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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(449)

 

 荒い息を吐く男がにらみ合う姿は、決して見た目は良くない。その点で言えば、坂下と綾香の戦いは、怖くはあったが、綺麗であった。少なくとも、今目の前で繰り広げられている戦いよりは、よほど見る方としては嬉しいだろう。

 ただ、だからどちらのレベルが低い、というものではない。そもそも、見せ物ではないのだ。綾香と坂下の戦いは、半分見せ物のマスカレイドでのことだったが、この戦いは、それこそまったく見せ物となる要素もないし、戦っている二人を除けば、ここにいるのは三人だった。

 お互いに笑いもせずに、黙って二人の戦いを睨み付けるようにというか、明らかに睨んで見ている老人二人。とは言え、どちらも年老いた様子は少しも感じられない。背筋はぴしりとまるで定規どころか鉄筋でも通っているのかと疑いたくなるほど真っ直ぐと伸び、鍛え上げられた身体は、まさに削り込まれた凶器を思い浮かべる。

 しかし、質量、という意味で言えば、今戦っている二人には遠く及ばないだろう。

 両方が、横にも大きいが縦にも大きい。ただ大きいだけならばそれほど脅威ではないが、全身が筋肉のような身体の男達だ。それでも、ただ筋肉がついているだけならばまだどうかしようもあるのだろうが、お互いが使う為だけの筋肉でここまでの巨体を作り上げているのだ。

 武原修治、武原流の師範代であり、浩之の兄弟子に当たる。とは言え、武原流の門下には、師範である雄三を除けば、この修治と浩之しかいないのだから、流派というのもおこがましいのかもしれない。

 百八十を超える、骨格的にも恵まれたがっしりとした身体だ。それだけでも、格闘技をする場合は資産と言っていいだろう。だが、その修治よりも、相手はさらに大きかった。身長で5センチは違うかもしれない。縦が5センチ違って同じ体型ならば、体重という意味ではかなり違う。だが、その身体でも、まったく愚鈍な様子はない。もっと動きが遅いのならば、修治がここまで手こずったりはしないだろう。

 一応、浩之は一回だけ自己紹介を聞いているのだが、何とか流とかそういう雰囲気が分かっただけで、正確な固有名詞を覚えてはいない。浩之の名誉の為に言っておくが、浩之は人の名前を覚えるのは苦手ではない。ただ、その能力が女性関係にしか向かないというのはある。

 久しぶり、と言ってもたかが数日ぶりだったが、道場に顔を出すと、見知らない人間が二人いて、浩之など半分以上無視して話が進み、こんな状態になっていた。

 浩之は、ごくりとつばを飲み込んだ。

 そう、始まりこそどうあれ、そして途中経過こそあの戦いと比べればむさいかもしれないが、この戦いも、レベルが違いすぎる。

 武原流と、他の流派の試合。果たし合いと言っていいかもしれない。お互いに、目つぶしと金的は封印しているとは言え、それでも危険な技が数多く繰り出され、その全てがお互いに避けられ、かわされ、受けられている。

 マスカレイドのような特殊な存在を除いて、この日本でこんな殺し合いに近い素手の戦いが行われること自体、普通はありえないのだろう。しかし、考えてみればこの武原流は、明らかに普通ではなく、そんな流派が他にあったとしても確かに不思議ではない。

 相手の名前こそ覚えていないが、もう一度聞けば、浩之は忘れることはないだろう。それほどに、強い。修治と同じか、体格分僅かに押しているほどの猛者の名前だ。そうと見れば、忘れるはずがない。

 坂下は、強かった。浩之では逆立ちしたって勝てないだろう。しかし、その坂下を綾香は、真正面から打破した。その綾香と、つまりあの三眼の状態で何とか戦えるだけの実力を持っている修治と、本気で戦って対等。そんな人間が、まだ世の中にはいたのだ。

 そんな相手を目の前にしても、修治は引き下がらない。息が少しだけ回復した瞬間に、相手に向かってつっかかっていた。

 だが、相手は修治よりも身体が大きいが、それでも動きに遅いところはない。真っ正面から向かっていっても、すぐどうこう出来る相手ではない。修治の突進に合わせて、ジャブというにはあまりにも重そうな左の一撃を突き出す。

 修治は、それをぎりぎりのところでかいくぐると、相手の懐に入ろうとして、しかし、それが不可能と見るや滑り込むように横に回る。近い距離で横に回れるその体捌きはさすがとしか言い様がない。というか、その動きですら、いい加減目で追えうのも辛いほどのスピードだ。

 だが、相手も分かったもので、ジャブをかいくぐられるのはすでに予測範囲内だったのだろう、その拳を引っ込めずに、そのまま下に肘を打ち下ろし、それを横に体捌きで交わされたと判断する瞬間には、すでに組み付こうとしていた修治に、真っ正面から組み付いていた。

 お互いに、自分の行動で相手の動きを無意味にすると同時に自分の動きも無駄にされ、しかしさらに先手を取ろうと動き、同じく動きを向こうかされ、まさに均衡、危ういところで二人の強さは拮抗していた。

