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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(1)

 

 藤田浩之、本人に言わせれば、平凡な高校生。何かに強く心を注ぐこともなく、ただ日々を漫然を送って来ただけの、どこにでもいるような特徴のない人間。

 近しい人間が聞けば、何を言っているのかと思うほどの間違った自己分析だが、少なくとも浩之はそう思っていたし、そうなるような生活を意識無意識に関わらず送っていた。ついこの間までは。

 しかし、一人の少女との出会いが、浩之の運命を、ちょっと微妙な感じに捻じ曲げた。どちらかと言うと捻じ曲げられた、そしてこれははっきりと微妙ではなく盛大に、と言ってもいいのかもしれない。何せ、相手は力づくで運命すらひん曲げてしまいそうな、怪物だったから。

 来栖川綾香。

 街を歩けば誰もが振り返る美貌を持ち、完璧にも近いバランスを保った身体は、大の大人すら圧倒するどころか子供扱いしてしまうほどのスペックを持つ。前年度エクストリーム高校の部のチャンピオン。テレビ放送もされる、かなり有名な大会を、高校の部とは言え、高校一年生でつかんだ格闘界のプリンセス。

 片や、テレビにも出る有名人、片やどこにでもいる平々凡々な男子高校生。二人の道は、普通ならば交わることはないはずだった。

 それでも無理やり二人の接点を探せば、綾香の姉、芹香が浩之と同じ学校の先輩であり、同じく浩之の学校の後輩である葵が通っていた空手道場の先輩が綾香だった、というだけで、深く関わるには、原因は薄い。

 浩之は今でもはっきりと思い出せはするが、綾香と知り合ったのも、単なる偶然でしかない。そのときは、ここまで深く付き合うことになるとは、想像すらしなかった。

 というよりも、ここまでの怪物だとは、当たり前だが分かる訳がなかった。それは、最初の一発当てるという賭けをしているときに、何か変だなあ、とか思ったのだが、多くを知らなかった浩之は、でも格闘技をしていればこれぐらい女の子でも強いのかなあ、と誤解したのだ。酷い誤解もあったものではあるが、浩之ばかり責めれるものでもない。そうでも思わなければ、理解出来るものではなかったのだし、結局そう思ったところで、理解できないのだから。

 まあ、そんなちょっと常識外れた最初の勝負と、葵との出会いもあり、浩之はいつの間にか格闘技にのめりこんでいた。そして、エクストリーム予選に、素人が三ヶ月程度練習しただけで挑んだのだ。

 そういう意味では、やはり浩之は天才だった。本当の怪物であるのならば、予選一位で通過したのだろうが、あいにく浩之は普通の天才であったので、まあ本人は天才とも思っていないのだが、何とか予選通過ギリギリの三位で通過することに成功した。普通の天才、というのも意味が分からなくもある。

 綾香との出会い、葵との出会い、坂下との出会い、修治、雄三と出会ってしまったこと、エクストリームで初めての勝利のうれしさと敗北の悔しさを知り、それだけにとどまらない、浩之が今考えても、それまでのまだ短い一生と同じかそれ以上の濃さを体験して来た。

 そして何より、綾香の強さを間近で見て、さらに自分が強くなったことで、絶望しそうなほどの綾香の強さを、感じられるようになってしまった。

 それでも、浩之の最終目標は、変わらない。いつか、綾香に勝つ。それだけの為に、浩之は強くなろうとあがいていた。格闘技をそのまま続けようとした理由はそうではなかったのだが、一度決まってしまった夢を捨てるには、浩之はいささか若過ぎたし、何より、強過ぎたのだ。

 そうやって実際に身の危険を感じるほどの、ちょっと身の危険を実際に浴びながら、まったくのところ漫然とは正反対に過ごしてきた浩之は、だからこそ、自分がそれなりの修羅場をくぐって来た、という自負があった。それもあながち間違いではないだろう、あの綾香のそばにいることは、実際何よりも危険なのだから。

 しかし、その浩之を持ってしても、今この場面は、最大のピンチと言っていいだろう。

 都合の悪い場面も、生きていればいくらかは経験する。しかし、今回ばかりはそれとは明らかに次元が違う。ただここに立っているだけでも苦行なのだ。

 ご想像通りお約束通り、それは綾香の仕業ではある。最近は修治とか雄三とか、たまに葵も入ったりはするが、浩之の遭遇する危険のその大半は綾香が原因である。その点ではまったく歪みはない。歪んでもばちは当たらないなどと浩之は思うのだが、悲しいかな、そういう訳にもいかないらしい。

 ただ、今回は葵も関わっているので、綾香ばかりを責めるのは不公平と言えるだろうか。口ではどう言え、浩之をこんな状態に追い込むことに、葵もけっこう乗り気であったのだから、葵は原因の一つと言い切れる。

 まあ、全部の原因を追及していれば、それを断りきれなかった浩之にも、十分に責任はあるのだろうが、とにもかくにも、平謝りするのでここから逃げ出したい、というのが浩之の偽らざる思いだった。土下座でもかまわないと思っている。

 綾香と葵が楽しそうにしているのを見てもそうなのだから、よほどのことだ。浩之は、けっこう自分よりも相手のことを第一に考えることが多い。身の危険の一つや二つぐらい、浩之にとっては障害にはならない。そうやって自覚なく何人もの女の子を虜にして来たのだ。浩之には悪気どころか善意でやっているという気持ちすらないのだが、その罠、悪いとは言わないが、やはり天然の罠だろう、に引っかかった女の子達にとって、それは良いことだったのか悪いことだったのか。

 しかし、そんな浩之でも、ここは危険過ぎた。

 そしてまず何より浩之が感じているのは、別に俺がここにいなくてもいいじゃないか、という思いであった。まあ、その点に関してだけは浩之特有の超のつく鈍感さを発揮した間違いなので、やはり浩之はこの危険な場所から逃げることは許されない。

 逃げることは許されないが、嘆くことぐらいは、誰も文句は言わないだろう。どうぞ浩之には心ゆくまで嘆いて欲しい。

 ああ、一体何でこんなことになったんだ、と浩之は胸中で嘆いた。ため息をつくような余裕はない。背中から何か嫌な汗が吹き出ているような気がする。表情も、たぶんかなり引きつっていることは浩之も自覚があったが、どうしようもないことはあるのだ。

 さて、浩之がこんな状態になるのには、少し時間をさかのぼる必要がある。それは、終業式だけで終わった一学期最後の日であり、明後日に合宿という名の地獄か天国か分からないイベントを控えた、嵐の前の静けさとも取れる、まったりしたお昼だった。

 

続く

 

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