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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(32)

 

「なあ、何かもめてたようだが、何かあったのか?」

 お昼ご飯も近いころ、やっとあの怪しげなビーチバレーを終えた浩之が、今更のように坂下に尋ねた。すでにあれからけっこうな時間の経った後で、本当に今更だ。気付いていたのなら、怪我人と女性しかいなかったのだから、助けに来ても良さそうなものだ。

「ああ、ナンパされたよ。かわいそうに」

 そんな浩之を責めるでもない坂下の言葉は、明らかにおかしかった。前後の言葉の組み合わせの意味がわからない。

「……ああ、それはかわいそうなことになってたんだろうなあ」

 ちょっと吹き飛ぶ人とかは浩之の横目の端ぐらいには入っていたが、浩之は努めて知らないふりをした。

 いくら怪我をしているとは言え、健介も坂下もうかつにさわるには危険過ぎるし、五体満足の初鹿が後ろに控えているのだ。浩之だってナンパの男達に同情する。もっとも、すぐにあきらめたのなら、最小の被害で済んだだろう、それだけを願うばかりだ。

 まあ、それも寺町という格闘バカが来てはどちらにしろ関係なかっただろう。ある意味、寺町はこの中で一番危険だ。ケンカっ早いという意味では綾香すら凌いでダントツだろう。

「見た目だと健介が怪我してるからねえ、抑止力には少し物足りないかね」

「いや、その言い方はちょっとかわいそうじゃないのか?」

 話題の健介は、田辺にまとわりつかれている、ようにはたからは見える。別に健介も嫌がっているように、というか少しうざったそうに対処しているが、まあ、一応彼女であるのだから、それぐらいのことは田辺にもさせてやるべきなのだろう。

 しかし、いくら綾香と葵みたいな上玉相手でも、今の藤田が近くにいると、声もかけられないか。坂下は言葉に出さずにそんなことを考えていた。

 海に入ってしまえば、綾香と葵は微笑ましいとは言いかねる勝負をしていたので、近寄ってくる者はいないだろうが、それでも陸にあがれば、とびきりの美少女二人だ。坂下達に声をかけるよりは、よほどあちらの方が良いに決まっている。

 だが、抑止力という意味では、今の浩之はなかなかのものだ。上半身裸であれば、その恐ろしいほどに鍛え上げられた筋肉がいやがおうでも見える。そう太くはないが、一般から見れば異性物ような引き締められた筋肉だ。あんな男が近くにいたのでは、誰だって声はかけれまい。

 坂下にも自覚はないが、さすがに綾香には勝てないものの、こちらの三人もかなりの上玉であるのだし、どちらに声をかけやすいかと言えば、明らかに坂下達の方である。どっちに声をかけても、失敗するか、強引な手を使おうとすればかわいそうなことになるので、どっちもどっちと言える。

「で、坂下はあれは手伝わなくてもいいのか?」

「ああ、怪我人が手を出すと、邪魔になるしね。それに、日頃から家事してないやつらにやらせるのが妥当だろうね」

「お、言うね」

「藤田がどう思ってるか知らないけど、私は自分で食べるぐらいの料理は作れるよ?」

「……え、冗談じゃなくて、マジ?」

「そういうことしてなさそうな綾香よりもうまいかもね。料理は所詮経験だから」

 かっこいい、と言えば言葉はいいが、つまりは男らしい坂下に、正直、料理とかはまったく似合いそうになかった。というか、坂下がエプロンをつけて楽しそうに料理をしている姿を想像出来ない。かわりに出来たのは、ぼろぼろの道着を着て、素手で川の魚を捕まえて塩焼きにしているワイルドな坂下だけだった。こちらは酷く絵になるほど似合っている。

「……何かもの凄く失礼なこと考えただろう、藤田?」

「いえ、めっそうもない」

 とりあえず拳という報復が恐いので、浩之は坂下から距離をあけた。坂下には、浩之の失礼な想像がおおよそ検討がついていたが、坂下本人も、そちらの方が自分には似合うだろうと思って、追撃は勘弁してやった。

 で、今部員達が汗を流してやっているのは、鉄板の上でヤキソバを焼くことだった。

 野菜や肉を切って、ソバと一緒に鉄板の上で焼き、ソースをかけるだけの簡単お手軽な料理ではあるが、案外部員達は楽しそうにそれをやっている。まあ、たまにする飯ごう炊さんなどは楽しいものだ。その横では、実際に飯ごうでご飯をたいていたりもする。

 部活をして腹を空かせたこの人数の高校生に全員食べさせようと思えば、なかなかの重労働だ。顧問の奥さんやサクラだけでは、絶対的にまかないきれないだろう。そういう意味で、この飯ごう炊さんは実益もかねた、なかなかのアイデアだった。

「ま、俺よりはうまいんだろうなあ、俺は料理とか全然しないからな。得意料理、カップラーメンのお湯をそそぐだぜ?」

 まあ、普通に親が家にいればそれも仕方のない話だが、ほとんど一人暮らしをしているのと同じの浩之が料理の腕が全然上達しないのは、幼なじみのあかりの所為もある。餌付けされるのは良いが、同時に骨抜きにされている浩之である。

「いばらないいばらない」

 と、すでに自分の分のヤキソバをどこからともかく獲得した綾香が現れる。

「あら、綾香。あんたヤキソバ焼いてたようには見えなかったけど?」

「ちょっとあんたのところの作るのがうまそうな部員にお願いしたら快く作ってくれたわよ。まあ、見よう見まねで作れないこともないけど、やっぱり食べるなら美味しいやつを食べたいしね」

「……あいつら」

 坂下は大きくため息をつくが、それも致し方のないことだ。綾香ほどの美人、上にパーカーを着ているとは言え水着姿の女の子にお願いされたら、ほいほいと聞いてしまうのが男の性であり、そんなもの回避できるのは格闘バカの寺町と、案外と言っては失礼だが一途な御木本ぐらいだ。

 ついでに、綾香に恐い笑顔でお願いされれば、逆らえる者はほとんどいない。浩之だって逆らわない。だって、命は惜しいもの。

「そういう好恵だって後輩まかせなんでしょ? あ、いや、男に貢がせるつもり?」

「怪我人はいたわるもんだよ。それは男も女も関係ないだろ」

「どの口下げて怪我人だか」

「どの口下げてそれが言えるのか、理解に苦しむね」

 怪我をした方と、怪我をさせた方、お互いに恨みはまったくないようだが、はたで見ていて怖いものは正直止めて欲しいというのが、浩之の切なる願いだった。

 さて、じゃあここにいても怖いし、自分の分を、と思って浩之が二人から離れようとしたとき、密かに近づいて来ていた台風が浩之の前に飛び出してきた。手には、もちろん低気圧などではなく、まあ少なくとも見た目は普通のヤキソバを手にした、ランだった。

「浩之先輩、どうぞ、食べて下さい」

 静かに、しかし酷く決意のこもったランの声に、思わず三人は、固まってしまった。

 

続く

 

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