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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(429)

 

 はじかれてしびれる腕を、坂下はプラプラと振った。

 下手な受け方をすれば、腕ごと持っていかれそうな威力があった。並の威力ならば、風に吹かれる笹ように柔軟に威力を殺すことの出来る坂下でも、ダメージを後に残さないようにするのがやっとだ。

 だが、もとより、先ほどの動きは受け流す為のものではなかった。わざと綾香の攻撃に、片腕をさらしたのだ。片腕でも、受けてみれば、その威力は測れる。先ほどの不意打ちのような状態でないのならば、相手の力量を測ることも可能だ。

 受けるにしても、どれほどの威力か理解していなければ、どうしようもない。多少危険はあるものの、飲み込める程度のものだ。少なくとも、すでに虫の息のはずなのに、坂下の受けが通用しない本人に比べれば、余裕を持って受けるなど、恐れるにも値しない。

 これは、まともに受けたら駄目みたいね。

 真正面から「受け切る」ことによって、坂下は強敵を打ち倒して来た。それは坂下の受けが凄いという部分も多いにあるが、別に理にかなっているものでもあるのだ。

 打撃は、実力が拮抗すれば、先手よりも後手の方が有利になる。どんなに威力を持っていようと、どんなにスピードを出そうと、武という技術の前では、等しく、それは弱いものだ。そして、攻撃はどうしても隙を生む。

 先手で出すのならば、相手に反撃の隙を与えないほどに押し切るか、一方的に攻撃出来る位置にいなければならない。

 つまり、相手が一方的に攻撃出来る状態ではなくしてしまえば、後手の方が有利。坂下は、それを自分の受けで実現した。連打も、リーチも、当たる先から受け流され、バランスを崩されたのでは、意味がない。

 まして、坂下の受けは、チェーンソーの異能の必殺技すら受け流すのだ。それが出来ること自体が理の外という話もあるが、出来るのならば、なるほど、坂下の「決め方」は結果としては妥当だ。

 その受けを、坂下は今回ばかりは、使えないかも、と考えているのだ。

 受けても、ダメージが残る。これが非常にまずい。いや、ただ単にダメージが残るだけならばいい。直撃するよりは、よほど受けるダメージは減るし、それで相手を崩せるのならば、相対的に見れば受けた方がいい。

 だがそれも、今回に限って言えば無理だ。受けるそばから、大きく後ろにはじかれたのでは、崩そうが何をしようが、坂下の攻撃は届かない。届かなければ、ダメージの受け損だ。一撃では倒れずとも、たまっていけば、その内坂下の身体が限界を超えるだろう。

 もう一つ、坂下は懸念していることがあった。単純に、受けられるか、ということだ。

 綾香のスピードは、ギアが上がるように、少しずつ、いや、劇的に速くなって来ている。このままスピードが上がり続けていけば、いつか坂下でも受けることが、完璧な受けが出来ない、という意味ではなく、受けが完全に失敗するという意味で、出来なくなるだろう。

 まあ、常識的に考えたら、そんなことはないんだけど……

 綾香のトップスピードに、坂下は対応出来ていた。今のところ、坂下が反応出来ない動きをする人間はいない。

 規則正しい荒い息、という矛盾を抱えたままで、綾香は、懲りずに坂下に向かって、身体を引きずるように動き出す。倒れる前の、綾香の言う本気に比べれば、何とのろまな動きだろうか。スピードだけではない、相手に動きを読ませない予備動作のなさも、すでに意味をなくし、分かりやすい、読みやすい動きになっている。

 坂下は、綾香のその動きにじれたかのように、自分から綾香に飛び込む。飛び込むと言っても、その間合いは、坂下の拳よりも、遙かに遠い。

 守りが駄目であれば攻め、教科書通りの行動だった。だが、だからこそ、勇気のいる行動だ。今の綾香の動きが読みやすいように、予測される攻撃というのは、出す方に一方的に不利だ。

 だが、坂下は出すと決めたら迷わなかった。予備動作もほとんどない、しかし、腰が綺麗に回転し、まるで小さな竜巻のような坂下の身体から繰り出されたミドルキックは、それ一つで、色々なものを全部吹き飛ばして坂下を勝たせそうなほどに、研ぎ澄まされながらも、力強い一撃だった。

 必殺の右中段回し蹴り。坂下の中でも、「破壊力」でこそ拳に劣るが、「威力」という面で言えば、一番と言ってもいい技だ。

 ガシィィィィィィィッ!!!!

