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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(20)

 

 海のすぐ前の駅から降り、朝の砂浜を、ザクザクと歩いていくと、十分も歩けば、合宿場にたどり着けた。

 荷物も個人の荷物だけだし、きつい練習をした後という訳でもないので、皆まだ元気だ。難を言えば少々まだ眠いぐらいだろうが、さすがにもう目は覚めていた。

「これは……また、何か雰囲気あるな」

 浩之が言葉を濁したのも、分かる。外見は、明らかにボロい、しかし大きさだけはありそうな平屋だった。脇の方には、道場らしきものも見えるので、おそらくはそれ目的でここを選んだのだろう。そして何より、安かったのが決めてなのだろう。

 練習という意味では意味がありそうだが、クーラーという文明の利器を手に入れた若者にとっては、いささかきつそうな環境だ。

「坂下は、去年もここに来たのか?」

「そ、去年もここでの合宿だったね。ま、外見はあんなだけど、けっこうまともだよ? テレビこそないけど、冷蔵庫も洗濯機も台所もあるし、クーラーも去年ついたしね」

「まじかっ」

 他のものはともかく、クーラーがついたというのはかなり驚きだ。

「別に私だって我慢大会がしたい訳じゃないしね。クーラーの中に長時間というのは身体に良くないからさせないけど、休憩と寝るときに少し冷房を効かせるぐらいは許すよ」

「運動部の合宿と言ったら、何か過酷なもの想像してたんだが……」

 これも時代の波か、と浩之はうんうんと頷く。まあ、環境を過酷にすれば結果が出るなどという研究結果はまだ出たこともないので、問題はないのかもしれない。プロ選手が海外遠征に行って環境が悪いとか、そういうことはあるかもしれないが、プロスポーツ選手ほどになれば、わざわざ練習に関係ないことまできつくはしないだろうし、今更根性主義がはやる訳でもない。

 練習自体は、根性主義とは言わないが、かなり厳しいんだけどな。

 しかし、それよりもさらに過酷な練習を、自分から望んで行っている浩之のような存在もいる。結局は、本人ががんばれないからこそ、環境も合わせて厳しくするという意味合いもあったということだ。やる人間は、どんな環境であろうともするのだ。

「さあ、さっさと荷物置いて、軽く掃除したら、練習に入るよ」

 坂下に命令されると、こちらの空手部は素早く行動に移る。本当に教育が行き届いている。やはり恐怖政治というやつは否定できないものも含んでいるということか。

 一年生や浩之達が恐る恐る建物の中に入ると、そこは確かに古くはあったが、思ったよりも綺麗であった。ちゃんと掃除がされているという綺麗さだ。

 部屋は三つで、ふすまではなく、ちゃんと厚い板で仕切ってある。両方から留め金を外せば、動かして一つの部屋に出来るようだ。仕切っている部屋の一つが小さいのは、教員や指導者用だろう。それとは別に台所もあるし、風呂もトイレも古いながら、ちゃんと掃除されていた。坂下の言ったように、ちゃんとクーラーまでついている。

「ここ、一体誰が管理してるんだ?」

「さあ、何でもどっかの酔狂なご老人が格安で学生に貸してるみたいだけど。さすがに予約とかの仕事は先生がしてるからね。でも、運動部だろうと何だろうと、合宿に来て出るときには、普通はちゃんと掃除するしね。それも大掃除ぎみに。これの前は、どっかの大学の運動部が借りてたみたいだよ」

 これだけ設備がそろっていれば、それだけ頻繁に使われるのも分かる。浩之が払った金額を考えると、宿泊費もかなり安いのも想像つく。本当にどっかのお金のある老人が酔狂でやるぐらいでないと維持出来ないだろう。

「ここの代わりを見つけるのは難しそうだから、使わせてもらうのはありがたいことだね。さて、ほら、さっさと掃除始めるよっ!!」

「坂下ちゃん、引率の先生みたいね〜」

 ここでもやっぱりかなり浮く存在、サクラがけっこう核心をついた言葉を言う。

「そう、何を隠そう、うちの空手部には指導の先生がいない。それでここまで結果を残しているのは、ひとえに先輩方の指導のたまもの、という訳で、来年はどうするのか、 正直微妙という話です」

「いや〜、坂下先輩の真似は無理っしょ。というか、先生がころころ変わる訳でもないから、うちの空手部って、伝統的に先輩が指導してたらしいけど、それで結果が出るなんて、おかしな話だよね〜」

「三年の先輩も、さすがに坂下先輩には勝てないまでも、十分強いんだし、どうなってるんだろうね、うちの部活」

 三年もここには一人来ている。坂下に戦いを挑み、結局破れた芝崎だ。坂下が怪我をしているので、後輩の指導をかって出てくれているのだが、その三年の先輩に、後輩達は言いたい放題だ。だが、芝崎にもそれをそれを気にした風もなかった。坂下に負けたことを、一番理解しているのは本人なのだ。

「俺達のころも、先輩は強かったが、二年にもなれば、俺はもう負けなかったしな」

「その芝崎先輩が、一年の坂下先輩に負ける……どれだけ化け物なんですか、先輩は」

 この歳ならば、一年の差は大きい。まして、男女の差となれば、もう覆すのは無理だ。その無理を、坂下は簡単に覆し、そして、さらに先まで行ってしまった。まあ、本人の身体が状況についていけずに、生死の境をさまよったのだから、喜ぶべきかどうかは微妙だ。

「まさか」

 坂下は、ふんっ、と男らしくその言葉を鼻で笑った。実に格好いい、絵になる。鼻をならすのが絵になるのは女の子としてはどうかと思うのだが、格好いいものは格好いい。

「みんな、覚えときな。ほんとの怪物ってのは、ああいうのを言うんだよ」

 坂下に言われ、部員達が見た先には、練習や掃除などそっちのけで、物珍しそうに建物の中を見物する、一応お嬢様である彼女には珍しいのだろう、綾香。

 部員のほとんどは首をかしげた。来栖川綾香の名前を知らない訳ではない。前回エクストリーム優勝者、来栖川綾香。同じ道場に坂下が通っているころは、坂下がまったく歯がたたなかったと言うのだから、実力は疑うべくもないが。

 見た目は、近寄りがたいほどの美少女で、しかし人なつっこい、しかしどこかはっとするような笑みを浮かべた、決して、鬼とまで部員達には言われている坂下を相手取ってどうこう出来るような女の子には見えない。

 しかし、その正体を知っている数人にとっては、まさに彼女は、化け物としか言い様がない。

 何せ、未だに癒えない傷を坂下の身体に刻み込み、生死の境にまでたたき込んだのは、綾香なのだから。

「さあ、超特急で掃除を終わらせるぞっ!! 海で練習か、楽しみで仕方ないなあ!!」

 そして、空気などまったく読まない寺町の、色んな意味で外れた言葉で、皆は動き出した。

 

続く

 

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