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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(17)

 

「……来ませんね」

「……ああ、来ないな」

「もういいじゃないですか、放っておいて行きましょう。遅刻してくる方が悪いんです」

「いや、まだ集合の時間は来てないから……しかし、来ないな」

 ランのけっこう無責任な言葉に、浩之はフォローを入れながら、時計を確認する。

 時間は早朝。まだラジオ体操も始まっていない時間だ。こんな時間なのに、そこには十人以上の高校生が集まっていた。言わずと知れた、坂下の属する、いや、坂下が統率する空手部だ。そこに、今日は浩之と葵が加わっている。

 坂下の好意とか綾香のわがままとか偶然とかその場の雰囲気とか色々重なって、浩之と葵は、空手部の合宿について行くことになったのだ。そして、今日はその出発日。こんな早朝だというのに、眠そうな顔の人間は数人しかいない。さすがは坂下が従えるだけのことはある、のだろうか?

 集合時間まではもう少しあるが、ほぼ全員そろっていた。ほぼ、というのも、残りは後一人だ。

「綾香さん、来ませんね」

「俺なんか、ちょっとわくわくして、かなり早く起きたもんなんだがなあ」

「あ、私もそうです。何かゆっくり寝てると、遅刻してしまいそうで。昨日なんて夜七時にベットに入りました」

 いや、さすがにそれは早すぎるのでは、と浩之は思ったが、つっこむのは止めた。実際、葵の嬉しそうな顔を見ていると、自分の当たり前のつっこみなど蛇足にしか思えなかったからだ。空手部の部員が、楽しみにしながらも、起こるであろう鬼のしごきを想像して素直に楽しめない分、葵の元気さはよく目立った。

「それにしても、葵ちゃんの私服見るの、久しぶりな気がするなあ」

 ちょっとだけレースのついた白い水玉の丈の短いワンピースは、下が見えそうで見えないぐらいにきわどいが、見えたところでは、下にはホットパンツをはいているようで、安心したような寂しいような思いをしたものだが、健康的な脚は外気にさらされていて、朝日の中でもまぶしいぐらいだ。葵の脚は見慣れているはずなのだが、おしゃれをすると、また一段と違って見えるものだった。

「え、そうですか? まあ、部活でいつもセンパイとは会ってますけど、休日には会いませんし、そうかもしれません」

「うん、こう見ると、やっぱり葵ちゃんはかわいいなあ」

 何の下心もなく、浩之はそう言った。確かに、今の葵が街を歩けば、男の視線は自然に集まるだろう。もともと素材がいいのに、そこにおしゃれが入れば、もう無敵だ。

「そ、そんなことないですよ。外行きの服も、そんなに沢山持ってませんし」

 葵ははにかみながら、服のそでをちょっとつまむ。これだけ見れば、元気が売りでも、非常に可憐な少女に見えるものなのだが。ただ、これでも大の男を苦もなく蹴り倒す打撃が放てる脚なので、見た目に騙されたら痛い目を見るだろう。葵には騙す気はないだろうが、正直、浩之の目から見ても、葵は自分の外見がどれほど可愛いものか、理解していないふしがある。

 まあ、自分の外見を理解していないという意味では、浩之もなかなかのものではあるのだ。それだけ見れば、お似合いの二人である。

 朝っぱらからお暑いことで、とまわりからは見られるだろう。少なくとも、そう思った部員は何人かいたようで、ランに一人がこそっと尋ねる。

「ねえねえ、藤田先輩と松原さん、付き合ってるの?」

 ランは、一瞬だけぴしっと固まったが、何とか平静を装って静かに、ゆっくりと、浩之に気付かれないように返す。何か横の方でげっ、という顔をしている健介、ちなみにさっきまで追試を免れたことをガッツポーズしていたバカを、後から蹴る、とランは心に誓った。

「付き合ってはいない、と思う。というか、浩之先輩は、誰かと付き合ってる訳じゃない、みたい」

 今の浩之の本命が誰であるか、というのは言葉にしない。しかし、付き合っていないことは、浩之の口から聞いている。あの優しい先輩が、自分に嘘をつく訳がない、とランは思っていたので、はっきりとそれを言い切ろうとして、しかし、考えてみると、自分がそれを知っている不自然に気付いて、言葉を濁した。

「ふーん、藤田先輩って、いかにももてそうだけどなあ。というか、実際かなりもててるし」

「そう」

 興味ない、という態度をランは取る、取らざるを得ない。

「同じエクストリーム出場選手でも、あの例のより、よっぽど格好いいし、前に来たときも、みんなに優しかったし、部員の中でも、狙ってる子沢山いるよ。ま、私もその一人なんだけどね。いやー、あのレベルの男はそうそういないっしょ。捨て置く理由はないね」

