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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(451)

 

 勝負を決めるつもりだ。修治に対して、腕が繰り出される出る前から、浩之にだってその空気は読めていた。浩之に読めて、修治に読めない道理はない。

 だが、どんな技を使ったとしても、お互いがお互いを倒すことは、難しい。当てること自体が難しいのだ。勝負を決めるなどと言っても、当然相手は警戒してくる。攻撃に重点を置いてすら、来ると分かっていれば、心構えが出来るのだから。

 そういう意味では、浩之は、これでは勝負は決さない、と思っていた。決するには、お互いが強すぎて、こうもあからさまでは、手の出しようがないからだ。それこそ、必殺の技であっても、二人ならば何なくさばいてみせそうなのだから。

 そう、そんな技があれば、の話だが。

 ……必殺の打撃技、とは何だろう。

 別に相手を殺さなくともいい。必殺というのは言葉のあやだ。つまりは、これで勝てる打撃、と言いたいのだ。

 打撃の型は、いたってシンプル。極めようと思えば、それこそ本当の細部まで考えれば、もちろん奥は深淵と言えるほど深い。おそらくは、人間でそこに到達している者はいまい。いたとしても、そんなものを出せば、おそらくは身体がもたないはずだ。

 だが、実際のところ、必殺の打撃に、そこまでの深さは必要ない。

 人を打倒出来る威力と、人が出せる威力。それはイコールではない。明らかに打撃の威力の方が上回っているのだ。それでも、打撃が当たっても倒れないのは、当たり所が良かったか、威力が落ちているからだ。

 万全の状態で打てば人を打倒せしめる打撃を放てる人間は、実際のところけっこういる。そこらで街を歩いている人間の中にだっているだろう。

 だが、打撃では人を倒し難いのが結果としての事実。

 当たり前だ、何も相手が無抵抗で受けてくれる訳ではないのだから。いきなり不意打ちをしても、気付かれれば、人間はけっこう瞬間的に防御してしまう。腕の一本も間に挟まれば。打撃の威力は半分以下に落ちるだろう。

 だから、一般の人間は誤解しているが、打撃の本質は威力ではない。人を打倒せしめるだけの威力が、思うよりも簡単に手に入る事実と、それでも人が倒せない事実という矛盾が、片方が嘘であると結論付けているに過ぎない。

 必要な威力の量は浅いのだ。問題は、それをいかにして相手に当てるか、だ。

 威力が必要ないと言っている訳ではない。威力が高ければ、同じ半分以下の力でも、ダメージは違ってくる。その結果に勝つというのは、高いレベルではむしろ当然のことだろう。だが、それも同じスピード、同じテクニックで威力だけ上がれば、だ。普通はそんなことにはならない。同じ人間が筋力アップをしても、そのままその上がった力をうまく使うことが出来る訳ではないのだ。

 スピードを落として、筋力だけを上げるのは、それこそナンセンスな話だ。そこから、十二分に自分を使いこなせてやっと、それは意味を成す。ただ筋力を上げるだけでは、効率、という面から言えば、最悪と言っていい。

 そして、人間であれば、才能にも時間にも限りがあり、その中で、効率の良い素手での殴り方を研究したのが、打撃格闘である。だが、効率が良いと言っておきながら、まるで憑かれたかのように威力を上げる練習ばかりしているようにも見えることはあるだろう。

 それは、あくまで両方のレベルが高いからだ。当てる技術というのはそう簡単には上がらず、まして、相手も十分な対応をしてくる。そう簡単には当たってくれなどしない。であれば、威力を上げて、半分でも十分の一でも相手に伝えた方が、よほど効率が良い。

 だが、必殺の打撃とは、威力ではない。十分の一でも相手を倒せるだけの威力があればいいが、さすがにそれは無理であり、結局、必殺の打撃とは。

 当てることの出来る打撃、だ。

 そして、当てることが出来るだけでなく、その中で、相手を倒すだけの威力を込めることが出来る打撃、だ。威力に余分なものは必要としないが、しかし、その当てることが出来る、という部分で、不可能な技。

 もっと簡単に言ってしまえば、打撃の必殺とは、フェイントだ。

 言葉では安いイメージになるだろうが、出会い頭のラッキーパンチから、まるで測ったようなクリーンヒットまで、その全ては、相手に打撃を防御させなかったことに尽きるのだ。ベストショットの七、八割も威力を込めることが出来れば、威力的には十分以上なのだから、後は、相手が防御出来なければいいのだ。

 そして、修治の相手は、上から腕を振り下ろす。その一撃でも、十分な威力はあるだろうが、そんな易しい打撃には、修治を捉まえることは出来ない。

 だが、それは相手にとって、必殺の打撃だった。

 打撃というのは、シンプルなものだ。これはもう何度も言った。技も、同じくシンプルなものだ。

 だが、そこには歴然とした、差がある。技の差ではない、使い手の差だ。よく練られた技には、同じ動きであろうとも、説明のつかない力を生むことがある。坂下の受けはそれに近かった。

 そして、その技を練った結果が、これだった。

 上から振り下ろされた一撃を、修治は腕で受ける。完全に真上から繰り出されたそれは、修治を左右に動かすか、腕で止める以外の方法を取らせなかった。同じく前に向かっていた修治には、横に避ける選択肢はない。だから、腕で受ける。だから、としか言い様がない。

 しかし、浩之が、相手の動きを見ることが出来たのは、ここまでだった。その先は、浩之の目には入らなかったのだ。いや、写ってはいたのかもしれないが、浩之が理解することはなかった。速さの所為、というには、あまりにも深いものの結果だったのだ。

 修治が相手の腕を受けた。ほぼそれと同時に、相手の左拳は、修治の鳩尾に吸い込まれていく。

 相手にわざと上からの攻撃を受けさせて、そこに出来た間に拳をたたき込む。シンプルもシンプル、これ以上ないぐらいに説明が簡単なフェイントだった。この説明で理解出来ない格闘家はいないだろう。

 だが、それとはまったく矛盾することに、それを見ていたならば、誰にも説明など出来ないだろう。使っている本人にすら、一体どうなっているのか、説明出来るかどうか怪しい。

 何せ、横で見ていた浩之にも、そのフェイントから繰り出された拳を、意識に入れることが出来なかったのだ。綾香の、相手の意の隙を突く動きとも違う、

 技は、それ自体は必殺にはなり得ない。どんな技ですら、対応されれば終わりだ。

 だが、その先もあり、その先に到達した技からは、理の中にあるにも関わらず、理解出来ない。

 その瞬間に修治に聞けば、おそらくは、無理矢理上からの攻撃を受けさせられた、と答えただろう。それがそうであるかのごとく、修治に有無を言わさずに、上からのフェイントである方の腕を受けさせる。まさに、理解出来ない。

 理屈を出せば、浩之が理解出来た、受けた理由、で済むのだろう。だが、それは言わば後付けの理由。修治は、受けさせられたのだ。

 相手の体型、実力、スタイル、性別。自分との位置関係、お互いのダメージ。技の癖。精神状態。出し切れないほどの要素と、そして何よりも、自分の技。それが相まって、技を繰り出した本人にすら説明のつかない、僅かな動きの差が集まった結果、相手にそうさせるしかないようにする。それは、過程はどうあれ、結果は必殺、だ。

 そして、いくら修治が身体を鍛えており、筋肉の鎧を身にまとっていたとしても、鳩尾は隠しきれない急所であり、相手の拳は、まさに完璧な打撃精度を持って、修治のそこに、打ち込まれた。

 

続く

 

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