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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(22)

 

 合宿場の本当にすぐ目の前、まさに目と鼻の先に広がる、大きな海。まだ朝と言っていい時間だが、こうも暑ければ、子供でなくとも水着になって飛び込みたくなるだろう。

 しかし、浩之は、ちゃんと水着に着替えた癖に、まんじりとして合宿場の前に止まっていた。

 空手部の人間は、すでに皆着替えてランニングに出ていた。合宿について来た手前、浩之達も空手部の練習に参加しなくていいのか、という話もあるのだが、部員も先生も、それについては文句を言われることはなかったし、誰も気にしていないようだった。ランが多少寂しいと感じた程度で、実際、少なくとも、坂下の空手部の人間はそれについては不公平だとは思わなかった。

 それも当然だろう、浩之達は、最初から遊びに来ているのだ。いや、その説明では反感を買わない理由にはならないか。

 浩之は、言ってしまえば十分に練習をこなしており、正直、空手部のレベルでは、練習の密度として薄すぎるのだ。坂下が怪我で指導だけにまわっているとすればなおさらである。部活というのは、あくまで団体行動が基本であり、坂下のような飛び抜けた存在は、むしろその輪からは抜けてしまうのだ。事実、坂下は、後輩の指導はしているが、自分の練習は他の部員と比べて、常軌を逸しているほどの密度なのだ。その余波程度で、空手部は学校一厳しい部活と言われているのだから、その程度も知れよう。

 まあ、そんな理由はつけたものの、今日ぐらいは遊びたいのが本音だ。練習をさぼるつもりはない。遊んだ後に、動けなくなるぐらいの練習は行うつもりだが、だったら体力のある間に遊んでいた方が得だろう。

 そこまでして遊びたいのならば、さっさと海に飛び込め、素人さんはそう思うかもしれない。何の素人かは知らないが。もちろん、それは準備運動とかそういう話ではない。準備運動など浩之はすでに終わらせている。

 というか、かなり過剰に準備運動をしているようにすら見える。今から試合でも始めるのではと思うほどの運動量を浩之はこなしていた。

「お待たせしました、センパイ」

 来たーーーーーーっ!!

 声のした方向を、浩之はなにげなく、という仕草を装いながら振り返る。

 浩之の見立て通り、健康的な葵に良く似合う、青色の水着だ。そして、浩之の予想外に、おへその見えるセパレート。胸元は開いてはいない、代わりに肩の露出したハイネック、股の切れ込みも浅い、というよりも短パンに近いほどだが、細くて、しかし元気に溢れた身体のラインは、くっきりと見える。

 海水浴で出会ったら十人中九人は振り返りそうな、健康的であるからこそ目を引く葵の水着姿だ。

「綾香さんはまだ日焼け止めを……と、な、何ですか、センパイ」

 先ほどまでは開けっぴろげ過ぎるほど何の警戒もなく普通に歩いてきた葵だが、あまりに浩之がじろじろと見るので、顔を赤らめて身体を腕で隠す。さすがに、葵も浩之の視線の意味は分かっているのだろう。というか、浩之の視線がエロ過ぎるのか。

 浩之は、葵に近づくと、ぽんっ、と肩に手を置いた。

「葵ちゃん、俺は心配だ」

「え、な、何がですか?」

「そんな格好で水辺を歩いたりしたら、どれだけナンパされるか分かったもんじゃない。俺はもの凄く心配だ」

「え、で、でもそんなに露出は多くないですし、どちらかと言えば地味な水着ですから……」

 まあ、水着云々は置いておいて、下手をすると中学生に見える葵をナンパするというのも、問題があるような気がする。いや、中学生がナンパしてくる可能性は確かに否定できないが。

 しかし、浩之にとっては外見年齢など問題ではない。ちっちっちっち、と浩之は指を振る。

「甘い、甘すぎるぜ、葵ちゃん。夏の海は危険で一杯だ。葵ちゃんみたいな純粋無垢な女の子がそんな格好で歩いたら、まるで明かりに集まる蛾のように悪い男達がわらわらと……」

「そ、そうなんですか?」

 浩之に騙されて、いや過剰に言っているだけで騙している訳ではないのだろうが、やはり本当のことを言わないのだから騙しているのと一緒だろう、葵が不安そうな声を出す。まあ、ナンパされるとしても、正直葵をどうにか出来る男が、そうごろごろと転がっているとは思えないが。

