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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(13)

 

「とまあ、そういうことがあってだな」

「……ほほう」

 葵のマウントも綾香のいじめも何とか乗り切った浩之は、地獄とも天国ともつかない買い物を追え、帰途につくかと思いきや、そのまま武原道場に来て、ストレッチをしていた。家よりも武原道場の方が近かった所為だ。最近は、着替えも何着か置いてあるので、およばれになる夕飯を考えると、前よりも良い生活を送っている、とはさすがに言えない。

 何せ、武原道場の練習はハードだ。非効率なのではと思うほどハードだ。三食昼寝付きであったとしても元が取れるとは思えない。

 それでも話す余裕があるのは、これが柔軟だからだ。

 柔軟は、考えている以上に重要な練習だ。柔軟をしておけば、怪我の確率はぐんと下がるし、そもそも稼働域の拡大というのは、そのまま直に実力の向上につながる。今時、そこまで直接的な効果を発揮するものもない、と思うほどに、劇的にだ。

 だが、その反面、個人の限界も早いし、何より、時間をかける以上の練習方法がないのだ。いきなりハードにやっても、反対に身体を痛めるだけなのだ。武原流、というか修治と雄三のハードな練習の中で、唯一静かな練習なのだ。

 ただ、だからと言って楽というものではない。稼働域以上に保たなくては意味がないのだから、常時かすかな痛みを感じなければならないのだ。武原流では、この常時痛みを伴う時間を長くすることで、驚異的な稼働域を手に入れる。

 誤解しないで欲しいが、柔軟に時間をかけることは間違いではないが、一カ所の柔軟に、むやみに時間をかけるのは間違いなのだ。時間をかければ、抵抗力は弱まるかもしれないが、それはあくまで抵抗力の話で、決して柔軟になっている訳ではない。過度に柔軟を行えば、関節技を決められたかのように身体を痛めることだってあるのだ。

 しかし、武原流では、その問題を知っていながらも、一カ所の柔軟に時間をかける。痛めることも視野に入れて、しかし、稼働域を手に入れる為に、無茶をするのだ。武原流とそれを習う男達は、人にも自分にも優しくないのだ。

 そして、浩之は、少なくとも柔軟性については才能を開花していた。最初は股裂きなどをやられていたものの、今ではその程度ではびくともしない柔軟性を手に入れていた。このままでいけば、修治の領域に到達するのもそう遠い未来ではない、それほどの成長だ。

 で、才能にはそれこそ余るほどに恵まれている浩之は、危機感がなさそうに、修治としゃべりながら柔軟をしている最中だった。ちなみに、武原流では、練習中の私語は推奨している。問題にしないではない、推奨しているのだ。力を入れているときに、通常の会話をすれば分かる。そのまま力を込めておくのは難しいことに。武原流は、力を入れ難い状態でも力を入れる術を練習するのだ。他にも、息が切れているときの会話ほどきついものはない。意味がないようでいて、それは鍛錬を視野に入れたものなのだ。

「まあ、それから色々と水着を取っ替え引っ替え二人が見せてくれたんだが、さすがに葵ちゃんのあのインパクトに勝てるものはなかったな。いや、葵ちゃんに似合ったのは、フリルのついた青い普通のセパレートだと思うんだけど、それとこれとは話が別……って、修治、何でいきなり立ち上がってコパーッとかおっかない息吐いてる……ちょ、ちょっと待て、何だ、その今から必殺技を出しますよ的な構えは!?」

「例え天や読者やフラグの神様が許しても、この俺が、お前を許さん。今なら、『アレ』が使える気がする」

「いや、いきなり何で俺に死亡フラグたててんだ?! てか、何故に二重括弧!?」

 浩之は飛び跳ねて修治から距離を取った。まさに鬼神のごとく仁王立ちになっている修治の気迫は、尋常ではない。修治は本気だ。この人外の化け物並の強さを持つ男が、一度本気で浩之を叩けば、命はないだろう。緊張に、ごくりっ、と浩之は唾を飲み込む。

「俺の方がことごとくうまくいってないのに、お前と来たら、可愛い女子高生を二人も連れて、水着の試着を見せてもらうだ? 許せん!!」

「逆恨みどころか、単なる八つ当たりじゃねえか!! いやいや、落ち着け、修治。そりゃ俺だって役得だな、とは思ったけどさ。考えても見てくれよ、男の身で、女物の水着売り場にいる、居心地の悪さ。あれは、針のむしろのようなもんだぞ」

 それでもいい、と言うお方は、多分想像力の欠如にお悩みだと思われる。というか、女性の力が強い場所ほど、男にとって肩身の狭い場所はないのだ。女性相手ならば、男は親切にならないと白い目で見られるが、女が男のことを邪険に扱っても、それほど悪く見られないのだ。全部が全部とは言わないが、男女の差というものは不公平なものなのだ。

