、かすむほどだ。

 この程度で、綾香が倒せるとは、思ってなど、ない!!

 綾香のパンチが、繰り出される。こここの場に来てすら、スピードの衰えない右ストレート。

 シュバッ!!

 坂下は、片手でその方向を少し変えて、受け流し。

 ゴッ

 

 右の拳を、綾香の顔面に、叩き付け。その後は、音にならなかった。音をかき消すような、衝撃を持って、坂下は、そのまま綾香の頭を、打ち抜いた。

 

続く

 

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