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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(434)

 

 完璧に受け流してさえ、なかなか攻撃を当てさせなかった、しかもそのときよりも確実におかしくなっている綾香に拳を当てる。言うは易し、行うは難し、だ。

 誰もが不可能だと思うだろう。だが、坂下には勝算が十分にあった。

 不格好に動き出す綾香を見ても、坂下としては危機感を感じなかった。確かに、受ければ坂下にも無視出来ないダメージが当たる。

 だが、だからと言って避けるのは論外。すでに回避出来るスピードは優に超えている。受け流すのは、それしか出来ないという苦肉な部分もあるのだ。ただ、回避出来たとしても、坂下はその手段を選ばなかっただろう。

 受け流せば、綾香にも同程度、いや、やや坂下の方が不利なダメージを受けるとして。それは坂下にとって不利なことなのだろうか?

 坂下は、否、と思っていた。

 どれほどのダメージを受けたならば、坂下の身体が動かなくなるか。それは分からないが、今の坂下は、ダメージ程度では止まらない。例え自分の限界を超えたとしても、気力で何とかするつもりだった。問題は、意識を刈られる一撃か、後が続かなくなる一撃だ。

 部位を動かなくなるまで破壊されるか、頭部に脳震盪を起こさせる一撃。坂下が倒れて決着が着くのは、この二つだけだ。

 頭部の一撃は言うまでもない。さすがの坂下も、意識がなければ戦えない。いや、今の綾香のように、意識があるのかないのか分からない状況でも、それなりに身体は動くのかもしれないが、そうなってしまっては、もう坂下の受けは使えなくなる。それで終わりだ。

 だが、これはあまり恐れるほどのものではない。坂下の意識がある限り、どんなにスピードがあろうとも、坂下の頭部を狙うのは、今の綾香には不可能。

 単発の攻撃では、坂下は受けを失敗することはない。坂下の意表を突いた上で、コンビネーションを駆使してやっと、坂下に手が届くかもしれないのだが、今の綾香には、コンビネーションは期待出来ない。相性という意味では、やはり坂下は綾香の天敵であるのだ。

 むしろ、怖いのは部位を破壊されることだ。今の綾香の攻撃力は、人間の域を超えている。まともに受ければ、ガードした腕が折られるかもしれない。下手に脚に受ければ、一撃で脚の骨を破壊されかねない。

 だから、坂下は細心の注意を払って受ける。ダメージは残るが、一部分にさえダメージが偏らなければ、部位を破壊されることはない。

 そして、綾香の方は、どうだ?

 坂下の一撃を受けて立っているのは、凄いことだ。そこは素直に賞賛すべき部分、いや、驚嘆すべき部分だが。

 ダメージは、もう抜けた?

 そんなバカな。綾香が怪物であることはもう十二分に理解したが、だからと言って、坂下は自分の拳が作り出したものを信じられなくなるようなことはなかった。自分に対する自信は、綾香にすら劣らない。

 綾香にはちゃんと拳は当たった。そして、壊した。

 坂下と綾香、どちらがダメージを多く受けているか。比べるまでもなく、綾香の方だ。同じほどのダメージを与え合ったとしても、先に限界に達するのは、綾香の方。

 と、素直に信じられるのならば、どれほど楽なのだろうか。

 疑っている訳ではない。その自信はある。綾香を、坂下は確実に破壊した。しかし、それでも綾香は立って、怪物として坂下の前に立ちはだかる。

 だから、この拳で、もう一度、破壊する。お互い受け合ったダメージでは、足りないかもしれないから。この怪物を倒すには、それでは足りないかもしれないから。

 ぐんっ、と坂下の身体がまるで何か違う動力で動いているかのように、前に出る。その姿は、待つことなど目的としない、先の先を狙った先手必勝の動きだった。これで先手を取れないのは、リーチのある武器を持った人間か、非常に高いレベルで動きを予測して待ちかまえられるほどの使い手だけだろう。マスカレイドで綾香を除けば、おそらくはチェーンソーにしか出来ない。綾香だって、そんなことをするぐらいなら、後の先を取った方が楽だと思うような前進だった。

 しかし、それに綾香は、本当に何の準備もなく、飛び後ろ回し蹴りを繰り出してきた。

 目にも止まらない、とはこのことだった。そもそも飛び回し蹴り自体、モーションの大きい攻撃のはずなのに、いつ構えて、いつ繰り出されたのか、誰の目にも、坂下の目にすら写らなかった。

 それは、合わせる、などというお上品なものではなかった。ただ坂下がその距離に入って来たから、いや、無理矢理坂下を自分の間合いにはめ込んで、真っ直ぐに、ただしまるで攻撃から当たるまでの時間を短縮したかのように、坂下に踵が触れていた。

 同時に、ぐるんっ、とお互いの身体が、その場で大きく回転し。

 ゴッ!!!!!

 まるで映画のワンシーン、もちろんワイヤーアクションではなくCG映像の方だ、みたいにきりもみしながら、お互いに跳ね飛んだ。

 さらにスピードが上がった、というかすでに瞬間移動の域にまで達しているように見える綾香の攻撃は、しかし、まるでそこに来ることが分かっていた、いや、綾香がわざと当てているのでは、と思うほど正確に坂下の掌の中に吸い込まれ、受け流された。ただ、ここまで派手に人が吹き飛ぶのが、受けと呼ばれるのなら、の話だが。

 だんっ、と坂下は華麗とはほど遠い、ギリギリのところで着地しながらも、瞬間、綾香に向かって走り込んでいた。先ほどの達人がかった動きとはうってかわって人間くさい、洗練されていない動きだったが、しかし、速い。

 反対に、べちゃり、と力なく床に落ちるように着地した、と言っていいのかどうかも分からない綾香の動きは、精彩に欠けていた。そして、その格好を、まさか坂下の動きに対応出来るとは誰も言うまい。

 当然のこと、今の綾香からは、坂下に対処しよう、などという意識は感じられない。

 それは、坂下にとっては有利なことだ。その一瞬よりもよほど大きな隙を狙って、坂下は躊躇なく綾香に突っ込んでいた。これほどに跳ね飛ばされても、こちらから攻撃をすることが出来なくとも、坂下の心は折れようがない。

 だから、綾香はまるでその一番折れにくい場所を折ることのみを考えたように。もっと言えば、つまりは坂下を折ることなど考えの縁にもないかのように。

 ほとんど倒れたような状態から、低い位置に、やはり回し蹴りを繰り出していた。水面蹴りと言うよりは、地面を這うような蹴りを坂下が受けなかったように、下への攻撃は、受けるには非常に難しい。

 だが、今の坂下にとってみれば、至難の技も、当然のように、行う。地面すれすれに伸ばされた坂下の手が、綾香の蹴りを、受ける。

 ドンッ、と受けた衝撃が、身体をバラバラにするのでは、と思うほどに、重く、坂下の身体に伝わる。

「うっ……」

 だが、言ったように、今の綾香を倒すには、意識を刈るか、部位を破壊する以外なく。この攻撃では、そのどちらもかなわない。

「あああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 坂下は、気合いの声と同時に、綾香を上に向かって、ほんの僅かに、動かした。それだけで十分、綾香の身体は、自分でも制御仕切れないパワーによって、上に跳ね飛ばされる。と同時に、同じだけの力で、綾香は下に向かって跳ね飛ばされる。

 ただ、下へは、飛べない。その衝撃は、坂下の身体に、直接降りかかる。直撃するよりは、遙かに小さい力だが、しかし、受けを成功させたにしては、酷すぎるダメージを、坂下は、あえて、受けた。

 反撃の、為に。

 

続く

 

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