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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(435)

 

 綾香は、上に。坂下は、下に、行けずに、衝撃を身体で受け止める。

 そのまま受けたのでは、ダメージが大きすぎる。それを、身体全体をクッションにして、僅かでも消しながら、ギリギリのところで、坂下は衝撃を受け止めていた。

 確かに、これ以外の方向に受けるには無理があった。綾香の放った回し蹴りの高さはあまりにも低く、並ではない格闘家であろうとも、避けることは出来ても、受けることは出来なかっただろう。そして、避けるには、あまりにも今の綾香の打撃は速すぎた。

 それを受けただけでも、十分坂下の腕を褒めるべきで、その方向を思うように制御出来なかったのは、仕方ないことととも言えた。下からすくい上げるように受け、綾香を天に放り投げる。それに成功しただけでも僥倖なのだ。

 もし、これで下に叩き付けるように受けることに成功していれば、どれほそ坂下が有利になったか、という話はしてはいけない。少し方向をずらしただけであそこまで吹き飛ぶのだ。不安定な体勢で下に向かって暴走すれば、床に叩き付けられるぐらいでは済まなかったかもしれない。

 だが、もしそれが出来たとしても、坂下は、それを選択しなかった。ただ受け流しただけで、そんな効果を期待すること自体が、負ける要素だと考えていたからだ。

 確かに、下に向かって跳ね飛ばされる格好になった場合、普通よりも衝撃は大きくなるだろう。

 しかし、今坂下が実践しているように、二本の脚で立っている状態であれば、衝撃を殺すことも出来るのだ。少なくとも、普通に受けに成功した程度までは衝撃を殺していた。坂下でも出来ることを、坂下よりもバネも柔軟性も持ち合わせた綾香が出来ない道理がない。技術よりも、身体能力による部分が大きいことだから、なおさらだ。

 後少し、綾香の回し蹴りの高さが低ければ、受けることもかなわなかった。足首に受けて、部位を破壊され、終わっていただろう。それを思えば、これは十分成功した結果とも言える。

 何より、この状況は、坂下にとっては、願ってもないものだったのだから。

 ダメージを殺すことが出来るだけではない。この体勢には、先ほど受けていた状況よりも、どうしようもないほど優れている部分がある。

 まず、坂下の脚が、地面にきっちりと立っていること。衝撃を逃がした後は、それは十分に使い物になる。

 そして、そのときは、今だ。

 キッ、と坂下は、宙を睨んでいた。

 綾香の身体は、まだ宙にあること。

 どれほどの天才、どれほどの才能、そしてどれほどの怪物であろうとも、背に翼を持つ訳ではない。宙にあるものは、等しく落ちるしかなく、その間は、ろくな動きなど取れない。今の綾香であろうとも、それは同じ。

 この状態に持って行くチャンスが、目の前にあったのだ。受けるのは当然。衝撃を甘んじて受けるのも当然。そして、この後の動きも、当然決まっている。

 脚に力が戻った瞬間、坂下は、床が爆ぜるほどの威力を持って、床を蹴った。その衝撃すら、反発力として力に換えて。

 宙にあり、身動きの取れない綾香に向かって、一直線に突っ込む。

 綾香の身体は、きりもみしながら、まだ宙にある。よほど高くまで飛んだのだろう、やっと自由落下の力に負けたところで、坂下の、衝撃を反発力としてさらに加速した飛び込みのスピードであれば、地面に落ちるよりも早く、綾香の身体に到達するだろう。

 宙にあり、身動きの取れないその身体に、どこでもいい、拳を、たたき込む。脚は、突進の為だけに使う。攻撃は、その凶器とも呼べる拳一つで十分だった。

 それでも、宙で木の葉のように舞うそれは、なお怪物だった。回転する力を利用し、飛び込んでくる坂下に向かって、回し蹴りを繰り出していた。受けで方向をずらされるだけで両方が跳ね飛ぶような非常識な威力は、まだ十分な威力を保っていた。

 はたから見ていれば、ただ脚を突き出しただけにも見えるだろう。だいたい、宙で回転している状況というもの自体にまずならないとは思うが、そんな状況で目標に向かって蹴りが出せる訳がない。だが、綾香はそんな中でも、的確に坂下に向かって蹴りを放っていた。

 だが、宙にある以上、そこからはもう威力を生むことは、ない。何より、忘れてはいけない、坂下の拳は凶器だが、その腕は、何者の攻撃も通さない。鉄壁の受けが、その手にあることを。

 ヒュオッ

 慎重に、しかし、瞬速を持って、坂下は綾香が宙にありながら繰り出して来た鋭い蹴りを、風をいなすように片手で受け流した。怪物じみた威力を出して来ればともかく、その残り物の威力では、受け流した坂下を揺らすことなど不可能。

 坂下に受け流された勢いで、綾香の回転はさらに増す。回転している状況から蹴りを放ち、あまつさえ当てる軌道に乗せた綾香の器用さと空間把握の力はさすがとしか言えないが、おそらくは、それも無理なほどに、回転が速くなる。そもそも、綾香がどれほどここから工夫しようとも、綾香の打撃よりも、坂下の打撃の方が早く到達する。

 坂下は、残りの力全てをその拳に詰め込んで、どこに当たるなどまったく無視して、綾香に叩き付けようとして。

 次の瞬間、それが、出来ないことに気付いた。

「!?」

 綾香の回転が、止まっていた。宙にある以上、移動することは出来ない。だから、どこからかその力を生むしかないはずだった。

 いくら怪物であろうとも、もちろん、宙を自由に動ける力は、ない。綾香は、ちゃんとした方法で、回転を止める力を生み出したのだ。

 坂下の、受けに使われた腕に、綾香の手がかかっていた。それが、綾香の回転を止めたものの正体だった。そこから攻撃出来ないのは当たり前だ。綾香は、その腕をつかんでいる限り、宙であろうとも、坂下の攻撃を避ける推進力を生むことが出来る。

 何より、その細い指には、尋常ではない力が込められていた。そのまま握っていれば、坂下の腕は、筋肉が潰され、骨も折れるのではないかと思うほどに。

 坂下は、一瞬で目標を変えていた。綾香の本体ではなく、坂下の腕をつかんでいる手に、手刀をたたき込もうとする。いかに異常な腕力を持っていたとしても、指自体が頑丈になった訳ではないのだ。坂下の手刀であれば、指を折ることは可能だろう。

 何より、状況はせっぱつまっていた。腕が握りつぶされるのが先か、坂下の手刀が届くのが先か、それとも、綾香の新たな打撃が当たるのが先か。この状況で打撃を放たれては、さすがの坂下も、受けるのは不可能だろう。

 つまり、それは綾香にとっては狙うことを躊躇するようなものではなく。

 腕を掴まれて逃げることの出来ない坂下に向かって、容赦も慈悲もなく、綾香は蹴りを繰り出していた。

 

続く

 

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