「ま、それほど葵ちゃんの水着が似合ってるってことだ。かわいいよ、葵ちゃん。まかせときなって、ナンパからは俺が守ってやるから」

「セ、センパイ……」

 マッチポンプは素敵な職業です。脅しておいてそれを自分でフォローなど、悪気がなくとも問題である。悪気もなくそれを素でする浩之は確実に大問題である。

 しかし、大げさに言ったとは言え、夏の魔力は恐ろしいもので、ただですらかわいい葵が、余計にまぶしく感じるのだ。良からぬ手段に訴える男がいても不思議ではない。そう思わせるほど、葵がかわいいのだ。

「いや、やっぱり危ない。どうせ危ないならいっそこの手で……」

「ちょ、セ、センパイっ!?」

「大丈夫、優しくする……ゲボラッ!?」

 とち狂おうとした浩之を、横からいきなり飛んで来た飛び蹴りが、大きく跳ね飛ばし、そのまま浩之は砂に突っ込んだ。

「ってめえ、葵の姉さんに何てことしやがるんだっ……て、てててっ!!」

 誰しもここで飛んできたのは綾香だろう、と思ったところで、大方の予想を覆し、浩之に飛び蹴りをぶちかましたのは、怪我も癒えきらない健介だった。当然のことで、その後飛び蹴りをした健介の方が悶絶している。

 怪我をしている健介は、練習には参加していない。見学は出来るのだが、ランニングなど脚が使えても腕が使えない以上絶対に無理だ。だから、健介も自由時間だったのだ。健介は水着でこそないが、下はハーフパンツに着替えている。怪我の所為で泳ぐことは出来ないが、海に足をつけるぐらいは出来るだろう。

「け、健介、センパイに何てことを!」

「い、いや、そうはいいますが、姉さん。一番危ないのはそこらのナンパ男じゃなくてあの男だと思うんですが」

 今回は健介の言い分が正しい。

「じょ、冗談に決まってるだろ。大切な葵ちゃんに手を出す訳ないだろ」

 砂に頭から突っ込んだはずなのに元気に立ち上がる浩之に、けっ、と健介は悪態をつく。

「はっ、さっきまでエロエロしい顔で姉さんを襲おうとしていたヤツのセリフじゃねえなっ! 俺が怪我してるからって、てめえが自由に出来ると思うなよ!」

「だから冗談だって言ってるだろ、な、葵ちゃんも何とか言ってやってくれよ」

「えー、まあ、その話は置いておいて……健介、いくら何でも横から不意打ちで飛び蹴りは危なすぎるから、もう少し穏便な技にするべきですね」

 つまりは、やってしまうこと自体は許可らしい。勝敗は浩之の敗北で決したようだった。

「そんなっ」

「ほれ見たことか」

 エロい気を出したばかりに、葵にすら見捨てられた浩之は、がくっとうなだれる。まあ、これも全部冗談なのだろうが、冗談、なのだろうか?

 葵としては、大切に思われているのはいいが、だから手を出さない、というのは多少ひっかかるところがあった。だから、少し意地悪したのだ。浩之をつけあがらせると際限がないからというのもある。

 しかし、もう少し気になることは、怪我をしている蹴りが健介の飛び、浩之に決まったことだ。

 葵の眼力で見る限り、健介は浩之にはかなわない。多分十回やって十回とも浩之が勝つだろう。健介が弱い訳ではないが、浩之が強くなりすぎたのだ。すでに、昔からずっと鍛えていたはずの健介を、年齢の差こそあれ、完全に上回っている。

 まあ、そんな相手に、怪我をした健介が良く飛び蹴りなど当てられたものだ、と思ったのだ。

 センパイ、油断し過ぎ。

 エロい浩之ほど危険で役立たずなものはない。それを証明するような結果だった。

 まあ、葵としては、やはりそういうのはまだ早い、と思う反面、二人きりならば、あるいは、と思う気持ちがない訳でもないので、複雑ではあるのだ。

 ただ、今はない。健介がいるし、他にも人がいるのだ。そして何より、あの人の目の前で抜け駆けなどしようものならば、浩之どころか、葵だって命の保証はない。

 その、葵ですら恐れずにはおれない相手が、遅まきながら、合宿場からこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 ほんの少し、もったいない、と葵は思いながら。

 でも、チャンスはまだある、と自分を鼓舞するのだった。

 

続く

 

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