 いくら浩之がエロいと言っても、それとは別の話だ。オープンだろうがむっつりだろうが、あそこに長居したいと思う男はいないだろう。

「ああ、俺にもそれを耐える自信はない」

 かの怪物から、敗北宣言を取れるほどに、致命的な場所から、浩之は帰還したのだ。誇るのはちょっと止めた方がいいと思うが。

「だが、そうと分かっていても、お前をのさばらせておく訳にはいかない!! 全世界のもてない男代表として、それだけは曲げられん!!」

 いや曲げろよ。つうか俺がいつからもてるようになった。

 さすがにここまで出来上がっている修治に文句を言うのは、命に関わりそうなので、浩之は心の中でだけ突っ込みを入れる。しかし、浩之がもてないとか、むしろそっちの方に突っ込みを入れたいものだ。

「えーと、今頃気付いたんだけど、師匠は?」

「好都合なことに、所用で出てる。多分数人血祭りにあげて帰って来るか、冷たい骸になって帰って来るかするだろうが、今はそんなこたー関係ねえ」

「いやそれだけでも十分に物騒なんだが」

 雄三は、今どこで誰を殺し、誰に殺されているのだろう? 正直、あれも負ける姿の想像がつかない人物であるから、まあ、多分血祭りにあげている方なのだろうが。

 どちらにしろ、ここにいないのでは、突っ込みの助けは期待出来ない。ゆるゆると腕を動かし、今まさに必殺の技を繰り出す気満々の修治を目の前に、浩之は哀れなほどに儚い。三回ほど殺されるべきであると言うのが、色んなものの総意であろうから、別に問題ないかもしれない。

 しかし、浩之だって、ただ殺されるのを座して待つ、などというほど、潔い男ではない。石にかじりついてだって目的を達成するだけの意志が、浩之には確かに備わっている。というか、ここで浩之ががんばらないと、綾香伝、完とかになりかねない。

「う、うまく行ってないって、どうしたんだ?」

 普通ならば、修治に悪い話を振ったりはしない。誰だって、うまく行っていないことに口を挟まれればいい気はしない。普通ならば即攻撃が来るところだ。しかし、死中に活を見いだす方法を、浩之は選んだ。

 修治は強い。それは間違いないのだが、こと男女の仲となると、てんで役にたたなかった。しかし、人間的に見ても、弱くはない。愚痴だって口にしたりはしないだろう。だから、反対に愚痴を聞くだけでも、全然違うのでは、と浩之は考えたのだ。

 じろり、と修治は浩之を睨む。やばい、失敗した、と浩之は思った。かくなる上は、ここから逃げ出さなければ、と覚悟を決める。

 さて、武原流は、ごった煮のような流派である。強いと思えば、どんな技であろうとも、吸収することに躊躇がない。ようは、己の肉体を持って相手を打破出来ればそれで良い、と思っているふしがある。手段を選ばない、とまでは言わない。あくまで、自身の力と技であることが重要なのだ。人質を取って勝つ、という手段は、武原流には含まれない。自分の力ではないからだ。だが、自身の有利な地形で戦うのは問題ない。それが策というものだ。

 そして、勝つ為であれば、プライドなどかなぐり捨てる。それこそが武原流のプライドだ。例え、目下の相手に頭を下げても、それで有用な技が手に入るのならば、躊躇はない。そういう考えが徹底している。

 目の前には、もてない男の敵、もてる男がいる。しかしだ、殺すなど、いつでも出来る。それよりは、今は、このもてる男から助言を受けることこそ、重要ではないのか?

「……それが、色々話しかけたり、ご飯に誘ったりしてるんだが、なかなか色良い返事が返って来なくてな」

 少しは考えたものの、背に腹は代えられない、をモットーとして生きて来た武原修治は、目下の相手に、恋の相談をするという手段を取った。

 恥ずかしい? いいや、勝つ為ならば、何でもする。恥など、一時のものだ。勝利の前では、そんなもの細事でしかない。

 覚悟を決めた男というものは、こういう者のことを言うのだ。

 もう一度言うと、修治は異常なほどに強い。ただし、色恋に関しては雑魚もいいところだ。

 だから、大きな間違いに気付いていなかった。浩之は、プレイボーイではなく、単なる顔と才能と天然で、女性にもてる、ということを。天然の助言ほど、状況を混乱の坩堝に落とし込むことを、修治は、未だ知らない。

 そんな修治に送るとすれば、この一言だろう。ご愁傷様、と。

 

続く

 

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