 いや、打撃の方はまだいいのだ。浩之でも、スピード的には辛いものがあるが、それでも何をやっているのか分かる。だが、組み技となるともう訳が分からない。」

 掴んだと思った瞬間には、二人とも動いていた。めまぐるしくお互いを掴んだまま立っているのか座っているのか寝ているのかよく分からない。状態になっている。その間も、お互いにまったく動きを止めずに、相手を捉えようと動いているのだ。

 途中まで文字にすれば、修治が横にまわったのに併せて相手は修治の方を向き、しかし一瞬早かった修治が脚に手を伸ばすが、その手は相手が腰を引いたことによって空を切るや、修治はその場で倒れながら回転、相手の腕を極めようとするが、その動きよりも相手が下に修治を叩き付けようとする動きの方が早く、修治は横にスライドするように避けるが、そこを相手は上から首を取ろうとするが、その手を寸前のところで修治は掴むと、ぐるりと回転して脚を取ろうとするが、それを読んだ相手はさらにその場で回転、修治をマウントポジションに取ろうとするが、それを修治は身体をひねって相手の腕を取るのを断念し逃げる。浩之が何とか理解出来たのはここまでだった。

 地に這い、お互いにめまぐるしく体勢を入れ替えて相手を捉えようとしている。しかし、同じようにお互いの動きから逃れる為に、お互いが最後の一手を出せないまま、はたから見るともう何をしているのかすら判断出来ない状態になっていた。

 お互いに、これでは極めきれないと思ったのか、バッと飛び退くように距離を取ろうとした瞬間。

 スパンッ!

 相手の一撃が、修治の顔にヒットしていた。

 しかし、他の打撃と比べれば、それは軽い。お互いに逃げながらの一撃だ。パンチというものは結局のところ身体全身で打つ物だから、腕の先だけで打ったような一撃ではそれは相手を倒せない。

 だが、それれでも先ほどの攻防の中では、初めてのクリーンヒットだ。何より、腕をしならせるような一撃は、腕だけとは言ってもダメージがないというにはいささか厳しい。それは、すでにかなり腫れ上がった修治の顔を見れば分かる。

 ダメージもさることながら、顔のはれが修治の視界を遮らないかが心配だった。いや、すでに多少修治の視界は落ちているだろう。仕方ない。ああいう逃げ際のパンチを、修治はいい数もらっている。そして、修治を持っても、それを攻略することが出来ずにいた。

 だが、それも仕方のないことだろう。逃げながら的確な打撃を打つ、というのは言う以上に難しい。相手が攻めてくればともかく、お互いに離れる瞬間を狙って打っているのだ。出来る出来ないで言えば、綾香にも、そして坂下にも無理だろう。

 逃げている瞬間は、ある意味無防備なのだ。だからこそ、修治はそれを攻略出来ない。いや、これでもそれなりには対処した結果が、試合開始直後は、本当にもっといいように受けていた。

「相変わらずいやらしいのう、おぬしのところの逃げ腰拳は」

 少しもうち解けた風ではない雄三が、もう一人の老人に話しかける。今修治と戦っている相手の師匠らしいが、むしろこの老人と雄三との間のいざこざに修治達が巻き込まれていると言った方が正しいように見える。まあ、流派同士の戦いなどそんなものかもしれないが。

 その雄三の安い挑発を受けて、老人はふんっ、と鼻で笑うと、低い厳かな声で返す。

「ちゃんと描蛇手というかっちょいい名前がある。弟子には、ちゃんと技名を叫べと言っておるのだが、誰も聞いてくれんのよなあ。というか、せめて待ちガ○ルぐらいは若者的な言葉を使えよ」

 ……さっきから聞いていると、このジジイもかなりファンキーだよな。

 見た目は威厳があり、声も低くてまさに紳士、というか侍、という感じなのだが、どうも言葉からはそういうものがまったく感じられない。というかそもそも待ちガ○ルはすでに若者の文化ではないような気がする。意味も違いそうであるし。

 まあ、どれほど言っている言葉が軽くとも、間違っても雄三と違ってたちが良い、などとは思えない相手だが。

 少なくとも、弱い、ということだけは、ないだろう。戦えと言われれば、全力で遠慮する。いくら今修治と戦っている弟子が免許皆伝していると言っても、だからと言ってこの老人が弱くなったから、とは思えない。

 見かけからも普通の老人とは思えない身体をしてはいるが、例えそうでなくとも、浩之は外見には騙されない。さんざん外見を無視している少女達の相手をしてきた、というのが一番の理由なのだが。

「ほれほれ、坊主もそろそろきつくなって来たんじゃねえのか? 降参するのなら今のうちだぞ? 今なら高級焼き肉食べ放題で手を打ってやるが」

 俗っぽい交渉というか、まあ挑発なのだろうが、浩之ですら微妙な顔をしたくなる言葉に、雄三ば、口だけつり上げて、笑って返す。

「勝てる勝負を捨てる馬鹿がどこにいる」

「ふふん、そっくりそのままその言葉もらうぞ」

 返すじゃないのか、と浩之はどうでもいい突っ込みを考えながら、この人間凶器達から目をそらし、試合をしている方の人間凶器に注目した。

 ある意味膠着状態であるが、しかし、油断は出来ない。

 強いからこそ、お互いの一撃は必殺となる。それは、結果など簡単にひっくり返ってしまうほどに。それを見逃す気は、浩之には、なかった。

 

続く

 

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