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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(9)

 

 葵もかなりてんぱってはいたが、それでも、綾香の言葉に流されてしまった以上、葵にも責任があるからいい。

 その葵よりも、浩之はさらにてんぱっているのだが、それは浩之の所為なのか。

 第三者の目から見れば分からないだろうが、少なくとも、浩之は自分に責任が少なからずある、と思っていた。この場合一番悪いのは綾香である、その一点だけはどうやっても転ばないにしても、浩之とて責任を逃れることは出来ないのだ。

 水着売り場に一緒に入り、あまつさえ更衣室に引っ張り込まれたこと自体は、浩之にとっては予想外だが、二人の水着が見たいと思った気持ちには、嘘はない。

 まあただのエロであるが、考えてもみて欲しい。綾香と葵という美少女から、水着を見せてあげると言われて、断れる男子高校生がいるだろうか? 否、ありえない、と浩之は声を大にして言える。だって自分がそうであるからだ。

 直接着替えを見る訳ではないが、一緒に更衣室に入るなど、それこそ二人の親御さんどころか学校中の男に殴られても仕方ないほどの幸せ者だろう。

 ただ、そこまでは浩之が望んでいなかった。というか、そういう流れになること自体がおかしい。しかも、綾香と葵の二人にかかっては、浩之が腕力でかなう訳もない。さすがに大声を出して助けを呼ぶほど、浩之のプライドは自由奔放ではなかった。

 こんな場面、知り合いに見られれば、浩之の身の破滅だ。志保に知られればどれほどの噂をたてられるか分かったものではないし、言い訳すれば分かってくれそうなあかりにだって見られたくない。

 しかし、ここまでの危機を目の前にして、浩之は、逃げ出すことも出来なかった。

 すでに綾香と葵の手は離されている。今なら、逃げることも可能だ。更衣室から男が出て来るという場面は、それはそれでまずい気もするが、それこそ一瞬で済む話だ。こうなった以上、多少の危険は致し方ない。余計に状況が悪くなる前に、逃げるべきなのだ。

 そうは分かっていても、カーテン越しに二人の着替えが行われているこの状態は、浩之の危機感すらも麻痺させていた。

 浩之の中の悪魔なのか何なのか分からない声が、こう言うのだ。

 どうせこうなってしまえば、危険はどっちでも一緒なんだから、この役得を楽しまないで、それでも男か?

 まったくその通りと浩之は同意しながら、しかし、もう一つの天使なのかへたれなのか、やはり分からない声が聞こえる。

 バカ言うな、このままここにいたら、余計ピンチになるなんて目に見えてるだろ。自分の身が可愛いならさっさと逃げろ。いくら綾香が怪物でも、水着姿では追ってこれないだろ。後からどう言われるとしても、この危険よりはましだろ。

 そちらにも、浩之は同意した。というよりも、浩之の危機感知のアラームが、さっきから大音響で頭に響いているのに、気付かない方がどうかしている。

 まずい、このままでは、本当にまずい。

 実のところ、何がまずいのか、浩之はこのとき理解していなかった。だが、確かに、色々とこの状況はまずい。この状況を目撃されることを除いても、十分に危険だ。

 さあ、動け、俺の身体。動くんだ!!

 エクストリーム予選でダメージで身体が動かなかったとき以上の努力を持って、浩之は床に張り付いたように動こうとしない足をもちあげる。その浩之の中の葛藤は、浩之には無限の中で行われたように感じたが、実際は十秒ほどだった。

 浩之の鋼の意志と自分の身可愛さに、やっとのことで、片足が床から離れた、その瞬間だった。

 シュルッ

 カーテン越しに聞こえて来た、かすかな衣擦れの音が、浩之を硬直させた。決死の努力で動かした足は、その体勢のまま、またぴくりとも動かなくなった。

 ジジジーッ

 ちゃんと仕切られているとは言え、それでも外の音は聞こえる。だが、浩之の無駄に高性能な、芹香の言葉を聞き逃さないぐらいの、耳は、その音をちゃんと聞き取っていた。さっきの音は多分ジッパーを下ろす音なんだろうなあ、というあたりまでつけていた。

 いや、さすがにまずいだろ、これ!!

 浩之はエロい。今更それを否定する気はないが、分別ぐらいは持っている。親しい女の子の着替えを、覗きこそしないものの、その音を聞いて色々と妄想してしまうことを良しとはとても出来なかった。

 落ち着け、音さえ聞かなければ、大丈夫だ。般若心経でも素数でも何でも考えろ!

 だが、聞くまいとすればするほど、余計にその音を耳は拾ってしまう。人間は音の取捨選択を意識的に出来るものではないし、もしそれが出来たとしても、聞かないと意識すれば、それは意識して拾ってしまうことにもつながってしまう。そこまではうまく出来ていないのだ。

 もっとも、これが浩之の耳でなければ、ここまで聞こえることはなかっただろう。無駄に高性能であるのも、こういうときは考え物である。

 そしてまた困ったことに、だからと言って聞きたくないのか、と言われると答えに窮するのだ。それが証拠に、さっきから耳をふさごうとしているのに、浩之の腕は先ほどの足よりもさらに動こうとしない。動けば綾香達に気付かれると思っているかのようだった。

 カーテンの向こうでは、綾香と葵ちゃんが裸で……いや、いかんいかん。集中だ、集中……いや集中もまずい。何か別のことを……

 浩之の無駄な努力は、そのまま無駄であった。考えまい、と思えば思うほど、浩之の意識はそちらに集中してしまうという悪循環に陥っていた。ならば、せめてこの時間がすぐに過ぎ去ってくれれば、と思うのだが、そう思えばさらに時間の進みを遅く感じる。

「浩之」

「お、おう、何だ!」

 カーテンの向こうから、いきなり綾香の声が聞こえて、浩之は変な声を出してしまった。

「……何かあせってなかった? まさかほんとに覗こうとかしてないわよね?」

「い、いや、そんなこと少しも考えてないから、ほんとだって!」

「ふーん、まあ、いいけど」

 綾香は怪しんでいる様子だったが、実際、浩之は覗こうとなど少しも考えていなかった。

 覗くとかそういう余裕のある状態じゃないことぐらい悟れよ!!

 そもそも、今の位置から少しも動けないのだ。覗くことなど無理だ。ただ音が聞こえるだけでもこうなのだから、覗きなど不可能だ。

 まあ、綾香の場合、そこまで理解して浩之をいじめて楽しんでいる可能性があるのだ。綾香は、男女の間のことだけはそう天才でもないようなので、そういうことはないであって欲しい、と浩之は切に願うのだ。肉体的な危険だけでも限界なのだから、これにさらに精神的な攻撃が加わるのだけは止めて欲しかった。

「で、何だよ?」

 しかし、綾香に話しかけられたことで、浩之は少しだけ余裕が出来た。少なくともしゃべっていれば、着替えの音は最小限しか聞こえないし、会話の方に意識を向けることでやり過ごすことも出来る。

 綾香は、苦笑しながら、多分カーテンの向こうでは頭をかきながら言った。

「あー、いやー、考えてみたら、水着見せるのはともかく、着替えはちょっと恥ずかしいかなと」

 恥ずかしいから、しゃべってごまかそうとした訳だ。まあ、浩之が会話で救われたのと同じ方法であるから、効果はあるのだろうが、その前に。

「もっと前に気付けよ!!」

 さすがに、浩之はつっこみを入れるしかなかった。

 

続く

 

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