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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(458)

 

 楽しくない、とは言わないが、瞬間瞬間に緊張の走る、決して気の抜けなかったインタビューも、終わりに近づいていた。明奈としてはまだ聞きたいことは山ほどあるが、記事にしたときに今でも完全に枚数を超えてしまうのだ。記者として、これ以上はもったいない、という気分が生まれていた。

「それでは、最後に。今回の大会に対する意気込みをお願いします」

「もちろん優勝です。負ける理由はないですし、負ける相手もいませんから」

「……これは、記事にしても」

「もっとおおげさに書いていただいても結構ですよ。他の選手の励みになれば幸いですから」

 格闘家には大口を叩くこともそれなりに許される、リップサービスとして扱われることもあるが、しかし、それでも大口を叩いた後に失敗すれば、どれほど叩かれるか分かったものではない。そして、どれほどの実力者でも、負ける可能性を否定できない。それが勝負なのだ。

 だが、来栖川綾香の言葉は、記者に対するリップサービスでも、調子に乗って大口を叩いているのでもない。どこからどう見ても、本気だった。むしろ、今更そんなことを聞かれるのを驚いているとすら思える口調だった。

 もちろん、か。それだけはっきりと、後のことを考えてすら口に出来る選手が、心からそう言える選手が、後何人いるだろうか?

 誰にも負けない、などという幻想を抱いている選手は、すでにエクストリームほどになれば淘汰されている。

 人は、負けるのだ。それだけは、どうやっても覆せない。しかし、強くなるというのは、負けた弱い自分を真正面から見つめることでもある。一度の挫折も知らない天才はやはり脆い。しかし、天才であっても、天才なりの苦悩はいつだってつきまとう。そういう苦しさを乗り越えて、初めて人は強くなれるのだ。

「勝ちますよ。いつだって、誰にだって。私が一番強いですから」

 そんな明奈の思考の迷いのようなものでも見えているのか、子供に含めて聞かせるように、来栖川綾香は言う。

 明奈は、その言葉で、今までどこかもやがかかったような、いや、うわべで隠れていたものを、はっきり見た気がした。

「……ありがとうございます。大会、がんばって下さいね」

「はい、がんばりますよ」

 にこり、と男がとろけそうな笑顔で答える来栖川綾香からは、先ほど感じたものの片鱗すら見えなかった。見事な変わり身と言っていいだろう。いや、それは単に明奈が幻影を見ただけなのでは、と思わせるほど、来栖川綾香の笑みは、可憐だった。

 

 屋敷、と呼んでいい来栖川綾香の家を出て十分距離がひらいたと思えるだけ歩いてから、明奈と藤堂はまるで息を止めていたかのように、ぷはっ、と息を吐いた。

「……何よ、藤堂君、まさか来栖川さんが綺麗過ぎて緊張してたの?」

「……先輩こそ、さっきまではあんなに楽しそうに話してたじゃないっすか」

 お互い、相手のことをどうこう言えるような状態ではなかった。憎まれ口を叩きながらも、二人とも身体に力が入らない。激しい運動をした後のような脱力感に身体を苛まれていた。

「……とりあえず、どっか喫茶店で休憩しましょ」

「賛成っす。今日は正直もう仕事になりそうにないっす」

 しばらく歩いて喫茶店を見つけると、二人は身体を引きずるように席についた。お店の人が、何があったのかと目を丸くするのを無視して、明奈はメニューに見つけたミックスジュースを二つ頼む。今は、少しでも頭に糖分を与えたかった。

 すぐに出されたジュースを一気のみして、それからさらに一分ほど死んだように動きを止め、そろそろお店の人が心配になって声をかけようかと考え出してから、やっと明奈は多少なりとも動くことが出来るようになった。

「アイスコーヒー二つ」

 一度気持ちを取り戻せば、これでも体裁をけっこう気にする方だ。さっきまでの様子はまったく見えないほどきりっと外見を整える。

「ごちになるっす」

 藤堂の方も、調子は取り戻したようだが、こちらがだらけているのはいつものことだ。

「あんたねえ……まあいいわ」

 アイスコーヒーが出てくるまで、二人はどうでもいいような話をして、調子を取り戻す。正直、少しでも気を紛らわせないと、さっきまでの残滓にとらわれたまま、冷静な判断が出来そうになかった。

 あまり美味しくもないアイスコーヒーにミルクを入れて一口飲んでから、明奈は話を切り出した。

「あれが、来栖川綾香、って訳ね」

 明奈も若いが、それでも大人だ。それに対して、相手はまだ子供。もちろん子供だと思って侮って取材したりはしないが、それでも、こちらには大人の余裕がある、はずであった。来栖川綾香は、そういう大人子供などという枠でははっきり言って押さえられない。

「……正直俺、ファインダー越しじゃないと、直視できる自信ないっす」

「何、始まる前は綺麗な子が取れて嬉しいとか言ってなかったっけ?」

「そりゃ、来栖川綾香はめちゃめちゃ綺麗でした。今まで撮ったものの中で何よりも綺麗だったかもしれないっす。あれが普通の女の子なら、仕事を忘れて専属のモデルに誘ってたっす」

「仕事の方を優先しなさいよ。別にフリーって訳じゃないんだから」

「カメラマンの美の追究は仕事よりも優先されるっす」

「で、だったら何で誘わなかったの? 断られるとは思うけど、だからって誘わない理由はないでしょ?」

 もちろん怒るけどね、と明奈も一応会社の先輩として言っておく。

「……あんな怖い生物に話しかける勇気、俺にはないっす。何すか、あれは」

「来栖川綾香、前年度のエクストリームの高校生女子の部チャンピオン。格闘家なら誰しもが注目しない訳にはいかない本物の天才よ。予習はしときなさいよ」

「言葉で言われて納得できるような生物じゃないっすよ、あれは。あんな綺麗で危険な生物が、存在するものなんすか?」

「まあ……それに関しては、私もそう思うわ」

 正直、あれを記事に出来る自信は、明奈にはない。会ってみないと分からない。しかし、会ってしまえば、強制的に理解させられる。

 どれだけにこやかに楽しく話していても、身体は常に緊張していた。それは取材するにあたっての緊張ではない。危険を察知した生物の、ごく当たり前の反応だった。それを理性で押さえはしていたが、屋敷を出たあたりで、我慢の限界を通り越してしまったのだ。

「知り合いに猛獣専門のカメラマンがいるんすけど、そいつに言わせると、生物的に強い者は綺麗なそうなんす。だから猛獣を撮してるそうなんすが、そいつでもあの生物相手ならしっぽ巻いて逃げますね、賭けてもいいっす。俺だって一人なら逃げてました」

「偉そうに言わないの」

 まあ、自分を置いては逃げないと言っているので、明奈も悪い気はしなかった。

 しかし、それはそうだ。あれは強いから綺麗なのではない、ただ強く、ただ綺麗なのだ。そういうものとは次元が違う。

「優勝は、決まりね」

 ぽつり、と明奈はつぶやく。

 あんな生物に、人間が勝てる訳がないのだから。

 

 

 さて、若手記者とカメラマンに少なくない心の傷を残した綾香はと言うと。

「綾香お嬢様、少し殺気が漏れていましたぞ」

「いやー、ごめんごめん私も自覚あったのよ? でも、まだ筋肉痛が完治してないから、どうしても痛いと殺気消せなくてねー。記者のお姉さん達には悪いことしたわ」

「まったく、わたくしめがお嬢様ぐらいのころには、殺気の一つや二つ自在に操れたものですぞ」

「はいはい、あ、おやつはケーキがいいな」

 けっこう平和そうだった。

 

続く

 

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