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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(21)

 

 そうやって、掃除にとりかかってしばらくして、合宿場の前に、車がついた。白いミニバンだ。その車から、家族連れらしい人が降りて来た。

「あ、おはようございます、先生」

「「「「おはようございます」」」」

「おう、おはよう」

 そのお父さんらしき人を見て、坂下が頭を下げると、他の部員達もタイミングを合わせるように頭を下げる。やはり、見た目はゆるいように見えても、坂下の空手部には教育がきっちりと行き届いているようだった。挨拶された方のお父さんは、気さくに手をあげてそれに応じる。

「誰?」

 さすがに空気を読んで掃除を手伝っていた、というか、それすらも珍しいのだろう、けっこう楽しそうにやっていた綾香が、こそり、と浩之に聞いて来る。

「うちの先生だよ。というか、空手部の顧問だったのは、俺も最近知ったばっかりなんだけどな。先生、おはようございます」

 浩之が先生に声をかけると、葵も綾香も、そして寺町の方の部員も、頭を下げる。

「おお、うちの学校の生徒以外には初めましてだな。空手部顧問の大久保だ。こっちが家内で、こっちが娘の茜、息子の翔太だ。合宿の間だけだが、仲良くしてやってくれ」

 優しそうな中年の女性が、にこりとしながら頭を下げ、それにつられるように、小学校高学年ぐらいの女の子と、もう少し下であろう男の子が、頭を下げる。知らない人が多い分、多少、人見知りしているようだった。

「お、茜に、翔太、一年ぶりだな。元気にやってたか?」

「あ、坂下ねーちゃん。おっす」

 男の子の方が、去年も合っていた坂下のことを覚えていたのだろう、空手部の挨拶を真似ながら、おっす、と言う。押忍に聞こえるほどの迫力はないものの、それはそれでけっこう微笑ましい光景だった。

「坂下お姉ちゃん、茜のことも覚えてるの?」

「ああ、忘れないって。ま、ちょっと怪我しちゃったから、去年みたくは一緒に遊べないけど、仲良くしような」

「怪我してるの? 大丈夫なの?」

「ああ、まあ試合には出られないけど、とりあえず後輩をびしばしと鍛える分には問題ないよ。二人とも、張りし回ったりはできないけど、遊ぶぐらいは出来るよ。まあ、仲良くやろうな」

「うん!」

 流石は鬼とは言っても、後輩に慕われる坂下、例え年齢が下がっても、その効果は健在なようだった。まあ、相手が礼儀もなってない生意気な子供であれば、それこそ他人に調べられれば問題になりそうなほどの「教育」を施すのもやぶさかではないあたり、坂下は決してただの子供好きではない。

「さ、食材買って来たから、台所に持っていってくれ。正直、この人数のジュースなんか、俺一人でやったら腰がいく」

「押忍」

 返事をするのは坂下だが、動く後輩達は流れるように荷物を台所に運んでいく。何というか、学生どころか社会人ですらここまで統制の取れた団体もそうはいまい。坂下、どこかでやりすぎているのではないだろうか?

「ま、藤田も松原も、エクストリーム、がんばってくれよ。ま、応援は出来るが、俺は格闘技の指導とかは出来ないから、生徒任せなんだけどな」

「はい!」

 久保田は、別に空手をやっていなかったという訳ではないらしいが、坂下達に教えられるほどの腕ではなかったらしい。実は若いころは、ということもない。だから指導も、どうしても生徒任せになってしまうが、しかし、それが悪い方向に向かっていないのは、やはりそれなりに部員の信頼を得ているということか。その方法が、坂下達のやりやすいようにしてやる、というものであっても、何もしないよりは、そして邪魔なことをするよりは、何万倍もいい。

「どうも、来栖川綾香です。今回は、お世話になります」

「おお、エクストリームチャンプか。いやいや、俺もテレビで見たよ。うちの坂下も強いが、君は別格だねえ。ま、言ったように俺に教えられるようなことはないから、短い旅行だとでも思って楽しんでいきなさい。立場上でも心情の上でも、俺自身はうちの学校の松原を応援するつもりだが、松原以外の相手なら、君も応援してるよ」

「はい、ありがとうございます」

 実に殊勝に綾香は頭を下げる。まわりの反応を見て、ちゃんと挨拶するべきかどうかうかがっていたようにも見えたが、まあそこまでの心配はないだろう。挨拶しないよりはしていた方が角もたたない。それに、他校の生徒を部活の合宿に来るのに許可を取るのも、かなり面倒であったはずだ。それを文句言わず二つ返事でやってくれる先生なのだ。綾香としても、ちゃんと挨拶をするべき相手だというのは、最初から分かっていただろう。

「もう少しで布団の貸し出しも来るだろうから、それを受け取って、後は適当に坂下に一任するから。茜、翔太、坂下は怪我してるからな、あんまり迷惑かけるなよ。あそこにいる御木本にならいくらでも迷惑かけてもいいからな」

「うん!」

「えー、御木本にーちゃんかあ」

 茜は元気よく返事をして、翔太は生意気そうにそう言うが、別に嫌がってる様子はない。まあ、御木本は外見こそそう子供にはすかれそうにはないが、そこそこの美形であるし、そもそも子供は、まわりを見る。御木本がまわりにどう扱われているかを見て、親しみ易い相手だと認識しているのだ。

「うえっ」

 御木本は心底嫌そうな顔をした。誰しもが、それを見て笑う。まあ、調子に乗った子供の相手をさせられるのは非常に大変なのだ。御木本が嫌な顔をするのは許してやろう。しかし、子供の相手をすれば、それはつまり坂下の近くにいるということだ。坂下が、練習中ならともかく、遊んでいるときに子供達から目を離す訳がない。その点を考えれば、決して御木本にも悪い話ではないようにも思える。

 さらに、横ではサクラと久保田の奥さんが頭を下げ合っている。格好は微妙とは言え、坂下の怪我の補助として来ているのだ。サクラは保護者側だと思われているのだろう。さっきまでのどこかふざけた態度はどこへらやら、サクラは非常に常識的に奥さんと話をしていた。非合法とは言え、働いている人間と学生の差だろうか?

 というか、久保田はどうも去年もここに家族を連れて来たらしい。自炊せねばならないので、奥さんがいることは非常に心強いが、実際のところ、ていのいい家族サービスなのでは、と浩之はふと思って、そしてそれは合っていた。とくに、生徒に元気のありままっている子供の面倒を見てもらえることを考えれば、お父さんとしては楽だろう。

 まあ、他の学校の生徒や、同じ学校でも、部員ではない生徒を連れて、問題が起きれば致命的な海に連れて来るあたり、人はいい、しかし、どちらかと言うとおおらかなところが、この先生にはあるのだ。浩之自身は受け持ってもらったことはないが、話の分かる先生として生徒にはそう悪くない人気がある。

 ま、夏の短い思い出としては、いい思い出になるから、俺としても文句はないけどな。

 浩之は、そうやって先生の公私混同を容認した。浩之も、子供は嫌いではないので文句もない。

 しかし、浩之は非常に甘い、甘すぎたとしか言えない。

 確かに、いい思い出にはなる。それは間違いないが、例えここで子供が加わっても、まったく平和にならないようなメンツが、ここにはそろっていることを。

 そして、これは浩之の過失では、いや、究極を言うとやはり過失なのだろう。浩之の思っていない場所で、さらに凶悪な参加者がいるとは、このとき、浩之はまだ知らない。

 

続く

 

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