綾香は、血の涙を流しそうなほど悲しみにくれる浩之を、楽しそうにしばらく堪能していた。実際、綾香には、これ以上楽しいことはないのだろう。悪趣味、いやいや、いい趣味である。まさに悪魔の名に恥じない行為だ。
「ほら、浩之、そろそろ機嫌治しなさいって」
「嬉しそうに笑いながらそんなこと言うやつの言葉を素直に受けられるか!」
浩之が苦悩しているのを見て楽しんでいる様を、綾香はまったく隠そうともしなかった。まあ、隠さないのは、より浩之が苦しむ様を見たいが為なのかもしれないが。
「もう、そんなこと言って。何、裸は見たいけど水着姿には興味ないの?」
「と言われても……」
思わずその言葉につられた浩之が綾香の方に目を向けると、楽しそうな綾香と目が合った。
肩ひものない、一体どうやってそこに布を保持しているのか分からない水着だ。まあ、スポーツブラに近い構造をしているのだろう。色はライトグリーン。セパレートでお腹は丸出しだが、切れ込み自体は緩やかで、派手ではない。胸元も完全に布に覆われているので、色気には少し欠けるかもしれない。
しかし、それは綾香の魅力を損なうものではなかった。水着であるのだから当たり前だが、肌に密着し、ラインを完全に見せていることと、普通の服とは比べものにならないぐらい肌を隠す面積が少ないのだ。
水着が例え普通であっても、大して関係などない。綾香の完璧とすら言えるプロポーションが遺憾なく発揮され、浩之はしばらく目を奪われていた。
「……あ、いや、興味あるぞ。さすが、かわいいな」
「へへ、もちろんよ。まあ、まずは最初だからおとなしめの水着選んでみたんだけど……って」
綾香がまんざらでもない顔で得意げに自分の姿を見せびらかせようとして、そこで固まる。理由は、浩之の凝視にあった。
「ちょっと、褒めるのはいいけど、凝視されるとさすがに恥ずかしいんだけど。さっきみたいに、ちらっと見るなり出来ないの?」
確かに、見せる為の水着を選んでいるのだから、見ること自体には問題はないが、それにしたってまじまじと見過ぎである。もうちょっと慎みを持って見るべきだろう。
「ああ、だが断る。裸なら問題だが、水着なら問題ないだろ」
男らしく浩之は言い切る。その間も、まったく綾香の水着姿から目が外れない。さすがの綾香も、少しもじもじしている。裸ならそれこそ大事だが、だからと言って、水着なら凝視していいという言い分には、かなり問題があるような気もする。というか問題しかないだろう。
だが、これは綾香が悪いとも言える。ただ水着を見せるだけならば、浩之もそれなりに恥ずかしがったりしたのだろうが、先に裸を意識させた分、浩之の恥ずかしさに対する基準が低くなったのだ。でなければ、浩之だって凝視出来たりしない。
若いというだけでは説明出来ないほどに、きめの細かい、シミ一つない肌に、出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込み、そしてただ細いのではなく、絞り込まれて鍛えられた上に、女性らしい丸みを無くしていないライン。
改めてみると、綾香の身体は芸術品とすら思えるほどだ。
「やっぱ綾香、いい身体してるな」
「……スケベ」
むすっとしながらも、まんざらでもない表情で、綾香は胸を浩之の視線から隠すように、腕を前に組む。そっちの方が胸が強調される気がするのは気のせいだろうか?
「ま、待て待て、そう言う意味じゃないって。均衡の取れた身体って意味だ。さすが綾香、身体のラインは完璧だよな」
もちろん、身体のラインには綾香だって自信はあるが、それを面と向かって浩之に言われると、さすがに恥ずかしいものがあるようだ。
「もう、あんまり変わらないじゃない。だいたい、スポーツタイツとかで身体のラインは見えるもの多いから、いつも見てるじゃない」
「いやいや、水着とスポーツタイツじゃ別物だろ」
確かに、スポーツタイツは格好いいものの、可愛さとかいうものはない。ラインは出るので、その手の趣味の人にとってはいいのかもしれないし、健康的な色気、というのならば否定するほどではないが、さすがに色気の方を重視している水着と比べると見劣りするのは当然だった。
綾香は、浩之の視線に耐えかねたのか、カーテンを自分から閉じる。
「……勝った」
浩之はささやかな達成感にひたっていた。綾香を、恥ずかしさで撃退したのだ。綾香をどんな方法であろうと退けたことは、偉業とすら言えるだろう。ただまあ、女の子の水着姿をじろじろと見て、女の子が耐えきれずに逃げた、と聞くと、浩之のことが性的犯罪者にしか思えないのは何故だろうか。
そんな浩之のつぶやきが聞こえたのだろう、カーテンの向こうから、綾香がつっこみを入れて来る。
「誰が負けたのよ。見てもらう水着はこれだけじゃないんだから、時間かけられないでしょ。それより、ちゃんと感想まとめときなさいよ」
言われてみれば、綾香も葵も水着を何着も持って入って来ている。綾香の水着、というだけでも浩之は十分満足であるが、別に綾香は浩之を満足させるために水着を見させている訳ではないだろう。
いや、浩之はそんなことは考えていなくとも、綾香と葵の方には、浩之に見てもらいたい、という気持ちがあるのだから、目的はある程度それでも達成出来ている。少なくとも、綾香の方は。
「セ、センパイ……」
もう一方のカーテンの向こうから、葵の、いつもからは考えられないほど弱々しい声が聞こえた。声だけで言えば、坂下と試合をしたときよりも弱気になっている。
まあ、それはそうだろうと浩之は思っていた。いくら何でも、異性の先輩に水着姿を見せるのは恥ずかしいだろう、としごく常識的な判断を浩之はしていた。綾香に何か騙されるように来てしまった葵だが、綾香みたいに平然と、まあ浩之の視線の所為で恥ずかしくなったようだが、水着を見せる方がどうかしているのだ。
「葵ちゃん、無理しなくてもいいから? 綾香ほど羞恥心がないなら平気かもしれないけど、葵ちゃんには辛いだろ?」
葵の身を気遣って、暴言を吐く浩之に、先ほどの恥ずかしさはどこへやら、非常ににこやかな声が、カーテン越しから、浩之に向けられた。
「浩之〜」
「ん?」
「後から殺すから」
何、人を痴女みたく言ってくれてるのよ、と綾香は非常に優しい声で浩之を諭す。まあ、この後バイオレンスが吹き荒れるので、それを優しいと言ってしまうにはいささか抵抗がある。浩之は責任を取って全殺しの目に遭ってもらうことにはなりそうだった。
「は、はは……」
さすがに浩之も笑うしかない。綾香ならする。言ったからには、浩之をきっちり殺すだろう。身から出た錆だし、同情する余地もなさそうだ。
「ま、まあ、そんな訳で、葵ちゃんは別に俺に見せなくても……」
「い、いいえ、それじゃ意味がありません! 恥ずかしいですけど……がんばりますっ!」
ああ、葵ちゃんかなりてんぱってるなあ。葵ちゃん、一度決めたらてこでも動かないからなあ、と浩之は半分心配して、半分感心していた。葵の頑固さは、確かにそれが弱点になることもあるが、何かをやり遂げる為には、心強い力とも言えるのだ。
まあ、その葵の頑固さが、今回は良くも悪くも作用したようで。
「……いきますっ!」
決心を決めた葵は、大きくカーテンを開け放った。
続く