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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(454)

 

「別にこれぐらいの設備は珍しくないけど……これを個人なんて、凄いわよねえ」

「来栖川財閥のお嬢様ってのは、伊達じゃないってことっすかねえ」

 えらくごつい、というか筋肉の塊のような執事に、その部屋に通されて、今日の取材相手を待つ間に、明奈はカメラマンの藤堂とそんな話をしていた。

 明奈清子、スポーツジャーナリスト。まだ若輩者と言われる若さだが、今回、エクストリームの取材で、来栖川綾香を担当させてもらえることになった。正直、大抜擢と言ってもいい。

 来栖川綾香は、その実力も外見も他の選手と比べてピカ一であり、本当ならば、もっと多くの取材を受ける立場であるのだが、あまりメディアに出るのを好んでいないのか、取材に応じるのも最低限でしかなかった。

 もちろん、相手のことなど気にしない者もジャーナリストにはいるが、学校はお嬢様学校で有名な寺女であり、下手な取材をすれば、それこそ捕まりかねない上、綾香の家は来栖川だ。だから、来栖川綾香はその実力と知名度のわりに、取材で追いかけられる、ということがない。

「そもそも執事がいるって部分からかなり普通じゃないと思うんすけど。というか、執事というよりはボディーガードっぽいと思うんすよね」

 カメラマンの藤堂も若い。最低限の技術は持っているようだが、正直、この二人の組み合わせで取材するような低い格の相手ではないはずだった。

「あの来栖川綾香にボディーガードが必要ならね」

「はあ? そりゃ強い強いって聞いてますけど、女子高生でしょ? そりゃ俺みたいな素人じゃ無理でしょうけど、犯罪に巻き込まれたらひとたまりもないですって。お嬢様なんだし、心配しすぎることはないんじゃないっすか?」

「……藤堂君、ちゃんと予習して来た?」

「当然っすよ。かわいいというか、綺麗な子っすよね。モデルにもあんな綺麗な子はいなっすからね、カメラマンとして血が騒ぐっすよ」

 はあっ、と明奈はため息をついた。

 カメラマンとしては正しい姿勢なのかもしれないが、綺麗などという言葉は、来栖川綾香の存在のほんの一部分でしかないことを、藤堂は理解していないようだった。

 何人か、このエクストリームに参加する選手を取材した。その中で、ただの一人も話題に出さなかった者がいない。それが来栖川綾香だ。同じナックルプリンセスに出る選手だけではない。まったく関係ない男のヘビー級の選手も名前を出すのだ。

 曰く、彼女を倒せた者が優勝だと。曰く、来栖川を倒すのが目標だと。曰く、実力が違うと。曰く、あれは人ではないと。

 去年は、格闘の方の担当ではなかったので、直接試合を見ることはなかった。それでも、そこまで話が出れば気にもなる。

 あれは、違った。誰もが注目している意味が、すぐに分かった。

 次のオリンピックで金メダルを期待されている、国内ではすでに敵なしのスーパー女子高生、第三の柔ちゃんと言われる渡辺真緒ですら、来栖川綾香の前では、精彩を欠いて見えた。いや、渡辺の動きだって凄いのだろうが、それ以上に、来栖川綾香が、凄すぎる。

 一流のスポーツマンというものを、明奈も何度かは見て来た。普通に会話する分には普通の人が多い、というのが正直な感想だ。人間、異常でなければ、本当のトップは取れないものだが、その異常は、全てに通ずる訳ではない。どんな天才であっても、器には限界があり、どこかが非凡になれば、他が凡庸になるのは致し方ないことだ。

 それでも、中にはいる。雰囲気から、まず違う者が。立っているだけで、ひしひしと感じるほどの者が、確かにアスリートの中にはいる。技術と身体能力の極地では、厳しい修行を積んだ僧侶に近くなる。

 だが、来栖川綾香は、そんなレベルとも違う。ビデオを見ているだけで、明奈の肌には鳥肌が立ったのだ。圧倒的な何かを、明奈ははっきり感じた。あんな存在に、護衛など必要ない。災いの方から、逃げ出すだろう。

