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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(19)

 

「ーーーーー澄み切った青い空、うだるような蒸し暑さ、足が取られる砂浜、まさに、特訓日和といえますな」

 はっはっはっは、と何が嬉しそうなのかまあ説明するまでもないことだが、この夏のまっただ中でどうしてそこまで暑ぐるしくする必要があるのかと言うほど暑ぐるしい、しかし頭の中は常に春のような無類なるバカ、寺町は手を大きく広げていた。いや、実に暑ぐるしい。

「さあ、すぐに着替えて砂浜をダッシュだ!!」

 今のメンツですらけっこうなカオスになっているというのに、皆、このカオスと不条理とバカを掛け合わせた男がいるのを、半分忘れていた。

 そうか、こいつがいたか。

 誰が、こんなやつ呼んだやつは。

 空気読め、空気

 この男がこの合宿に来るのは最初から分かっていたことだ。どういうか、合同合宿として企画したのだから当然なのだが、誰しも、思い出したくないものは積極的に思い出したくないのは、人間として当然だった。

 だが、意識から外していたとしても、バカはなくなるものではない。バカもここまで突き抜ければ、やはりバカである。特に空気読めとか、寺町には不可能なことを言っても仕方ない。バカが突き抜けた場合、制御など不可能なのだから。

 言わずもがな、みんなの(お笑い的に)アイドル、寺町である。

「今から荷物を置いて準備運動して砂浜に行ったら、海水浴客の邪魔になると思いますよ、部長」

「え〜い、だから主将と呼べと言っているだろうが。これだからうちの部活はなめられるのだ」

 なめられることは少なそう、というか、正直このバカにケンカを売るのは明らかに不利益を被りそうなのでやりたくないが、バカにされるとすれば、それは絶対に寺町の所為である。間違いない。

「お、藤田浩之君に松原葵さん、それに来栖川綾香さんですか。これはまた、実に楽しい部活になりそうですな。はっはっはっは」

 目が明らかに獲物を見る、というか腹を空かせたところに、目の前におかしを置いた子供のような目をしている。

「おい、寺町。あんまはしゃぐな。それこそ後輩に示しがつかないんじゃないのかい?」

 もし、坂下が絶妙なフォローをしなければ、何か因縁をつけて、いやつけもぜずに誰かに向かっていって、綾香辺りにはり倒されていたところだろう。いや、例え綾香でも、寺町を黙らせるとなると骨が折れる作業だ。バカは致命的な傷を負っても、それで止まるとは言い切れないのだから。そのへん、寺町は安心と信頼のおけるバカだから、間違いなく止まることはないだろう。

「むむむ、そう言われると辛い。自分の楽しさよりも部活を優先させる、仕方のないことか」

 もの凄く残念そうにしている寺町は、もう誰がどう見ても迷惑以外の何者でもなかった。

 まあ、こんなに迷惑で邪魔で夏には見たくないぐらい暑苦しい男ではあるが、これでも浩之を倒してエクストリーム予選二位で通過した、格闘バカであるのは違いない。浩之に、敗北の悔しさを刻みつけた張本人であり、そういう意味では、浩之としては複雑な相手だ。

「いや、実に今日が楽しみで楽しみで。恥ずかしながら、昨日はなかなか寝付けませんで、思わず十キロほど走り込みをして両腕が動かなくなるまでサンドバックを叩きまくったおかげで、ぐっすり眠れましたよ」

 まあ、何というか複雑さというのはどこかに置いて来たような単純な男なのだが、いかんせん普通の感覚では理解できないので、それはカオスになろうというものだ。

「しかし、坂下さんが怪我をしてしまったのだけは、残念です。今回こそは勝とうと思っていたのですが」

 今のところ、寺町は坂下に連敗中だ。一度とすら、坂下は寺町に遅れを取ったことはない。そして、その差はそう簡単につまるものではないのだが。

 この男が、鬼の拳の名を持つ、生きた伝説、北条鬼一の弟子になる。それは、なかなかにぞっとしない話である。坂下だって、それでも負ける気など、さらさらないが、無視できることではない。いや、この男は、無視するには、非常に邪魔過ぎる。どこにいても、目の端にうつってしまう。ジャンルが違えば、一角の人物になるか、あっさりと命を落としていただろう。そういう類の男だ。

「では、せめて来栖川綾香さんと一手……」

 それでも食い下がる、さすがは空気は読まず場所も選ばず、しかし相手をえり好みする寺町。葵でも浩之でもなく、綾香を選ぶ辺り、並々ならぬバカだ。

「嫌よ、今回私は遊びに来たのよ。相手なんてしてられないわ」

 しかし、綾香はそれを蹴りではなく言葉で一蹴した。

「というか、綾香。本気で遊びに来たんだな」

 浩之としても、それはちょっとびっくりだった。それは、少しは遊びもするだろうと思っていたが、エクストリームの本戦まで日がない。綾香とて身体が完全に癒えた訳ではないだろうが、まさか本気で遊びにだけ来ているとは思わなかった。

 寺町のバカを追い払う為の方便かとも思ったが、綾香の目は本気だった。もし邪魔が入ろうものならば、その場で砂に頭から埋めると目で言っている。ある意味、それは寺町にとっては望むところだった。

 牙を向く綾香を見ても、このバカはまったくもって楽しそうに、もう実に楽しそうに、一歩前に出ようとして。

「昇、あまり皆さんを困らせては、駄目ですよ?」

 びきりっ、とさっきまで猛威を振るっていた止まることなきバカ、寺町の動きが、その迫力も何もない、柔らかい言葉一つで止まる。

 慌てて振り返る、これほど動揺する寺町は珍しい、いや、こちらの空手部にしてみれば、初めてみるものだった。バカはバカで空気読まないからこそバカなので、これではバカではなくなってしまう。

「……い、いや、別に皆さん困ってない、ですよね?」

 あの、寺町がしどろもどろになっている、その事実に、部員達は皆あっけに取られている。

「凄く迷惑してるから」

 実際にその関係を聞いた訳でもないのに、綾香だけは、まったく動じていなかった。寺町に、容赦なくとどめを刺す。ちょっかいをかけてきたのは寺町なのだから、因果応報とおだろう。

「ほら、来栖川さんも言っているじゃないですか。本当に、この子は。済みませんね、皆さん。弟がご迷惑をおかけして。本当に、人の話をまったく聞かない子で」

 弟ということは……これが寺町の姉ーーーーっ?!

 部員達の中に、静かに嵐が吹き荒れる。それほどの衝撃だった。

 綾香の代わりと言っては何だが、白いロングのワンピースに身を包み、柔らかい笑みを浮かべているお嬢様然とした美少女が、まさかこのバカの姉だと、誰が信じられるだろうか?

「弟が暴走しないように、それと炊き出しその他のお手伝いをさせていただきます、この寺町の姉で、初鹿と申します。みなさん、よろしくお願いしますね」

 上品に頭を下げる初鹿は、それはもうまったく寺町とは、似ても似つかなかった。

 ただ、それはもう似てなくとも、煮ても焼いても食えない人物であるのは間違いなく、正体を知っている者としては、さらなる混乱を呼ぶ人物であることは間違いない、人選したやつ出てこい、と言いたくなること請け合いの人物だった。

 

続く

 

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