「おい、好恵、ちょっと待てよっ!!」
坂下のすでに無謀と分かっている宣言に、一番最初に口を挟んだのは、御木本だった。
「お前、本気かよっ。あの怪物の所為で、こんなことになってんだろが!!」
綾香に勝つことをあきらめないということは、あの怪物をもう一度呼び出すということだ。少なくとも、坂下は一度それに成功しており、それだけの実力を持っている。こんなにまでなって、どれほど後遺症なく復活出来るかは今はまだ分からないところだが、それでも、あの怪物と戦うことを、坂下は目指すというのだ。確かに、あのときの坂下の強さは奇跡に近いが、それでも、一度出来たことだ、二度目が出来ないことはないだろう。
そう、あの怪物を呼び覚ますだけの実力がなければ、綾香はただの強い少女だ。怖くはあるが、本当に危険というほどではない。だが、坂下は強過ぎた。あの怪物を呼び出してしまうほどに強く、それは、直に坂下の身の危険にもつながるのだ。
「もう一度やれば、今度こそどうなるか分からないんだぞっ!!」
御木本が言いたいことはここにいる全員に分かる。今度あの怪物とぶつかれば、今度こそ、目を覚まさないかもしれない。三日などという悠長なことを言わず、一撃を持って殺されるかもしれない。
あそこにいたどれだけの人間が気付いているのか分からないが、浩之の制止の叫びがなければ、確かに坂下は、こうやってベットに寝ていることも出来ていないかもしれない。
そんな戦いに、坂下を向かわせるようなことは、御木本には許せないだろう。
「俺がもっと強けりゃあ、どんな手をつかってもあのアマ、殺してやってるところだ」
浩之がいる前で、御木本はそう吐き捨てる。しかし、それも言葉のあやではない。御木本は、実際必要あらば、どんな手だって使う。例えその結果、どれほど自分が不利益を被るとしても、目的をはき違えることだけはしないのだ。
だが、御木本本人も言ったように、御木本では、殺せないのだ。どんな手を使おうと、綾香を、いや、綾香ならばもしかすれば銃器などを使用すれば勝てるかもしれないが、あの怪物には到底及ばない。本当に、どんな手を使ってでもだ。ここにいる浩之や、綾香と親しい人を人質に取ってすら、勝てる気がしない。
だが、殺してやりたいと、御木本は本気で思っていた。大事な坂下を、ここまでしてくれたのだ。どんなことがあっても、一生御木本は綾香を許せないだろう。坂下が目覚めたのを心から喜びはするが、だからと言って、許せるものではないのだ。
御木本が、綾香に向かっていかないのは、目的を何も達せないからだ。綾香を倒すよりも、坂下についていた方が、よほど坂下を危険から守れる。最悪、綾香と戦うのを邪魔するという手もあるのだ。憎くて憎くて仕方なくとも、それでも、目的は間違えない。
「……」
しかし、そうやって坂下の身を案じるものは、ここには御木本一人しかいなかった。坂下はもちろん、浩之も、そしてランも、それに同意しない。
ランにとっても、御木本の気持ちは分からないでもない。もし、浩之が殺されるか、それに準ずるほどの苦痛を受けたのならば、ランは決して綾香を許さないだろう。例え怪物相手ではない、綾香にすら到底及ばないとしても、そんなことは許せる許せないには関係ない。
だが、同時に、こうも思うのだ。
だったら、あきらめても良いのか、と。
そのランの気持ちを代弁するように、いや、もともと、本人の意志以外ではまったくあり得ないのだが、坂下は、いきり立つ御木本に、言葉を突きつける。
「だったら、あんたは、危険だからって、あきらめるのかい?」
御木本は、それに反論する。
「あきらめてもいいだろ、何も相手はあの怪物だけじゃないんだ。好恵なら、空手で結果を出すことだって、今なら可能だろ。何も、あんな危険なヤツと戦う必要はねえだろ!!」
ふうっ、と坂下はため息をつくと、御木本を、しごく簡単に折った。
「じゃああんたは、危険だったら私のこともあきらめる、そう言うんだね?」
綾香を倒すことではない。自分にとっての目的を、危険だから、不可能だからと言って、あきらめるというのか。
「なっ……」
浩之も、直接聞いた訳ではないが、御木本が坂下のことを好きなのには気付いていたので、そう驚きはしなかった。ただ、坂下がこうも直接それを口に出すとは思っていなかったので、その点に関しては少し驚きはしたが。
ただ、御木本の絶句は、もちろんそんなレベルのものではなかった。まさに絶句、次の言葉が、出て来ない。
その一言で、御木本は論破された。その通り、御木本は、例え命の危険があっても、坂下のことが第一だった。自分の身の危険と天秤にかければ、はるかに坂下の方が重い。確実に死ぬとしても、その比重を交換など、出来ない。
そして、坂下にとっては、綾香に勝つことがそれに当たる。格闘技で正面から、という条件で、綾香に勝つ。これこそ、坂下にとっては全てだった。その為に、こうやって入院して空手の試合をふいにすることも、それこそ命を賭けることも、仕方のないことだった。
たまたま、一番大事だったものが、命を賭ける必要が出てきただけのことだ。
「……ちくしょう」
その一言で、御木本は黙るしかなかった。坂下の言葉に反論するには、御木本には大切なものがある。坂下をあきらめることなど、御木本には出来ないのだ。
坂下だって、別に御木本が心配してくれることを邪険に扱いたい訳ではない。感謝していると言ってもいい。だが、だからと言って自重するかと言われれば、否、だ。何があろうとも、坂下はあきらめないし、折れない。すでに折れる時期は過ぎた。後は、何があろうとも、真っ直ぐに進むことしかない。
「話を折って悪かったね。で、藤田。私にこんな話を振ってくるってことは、もちろん、何か言いたいことがあるんだろう? というか、単に今日は私の見舞いに来た、とかじゃないんだろ?」
「ああ」
坂下の見舞いも、確かに目的の一つではあったが、実際のところ、そこは重要なところではなかった。ついで、と言ってしまえば言葉は悪いがその通りであり、目的、という意味では、他に目的があったのだ。
「坂下、お前を見込んで、頼みがあるんだ」
「……まあ、聞こうか」
浩之の言葉を、半分以上予想しながらも、坂下は先を促した。おして、浩之も、躊躇なく、言い切った。
「綾香に勝つ方法を、教えてくれ」
それは、聞いていた二人があっけに取られるほどに、突拍子もない言葉だった。
続く