 そして、来栖川綾香の取材を任せるとデスクに言われたのは、調べた後の話だった。

 まあ、そんな抽象的な話は置いておいて、直接的に言っても、来栖川綾香は、というよりもその環境は、あまりジャーナリストとしては歓迎できないものだ。

 無断で取材しようとした記者が、化け物に襲われたとか意味の分からない噂がたったりもしている。いや、そもそも、ちゃんと明奈は正式な取材としてここに来ているのだから、まったく問題はないのだが。ないはずなのだが、不安は消えない。

 上司に感謝すべきか、恨むべきか明奈も判断がつかないところだ。

 危ないと思っても、そこは明奈も記者である。無視出来ないものを取材したいと思う気持ちは大きい。まあ、カメラマンの藤堂の方は、綺麗な女の子を写せるという気持ちだけで来ているようで、それはそれで幸せなのかも知れない。

 しかし、この練習場も、異常だということに、こいつ気付いているのかしら?

 物珍しげに辺りを見渡す藤堂に、明奈は言葉には出さずに突っ込みを入れる。

 照明がかなり明るい。というよりも、強い。まるでスポットライトをつけているようだ。冷房が効いていても、かなり熱いだろう。それなのに、広い部屋に誰もいない、というのもあるのだろうが、どこか薄ら寒いものを感じる。汗は出るのに、芯では寒くなる。設備は良いが、ここで練習したいと思う者はいないだろうと明奈は思う。

 こんなところで練習して、身が入るとは思えないのだが、ここで来栖川綾香は練習しているというのだ。

 他の人が取材をしたときは、これと言ってトレーナーをつけている訳でもないし、どこかに練習に出ることもないとのことだし、正直、トップアスリートとしては異常だ。

 来栖川綾香は天才だ。その言葉を、明奈は何度も聞いたが、残念ながら、天才であれば勝てるという世界ではないことぐらいは理解している。正しい練習と、そして血の滲むような努力は、絶対に必要なはずなのだ。トップに食い込むようなアスリートは、誰もがどこでも天才だ、神童だと言われた者ばかりなのだから。

 それとも、そんなものが必要ないぐらいに、来栖川綾香は天才だとも言うのか。

 しかし、それもないのでは、とこの練習場を見ていると、思うのだ。どれも新しいが、十分に使われた形跡があるし、サンドバックには明らかに強烈な威力で打たれた跡がある。というか、見たところまだ新しいサンドバックが、打たれた場所だけ完全に色が変わっているとか、どんな勢いで打っているのだと言いたい。

 やはり、こんな場所で練習しているのだ。まるで、わざと過酷な状況を作り出しているようなこんな場所で、満足に練習など出来ない、と考えること自体が間違っていることに、明奈は気付いた。わざと厳しい環境にして、練習しているのだ、と。

 来栖川綾香が戦うのは、エクストリーム。テレビ放映もされる、それこそ厳しい状況での試合を要求される。テレビに必要な光量というのは、かなり強いのだ。リングの上にスポットライトが当たっている状況は思う異常に過酷で、それに慣れる為の設備だと思えば、不思議でも何でもなかった。

 そして、どこか漂う、緊張感のある雰囲気。これも、試合には必須のものだ。それをどうやってか人工的に作り上げ、その中で練習し、厳しい状況にいつも慣れておく。その効果は、他人との差として、間違いなく出るだろう。

 こんなところで練習して、それでも神経が削りきられないならば、だが。

 ぶるり、と明奈は身震いした。

 精神的に弱い者がこんなところに長時間いたら、それだけでまいってしまうだろう。精神的に強くとも、こんな不安定な場所では、練習の成果など出る訳がない。精神的なものは、それほど肉体的にも影響を及ぼすのだ。

 明奈が自分の考えに気を取られていると、ガチャリ、と奥の扉が開いて、明奈は思わずびくりと身を震わせた。

 綺麗な少女だった。横で藤堂が見とれているが、それも致し方のないことと思うほどの美少女だ。だが、綺麗な少女だというだけだった。笑顔のままその少女はすたすたと何の躊躇もなく二人に近づいてくると、頭を下げた。

「初めまして、来栖川綾香です。今日はよろしくお願いします」

 拍子抜けするぐらいに、友好的に、綾香は二人に笑いかけた。

 

続く

 

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