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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(16)

 

 「おい、そっちに逃げたぞっ」「逃がすな、囲め囲め!」「てめえらだって好恵のこの水着姿見てみたいだろ、怖い物見たさも含めてっ」「坂下先輩がそんな格好して海を歩いてたらあまりの格好良さに女の子にナンパされちゃいますっ」「いや、俺はそこまでは言ってないんだが……」「すげえ、さすが御木本先輩。私達に出来ないことをやってのけるそこに憧れたりはしないけど」「つか何で俺が言ったことになってるっ!」「問答無用、大人しく縛につけっ」などなど言い合いながら、道場の中はかなり混沌とした追いかけっこが行われていた。さすがは御木本である、この人数相手に、道場の中でもまだ逃げ回っている。坂下は命令を下しただけで、怪我で追いかけられないのも大きいだろう。

「……何か楽しそうだな」

「そうですね、まあ、私の行ってる柔道道場も、こんなところはありますね。一人を追いかけてたりはしないですが」

「まあ、普通はそうだよな」

 むしろ普通は上下関係に厳しく、いくら主将命令とは言っても、先輩が後輩達に追いかけられる、ということはないのだろう。運動部に所属したことのない浩之には、想像以上のことは言えないが。

 半分あきれて、そして半分は何か良く見る光景だなあ、などと思いながら、浩之と葵は、道場の入り口でこの混沌とした状況が改善されるのを待っていた。

「お、葵に浩之。遅かったね」

「すみません、遅くなりました」

 葵と浩之は、この空手部には所属していない。浩之が一度顔を出したぐらいで、葵は実際近づきもしなかった。葵も、色々と思うところがあったのだ。エクストリームに専念する意思表示みたいなものだろうか。ただ、それに意味があったとは思えないし、ある程度余裕の出来た今となっては、空手部に顔を出すのも別に嫌とは感じていなかった。

 空手部に入ろうという訳ではない。今日は、空手部の合宿にお邪魔するので、その顔出しと諸連絡を聞きに来たのだ。

 約束はもう少し早い時間だったのだが、一度浩之達の方も部活をしているので、少し遅くなってしまったのだ。

「ま、この状況じゃあ、話が進んでるとも思わないけどな」

 部員ほぼ全員(怪我をしている坂下と、怪我アンド追試の勉強をしている健介以外)と御木本の追いかけっこは、簡単には御木本の負けで終わりそうには見えない。御木本の逃げ脚はまさに驚異だ。

「まったくその通りだけど、今回はうちの部活についてくるんだから、少しは遠慮した物言いぐらいしたらどうだい?」

 坂下は浩之に言い返す。ただ、笑いながらで、本気で責めている訳ではなく、実際坂下もそう思っている。

「そうだ、藤田。いっちょあんたが御木本捕まえてよ。正直、他の部員じゃ、逃げる御木本を捕まえるのは難しそうだしねえ。せめて健介が使えればもうちょっといけるんだろうけど、見たように、怪我と追試の勉強で、バカには付き合わせられないからねえ」

「いや……正直、俺でどうなるとも思えないんだが」

 浩之の見立てでは、逃げる御木本の実力は未知数。少なくとも、浩之が楽して勝てる相手ではないことは間違いないだろう。必死で追いかけているランの実力は知っているし、そのランが多人数と一緒に捕まえようとしているのに、まったく捕まる気配がないのだ。浩之が入ったところで、そう変わるとは思えなかった。

 坂下としては、浩之を混ぜるのは冗談だが、もし浩之が追いかける方にまわった場合、御木本だって楽には逃げられないだろうと考えていた。変な言葉だが、逃げる経験と言えば圧倒的に御木本が有利だが、浩之の色々な才能は、正直御木本を凌駕している。最近は、実力もそれに伴いだした。

 冗談を言い合う中で、坂下は、考えていた。浩之の唯一の弱点は、結局、自分と他人を正しく評価出来ていないことなのだ、と。それは、何気なく考えるには、あまりにも核心に近すぎるものだったが、何気なく考えようが、真剣に考えようが、坂下はこれを浩之に助言するつもりはなかった。

