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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(2)

 

 学校が終わって、浩之はいつもの面子との誘いを断って、もちろん志保がマシンガンのごとく浩之に文句を言って来たがスルー、他の二人に謝ってから、いつもの神社まで来ていた。

 浩之が神社に到着するころには、まだ制服姿の葵と、やはり制服姿の綾香がすでに待っていた。

「おつかれ〜」

「お疲れさまです、センパイ」

 軽く手をあげた綾香と、頭を下げた葵。性格が出ている反応だった。まあ、浩之はどちらかと言うと綾香寄りの性格なのだが。

「よう、二人とも学校おつかれ。まだ準備終わってなかったのか?」

 準備というのは、この場合着替えのことである。更衣室があるわけではないので、最近は葵や綾香は神社の中で失礼して着替えさせてもらっているが、着替えているところはなるべく浩之も近づかないようにしている。一度事故で、決定的な場面ではないとは言え、葵の着替えのシーンを見ているので、そういう事故がないように浩之も気を付けているのだ。

「じゃあ、ちょっと俺はそっちで着替えてるから……」

 もちろん浩之は外で着替える。別に見られて困るようなものはないので当然である。というか、運動をすればするほど、男というのはそこらへんに慣れてしまう部分もある。

「ちょっと待って」

「ん?」

 離れて着替えようとした浩之は、綾香に引き止められた。

「何だ、俺の着替えをのぞいても楽しくないだろ」

 実にまったくな話だ。綾香や葵の着替えシーンならばお金が取れる、もちろんそんなことをしようとするのならば、浩之はそれこそ命がけで止めるが、だろうが、男の着替えなど何も面白くない。むしろ金をもらっても見たくない。

「その点については、どうかは分からないと思うけど」

 ちょっと不安なことを言う綾香。何というか、いつもとは違う身の危険を感じる言葉だ。というか、浩之としても、深く意味を考えるのははばかられるような気がする。葵も、顔をあからめてちょっと目をそらしていた。

「綾香が変なこと言うから、葵ちゃんが困ってるだろ」

「そんな話題を振って来たのは浩之じゃない。どっちかと言うとそっちの方に非があると思うんだけど」

 いやごもっとも。

「で、どうした? こっちで練習できるのは、今日と明日ぐらいだろ?」

 それが自分の危機の序章であることを、浩之はこのとき、まだ知らない。天才であっても怪物ではない浩之は、預言者ではないのだから。予言となると怪物でも無理ではあるのだろう。予見であれば、ありえたのかもしれないが。

 浩之の言いたいことはこうだ。暇をつぶしている時間はないだろう、と。

 合宿が終われば、しばらくはこの部活も活動停止だ。合宿終了から、それぞれが各自でエクストリームの為の特訓に入る。綾香はどうか知らないが、浩之と葵は、指導者について限界以上に練習しなければ、試合に間に合わない。いや、今からでも遅すぎるのではとすら思う。

 もちろん、今までだって遊んできたわけではない。実際、今の浩之の身体は無茶な練習の為にぼろぼろだ。坂下との戦いで疲労していた綾香は早々に回復してしまったので、酷さで言えば浩之の身体の方が酷いだろう。葵も浩之と似たようなものだ。怪我だけには気を付けてはいるが、疲労、という点だけで見れば、二人とも決して健康とは言えない。

 それだけ、切羽詰っているのだ。綾香と坂下が戦う前から、そして戦った後には余計に。

 浩之など、最近は授業中すら握力を鍛えたり柔軟を行ったりしている。席に座っていても、やろうと思えば鍛える方法は色々あるのだ。そうしながら、頭の中ではイメージトレーニングを繰り返す。身体を鍛えるは最重要だし、反射で出せるほどの技でなければ、使い物にはならないが、相手がいる以上、イメージトレーニングは欠かせない。本当に何も考えずに戦えるほど、試合というのは甘くないのだ。そして何もしていないときは、身体の回復の為に寝るようにしている。僅かな時間でも、無駄には出来ない。

 しかし、不思議なことに、期末試験の結果はそう悪くなっていなかった。さすがに前よりは落ちたが、一夜漬けすらしなかったことを考えると、むしろ良くなっているのではとすら思える。

 さすがにまったく勉強しないのはまずい、少なくとも赤点は回避しようと思って、授業中に十分間ほどは真面目に授業を理解するようにしているのだ。少なくとも、その間は身体は休められるので、無駄ではない。さすがに全部覚えられる訳ではないが、案外そんな方法でもそこそこは覚えられるようで、今までいかに授業中の時間を無駄にしていたかが分かるような結果になった。浩之の頭の出来がいいことは、本人には自覚がない。

