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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(432)

 

 人と人の衝突する様では、それはなかった。

 攻撃した方と、防御した方、その両方が、強風にあおられた木の葉のようにきりもみしながら、宙と飛んでいた。

 一般人ならば、そのまま床に叩き付けられて終わっていただろう。しかし、この二人は、一般人ではない。片方は人間であるかどうかすらも怪しい。宙で回転しながらも体勢を整え、華麗とは言わないまでも、足から不時着する。

 しかし、足をついても消しきれなかった勢いが、二人を試合場の中央から、金網ぎりぎりまで引きずった。坂下のそれは、自分で勢いを殺す為の動きであったが、綾香の方はどうであったのだろうか。

 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!

 今まで、その異様さと、少しずつ姿を見せる恐怖に声を殺していた観客達の、興奮した歓声が、戻ってくる。

 何がどうなったのか、さっぱり分からなかったが、とにかく、ただ坂下が吹き飛ぶだけのはずの攻防が、両方吹き飛ぶ結果になったことに、ただただ興奮しているのだ。しかし、本当の意味で分かっている者から見れば、驚きで、歓声すら思い付かない。

 そして、興奮していると言えば、もう、それこそ身動きすら取れないほどに、興奮していた。

 とど……いた?

 綾香が跳ね飛んだのは、綾香の意志ではない、坂下のしたことだ。それは間違いない。今の綾香の頭の中に、思考という部分が残っているかどうかは分からないが、それでも、まさか自分から意味もなく跳ね飛ぶ、というのは考えられない。

 浩之ならば、先ほどの一撃を受ければ、どんなにシミュレートしても、終わっていた。受けることはもちろん、反応すら出来ずに、あっさりと金網まで跳ね飛ばされ、同時に意識から手を放していただろう。

 その点で言えば、今見ている、綾香の強さを、本当の意味で理解している者ならば、大なり小なりはあれども、そう大きくは変わらない。葵や初鹿ならば、少しは持つかも、いや、それもかなわないだろう。今坂下が立っているのは、受け、という相性の良い技を、坂下が今まで練ってきたからに他ならない。

 ただただ怪物の力で押す綾香に対しては、坂下は非常に相性が良い。だが、それもたかが相性程度の話だ。

 今の綾香に、そんな理は通用しない。耐えられる時間が伸びることはあっても、それだけでしかない。一矢報いることすら不可能だ。だからこそ、浩之も葵も、「綾香を倒す」という希望を持っていたからこそ、絶望したのだ。

 だが、目の前で、坂下は、その綾香に対して、一矢報いて見せた。浩之にも、おそらくは見ている者誰にも、一体何があって、どうやって綾香を吹き飛ばしたのか、葵も初鹿も理解していないだろう。それでも、事実として、綾香は跳ね飛んでいた。

 坂下も、無傷、とは言えない。おそらくは、先ほど受けていたのと同じように、それなりのダメージの蓄積はあっただろう。しかし、受けるばかりではない、今の綾香相手に返した、その意味は、計り知れないほど、大きい。

 三眼、それは、すでに人間の領域ではないのだ。一度目よりも二度目の方が、それを浩之に強く印象付ける。なのに、坂下は、反撃したのだ。

 浩之は、言ってみれば、感動していた。綾香が自分の手以外によって負けるかもしれない、という思いは、完全に封印されている。坂下が一矢報いたことで、希望を得はしたが、しかし、だからと言って、坂下が勝てるとは、まったく思っていなかった。

 浩之にとってみれば、一条の希望でもあればいいのだ。どうせ、今は絶対に不可能なことであり、浩之だって、今すぐにそれをどうこうしようなどとは思っていない。だが、それに希望が持てると持てないのとでは、大きく、違う。

 この浩之の思いを坂下が聞けば、何をわがままなことを、と思っただろう。坂下が一矢報いたのは、浩之の為でも葵の為でもないのだ。

 というよりも、一矢報いたことすら、坂下にしてみれば、どうでもよかった。浩之達が自分のことばかり考えているのと同じように、坂下も、自分のことだけを考えていたのだ。

 つまりは、綾香にどうやって勝つか、だ。

 とりあえず、綾香を跳ね飛ばした坂下の思いは、やはり、だった。

 坂下は、そんなに特殊なことはしていない。今の綾香の攻撃を受けること自体が特殊だと言われると返す言葉もないが、いつも坂下がやっていることと、そうは変わらない動きをしただけだった。動き自体は目を見張るものがあったとしても、行為自体は実に単純。

 受け流した。それだけだった。

 もう言う必要すらない話だが、受けというのは、相手の攻撃を無効化する。

 どんなに頑丈な人間でも、真正面から攻撃されてしまっては、そう時間をかけずに破壊される。人の身体というものは、不自由に堅く、不自由に壊れやすいのだ。

 だから、相手の攻撃の方向をずらす。力の方向さえずれてしまえば、人が素手で行う打撃など、ほぼ全ての威力を殺される。

 そして、受けの二つ目の効果、相手のバランスを、崩す。

 攻撃にかかる力を、相手が狙った方向とは違う方に向ける。それだけで、人のバランスは簡単に崩れる。どんなに鍛えても、バランスの崩れた状態からは攻撃も防御も不可能、まではいかなくとも、難しくあり、少なくとも万全な状態から考えると、かなり性能が落ちる。

 さらに、坂下はその先、相手の勢いを飲み込んで反転させる、神技とも呼べる技を使えるようになっているが、それは受けの本質とは、多少離れている。

 ここで坂下が使ったのは、二つ目の効果だ。綾香の攻撃は、バランスを崩す隙間がないほどの威力を持っているが、そこに、坂下は指一本ほど、無理矢理に自分の力をねじ込んだ。繊細な受けの中に、力任せのものを入れた結果、坂下は受けの成功度をさらに落とすことになる。

 だが、ほんの少しだけ、綾香のバランスを崩すのに成功したのだ。ただ、それだけなのだ。

 それだけで、綾香の身体は、レベルの低い受けしか出来なかった坂下と同じぐらいに跳ね飛んでいた。それが、坂下が戦える、何よりの実証だった。

 今の綾香は、どうしようもなく強い。強さだけで言えば、私の勝てる要素など、ないだろう。

 坂下は、自虐にも似たようなことを考えながらも、にぃ、と不適に笑う。

 だが、勝敗は、強い弱いだけで決するものでは、ない。

 ここまでの暴力的な、一方的な強さを前にしても、坂下は、そう思っていた。声に出して言えと言われれば、誰にもはばかることなく、言い切っていただろう。

 はっきりと、坂下は持っていた。その、増長にも似た、思いを。

 戦う手は、ある。

 

続く

 

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