 核心に近い弱点を、言ったぐらいでは改善など出来ようはずもないし、そもそも、坂下には、浩之の足を引っ張る理由こそあれど、浩之を応援する理由などないのだから。

「で、一体何があってこんなことに?」

 坂下は、そんな心の内はまったく表には出さず、葵の質問に、微妙な表情で言葉を濁した。

「いや、それが、御木本のバカが水着なんか買って来て……まあいいわ。大した理由じゃないよ。御木本はいつも通りだね」

 それは、真っ赤なハイレグをすすめられた、というのを説明するのも坂下にとっては嬉しくない話だ。浩之も葵も、まあ大した理由でこんな状況になったのではないことぐらいは理解していたので、多くは突っ込まなかった。

 ちなみに、時系列的に言えば、あの地獄とも天国ともつかない水着の買い物よりも前の話で、ちゃんと浩之が坂下から話を聞いておけば、浩之はあの状況から逃れられた、とはまあ到底思えない、何せ関連性が水着しかなく、原因は水着ではなく綾香だ、ので、意味はないだろう。

「それで、気になったんですけど、そこで死人みたいな目をしてるのは……」

「ああ、見ての通り健介だ。追試に引っかかりやがったので、懇切丁寧に私らが勉強見てやってるんだよ」

「何か、いっそ殺せだの、試験考えたやつタイムマシーンで殺したいだの、天使が見えるとかつぶやいてるんだが」

 かなり頭にキてしまっているようだ。まあ今まで自分が勉強して来なかったのが悪いのだし、自業自得な訳だが、見ている分にはけっこう楽しいかもしれない。

「健介、追試引っかかったの?」

 葵に声をかけられて、健介ははっと我に返る。

「あ、葵の姉さんっ、いや、俺はさっきまで何か悪夢にうなされてたような……」

「いや葵ちゃんが来たからって別に勉強の方はなくならないとか俺は思うんだが」

 浩之の、健介に現実を知らせる実に無情な、しかし考えようによっては健介の為の言葉に、健介はぎらりと浩之を睨み付けた。

「てめえはお呼びじゃねえよ、姉さんはともかく、てめえは空手部に近寄るなってんだ」

 健介の口が悪いのは今に始まったことではないが、それにしたってこの後葵に注意されるのを分かっていても、健介は浩之への態度を軟化させない。

 案の定、葵が健介を注意しようとしたところで、浩之は手をあげて葵を制した。

「ま、合宿にお邪魔する身分だから、俺の方から引いておくか。ちなみに俺は赤点は一つもないからな。勉強がんばれよ」

「うぐぁっ!!」

 浩之もなかなかえぐい攻撃をするものだ。今の健介には、この攻撃はかなり厳しい。何せ口だけは減らない健介が、言い返すことすら出来なかったのだ。よほど勉強は健介の精神力を削るらしい。

「いいじゃねえかどうせ勉強なんて大人になったら役にもたたねえんだからそれならいっそ身体鍛えるのに集中してプロ格闘家とかになった方がもうかるとか思うんだよなどうせ学歴社会なんて給料いい仕事につくためのものなんだからそれでいいじゃねえか……」

 むしろ見ている方が哀れなほどに凹みまくっている健介を、生暖かい目で三人は見守ることにした。

「何か健介てんぱってますね。まあ、私も人に言えるほど、勉強は得意ではないんですけど」

「とりあえず、追試は免れるぐらいは勉強してたみたいだし、健介よりはいいんじゃない?」

 と、そこで御木本を追いかけていたランが、二人に気付いた。

「浩之先輩っ! と、松原さん」

 後のがかなり後付けだったが、しかしその名前に反応する者がいた。まるで条件反射のように、田辺が凹んでいる健介に走り込むと、タックルするようにしがみつく。が、いつもならば避けたり我慢したりも出来るのだろうが、今の健介にはそんな元気もなく、「きゃあっ」と田辺は健介と仲良くすっころび、ランというやっかいな敵がいなくなった御木本は完全逃走を試みるが、それを予測していた池田に先回りされていたり、まあ色々阿鼻叫喚な状態になっていた。

「……まあ、なんだ。にぎやかでいい部活だな」

「そうでしょ」

 浩之の精一杯のフォローに、坂下は苦笑しながら、しかしまんざらでもないという顔で答えた。

 合宿には、このメンツに、そしてさらに数名ほど、誰を取っても超危険人物と言われる人間が、これに加わるのだ。

 よく言えば楽しい、合宿になりそうだ、誰しもがそう思った。

 

続く

 

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