 まあ、いくら浩之の頭の出来が良かろうが、勉強せずに点を取ることは不可能で、このままこのペースで格闘技を続けていたら、大学に行くほどの学力は維持できないだろう。これで大学に行くか、本当にプロとして格闘技の世界に足を進めるしかなくなるのだが、そんなことは今の浩之が気にすることではなかった。

 全ては、今だ。今、どうなっているかであり、今、綾香にどれほど近づけるか、なのだ。

 絶望的としか思えない実力差。だが、少なくとも伸び白は、浩之の方が多く残されているはずなのだ。それに、浩之はかけるしかない。葵だって同じ考えのはずだ。でなければ、こんな希望もない戦いを、続けてなどいられない。

 しかし、そんな浩之達の努力を、知ったこっちゃないと言わんばかりの態度で、綾香はいきなりこんなことを言い出した。

「今日の練習、なしね」

「は? なし?」

「そ、今日はお休み」

 葵や浩之は、来ないときは事前に連絡をしているが、綾香は来るか来ないかはいい加減で、綾香も事前に連絡をしたりはしない。二人が来ないときはこちらから葵が連絡するようにしている。

 だから、綾香がいきなり部活の有り無しを決めることはない。二人だけの部活というのも名前だけの個人の活動だが、綾香はそれにしたって、実際のところは部外者なのだ。

「何だよ、いきなり。本番まで、葵ちゃんと練習する時間が後二日しかないんだから、いきなりなしと言われても納得しかねるんだが」

 正直、そろそろ葵が浩之に教えられることは少なくなっていることは分かっている。葵は努力型だが、それでも自分の動きを細部まで意識して動かしているわけではない。結局、どれだけの理論よりも、何度も練習して、自然に動きが最適化されることの方が重要で、葵はそれを練習で会得しているのだ。

 基本の基本は教えられるが、すでに浩之は基本を抜け、次の段階に入っている。葵が、ただ動きを見て浩之に教えられることは、もうないだろう。それでも組み手をすれば十分練習にはなるが、それは葵でなくとも出来ることだ。

 何より、エクストリームでは、どちらかと言えば浩之は小柄の内に入るだろう。背は低くはないが、横が細い。その背で言っても、浩之よりも小さい選手はあまりいないだろう。やはり体格というのは武器なのだから、本戦に残っている者も、身体の大きな者が多いのだ。だから、身体の大きな相手と戦う方がエクストリームの練習にはなるのだ。その点を、葵は満たしていない。

 まあ、お互いに、最終目標とするものを考えれば、理想の練習相手にはなるのだろうが。

 しかし、残念なことに、葵にとっては、浩之は物足りない相手であろう自覚が、浩之にもある。まだ、浩之は葵と同じ領域にたどり着いていない。葵の練習には、それこそ坂下ほどの実力が必要になってくるだろう。そして坂下は、まだ入院したままだ。だいぶ治ってはいるようだが、組み手などできる訳もないし、衰えた身体では、葵の練習にはならないだろう。

 つまりは、葵が身を削って練習に付き合ってくれる時間が二日しかないのだ。明日は丸一日練習にかけることにはなるが、それだって、決して多いとは言えない。

「綾香でも、いきなり練習の邪魔はないだろ」

 だから、いきなりの綾香の我侭を、いつもながらそれでも受け入れる浩之だが、今日ばかりは反論していた。道理が通っていないのは綾香の方で、綾香は鬼のような性格はしているが、道理が通っていないことは自覚できるほどの常識は持ち合わせているはずだった。残念ながら、良識に関しては疑うしかないのだが。

 しかし、綾香の言葉は、かたくなだった。

「何と言っても、今日の練習はなしよ。やりたければ、用事が終わって家で一人でやって」

「用事?」

 まあ、単に練習はなし、というのは確かに不自然で、ならば何かしらの理由があるはずだった。それが用事なのだろう。

「何だよ、練習よりも優先される用事って」

「買い物よ、買い物。もちろん、浩之にも来てもらうわよ」

「買い物だ? 何か合宿に必要なものでもあったか?」

 話では、合宿には、最低限の道具もまかないもついており、服以外でこちらが用意するようなものはないはずだ。そもそも、空手部の合宿についていくので、道具自体はそちらに都合してもらばいいだけなのだ。

「水着よ、水着。だって、葵、水着買ってないって言うのよ?」

「……は?」

 浩之は、思わず間抜けな声で綾香に聞き返していた。

 

続く

 

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