 オゥ、とも、ヒィとも、何とも表現のし辛い悲鳴に似た声が、惚けていた、そして我を取り戻して、震えていた観客達から、小さくはき出される。

 綾香の両の細腕が、坂下のミドルキックの斜線上を遮り、その立てた腕で、坂下のミドルキックは止められていた。坂下の脚は、その場にとどまることなく、はじかれたように坂下の元に戻る。いや、実際にはじかれたのだ。

 まともに衝撃を跳ね返された坂下の身体が、後ろに流れる。そこに、綾香は拳を振り回して来た。

 ブンッ!!

 坂下は、身体を無理矢理スウェイさせてそれを避ける。どちらかと言えば間の抜けた音をたてて、あっさりと綾香のパンチは外れた。

 もう防御する力はのこってないかと思ってたんだけど……まさか、回し蹴りがはじかれるとはねえ。

 坂下の全身の力のこもった中段回し蹴りだ。まともに防御などしようものなら、腕の骨ごと折る自信があった。実際、坂下の頑丈な身体と合わされば、それは何も難しいことでもなかったのだが、それがまさか、真正面から防御されて、あまつさえはじかれるとは。

 しかも、その後に先に攻撃したのは、綾香の方であった。つまり、坂下の中段回し蹴りを防御しても、揺るがなかった、ということだ。

 坂下の脛と、綾香の腕、堅いのは当然坂下の脛であろうが、綾香の防御は、まるでそれ自信が攻撃であるかのように、威力があった。それと真正面からぶつかった結果、威力負けした坂下の打撃がはじかれたのだ。

 まあ、坂下も本気で倒すつもりでは出していたものの、綾香のその後の攻撃は動き自体はお粗末であったし、何より、予測出来る場合は、そう怖くなかった。

 自分の渾身のミドルキックがはじかれる、という状況が、坂下の予測の中には、あったのだ。

 常識的、ねえ。

 このまま、綾香のスピードが増し続ける、そんなことは常識を考えればあり得ない。というよりも、綾香の最速まで戻ることすらないだろう。坂下の、人を破壊した手応えは本物だ。この事実がある以上、綾香は、先ほどよりも弱い。

 だが、本気と言い張る綾香でも、坂下のミドルキックを真正面からはじく、などということは、どれほど来る方向が分かっていても、出来なかった。

 怪物、怪物と何度も思って来た相手だったが、ここまでとは、正直坂下でも思っていなかった。こんな怪物相手では、常識など、いかほどの意味もない。

 これ以上に、綾香はスピードを上げてくるだろう。ここからさらに威力も上がるかもしれない。この後、どんなことがあっても、坂下は驚かない。目の前にあるものの可能性は、すでに坂下の理解を超えているのだ。理解しようとする方が無理だ。

 観客達の悲鳴も、坂下には分かる。おそらくは、その怪物に、人の身で抵抗した者が、希望を断たれる姿を見たのだ。決死の覚悟で攻撃しても、怪物には傷一つつけられなかった。それが必死であればあるほど、絶望は大きい。

 ならば、こうやって平気で立っている自分は、何なのだろうか?

 恐怖で身がすくんでいるような気もするし、絶望が脚を止めているような気もする。そうなっても、恥ずかしくない相手だ。

 というより、この怪物相手には、誰だってそうなるだろう。倒れる前の綾香本人ですら、そうであるはずだ。

 抵抗など、根こそぎ刈り取られ、希望など、そこに存在しないというのに。

 今の綾香を、坂下は理解は出来なくとも、受け入れている。その、綾香を倒す、という夢を潰えさせる存在を、坂下は現存するものとして受け入れているのに。

 まだ、坂下は立っている。

 恐怖を打ち倒すのでもなく、悟るのでもなく、ただ、まるで選択肢がそれしかないかのように。

 希望の生まれないこの状況でも、坂下は、何故か、元気だった。

 

続く

 

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