「……そう」

 ちょっと動揺しそうになったが、何とか平静を装うことに成功した。

 まあ、浩之がもてることは別に珍しいことではないし、そんなこと今更言われるまでもない。

「……ちょっと安心したかな」

「え?」

 そう言われて、ランはその子を見る。同じ部活、同じクラス。田辺達と一緒に、自分を仲間に入れてくれた、そう、仲間の一人だ。

「沢地さんって、ミーハーな趣味とか、そっちには全然興味ないかとも思ったけど、なるほどなるほど、ああいうのが趣味ですか。いや、いい趣味してるわ。同じ同士として心強いことこの上ないわ」

「え……あ、いや……」

 隠せていると思っていたが、それこそまったく隠せていなかったようだ。まあ、最近言葉数の多くなったランが言葉数が少なくなれば、誰だって気付くというものだ。それに気付けないのは、当のランだけだろう。

 ただ、それにしたって、すでに告白して玉砕、それでもあきらめきれないとかそんな状況になっているとは、さすがにばれていないようだが。想像の範疇を超えているのかもしれない。

「しかし、沢地さんも強敵だけど、松原さんは、ちょっと卑怯過ぎると思わない? あの外見で、エクストリーム予選一位でしょ? まあ、坂下先輩もタイプは違えど格好いいし、その坂下先輩に勝つぐらいの人だから、それも当然なのかもしれないけどさ」

「まあ……松原さんは強いけど」

 可愛さとかよりも先にそっちが来るほど強い。性格に裏表がなく、腹芸が出来るとも思えないので、恋の敵としてはそう恐れる相手ではないのだが、そういう部分につられる男もいるかと思うと、油断は出来ないだろう。何より、浩之と一緒に練習する時間が一番長い、というのは見逃せない。

「いっそのこと、御木本ゴミ先輩が松原さんに言い寄ればいいのに。松原さん、免疫なさそうだから、ころっといっちゃうかも……あー、でも駄目か、御木本先輩に引っかかるとはさすがに思えないし、それはそれで悲しむ人とかいるからなあ」

 さらに声を小さくしたその言葉に、えっ、とその驚きは、ランとしても、言葉にはならなかった。それはもう、驚きを通り越して、ランからリアクションを奪い去った。目だけは、いつになく不機嫌な御木本に向けられる。

 その子は、さらに声を小さくする。

「何人か、いるのよ。私が言ったってばらさないでよ? 沢地さんだから言ってるんだから。最近、沢地さん、御木本先輩と仲いいじゃない、そういうのを気にしてる子もいるのよ。ま、かなり軟弱な性格だけど、顔は悪くないし、悪人じゃないからね。ひっかっかっちゃう子はいる訳よ」

「いや、私はないから」

 にべもなくランは言い切る。それはそうだ。

「そうは思うけどね〜。恋愛なんて、どう転ぶか分からないし。いや、私もないと思うけどね」

 その子も苦笑している。顔には、いらないことまで言っちゃったなあ、と書いてあった。

 とりあえず、顔はともかく、悪人という意味では、御木本は悪人だ。目的の為には手段を選ばない。そして、手段さえ選ばなければ、なかなかの選択肢を持つほどの力がある。それを言えば、口は悪いが健介の方がよほど人間が出来ていると言える。

 まあ、どう転ぶか、と言われれば、分からない部分はある。ランだって、自分が浩之に転ぶとは、最初はまったく思ってなどいなかったのだから。

「また、御木本先輩が空気読まずに、部活の女の子にはまったく反応しないのも、要因の一つなんだろうけどね。坂下先輩が怖いのも分かるけど、見たところ、御木本は口だけね」

 そう、あの男は、軟派なのは口だけだ。実際は、一途で、そしてガチガチに、凶悪だ。

 とは言え、易い位置に御木本は部活では入っている。それをわざわざあばくほど、ランは御木本には興味はないつもりだ。正直関わり合いになりたくない。

「あー、どっかフリーのいい男落ちてないかなあ。沢地さんの話だと藤田先輩フリーだけど、さすがに分が悪……い……」

 その子の声は、ひそひそ話から、かすれて、聞こえなくなった。視線は、一点に引きつけられるように動かなくなっている。何事か、とランは振り返り、それを後悔することになった。

「おはよ〜、待った〜」

 見たこともないような美少女が、軽く手をあげて、近づいてくるところだったのだ。

 

続く

 

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