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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(33)

 

「浩之先輩、どうぞ、食べて下さい」

 相変わらず、不機嫌そうではあるが、それでも決死の表情と言っても言い過ぎではない表情で、ランが、手にしているヤキソバの皿を浩之に突きつける。いや、後輩の善意をそんな悪い表現をするのはどうかと思うが、実際、浩之は突きつけられていたのだから仕方ない。

「どうぞ」

 浩之の返答を聞くまでもなく、というかむしろ返答するのを拒否するかのように、ランは強く浩之に押し込む。

 これが、全部が全部善意であるのならば、それこそランを責めるのはお門違いなのだろうが、ランの方に下心がないとがとても言えない。もちろん、そう思われることも念頭に置いてのランの行動なのだろうが。

「お、落ち付けって、ラン」

「……私は落ち着いてます。今、慌てる必要はないと思いますし」

 や、まあそうなんだろうけど、今のランを見れば、誰だって落ち着け、と思うだろう。それほどせっぱ詰まった感がある。一体何をそんなに焦っているのか、と思うほどにランには落ち着きがない。そこまでランがせっぱ詰まっているので、浩之は軽く受け取ることが出来なかったのだ。

 もう少し、ランが自然に自分の作ったヤキソバを渡すことが出来たのならば、浩之だって疑問は感じなかっただろう。むかつく話だが、浩之は女の子に奉仕されることに慣れている。餌付けに成功したあかりの功績とも言えるが、一緒に奉仕慣れという弊害も被っているので、あかり自身としてはイーブンだろう。

 少なくとも見た目は普通のヤキソバであるので、浩之の警戒を呼ぶこともなかったはずのそれは、ランのうかつさで警戒されてしまった。いや、別にランがうかつであった訳ではない。そもそも、ランは器用と言うにはほど遠い性格をしているのだ。浩之に自分の作った料理を渡すのに、何気なく、など装える訳がない。

 しかし、そのランの失敗は、けっこう取り返せないほどの失点だった。そうでなければ、何よりも先に動いたランの先手必勝、この戦いにおける局地的な戦いの勝利は揺るぎないものであったに違いない。

 だが、一度起きてしまった遅延は、先手必勝ではあまりに、厳しい。

「あ、沢地さん、抜け駆け〜」

 ランの決死の行動をぶちこわしたのは、ぶっちゃけ、ランと比べれば遙かに軽い気持ちで浩之をいいな〜と思っている、部活の仲間だった。ランの行動を見て、みんなでやれば怖くないと踏ん切りがついたのか、はたまたみんなときゃいきゃいやりたいだけなのか、数人の空手部員の女子が、浩之を囲む。

「先輩〜、私のヤキソバもどうですか?」

「あ、ずる〜い。私が声かけようとしてたのに」

「どうぞ、先輩、あ〜ん」

 正直、この中で、本当に浩之を狙っている女子はいないだろう。しかし、みんなでやれば、それは冗談で済ませることが出来ることと、万一、うまくいけばいいかも、と思う女子の気軽さと行動力は早かった。ランが何か反応する前に、浩之を囲む輪の中に入れられてしまう。

 気持ちはわからなくもない。男だって、綺麗な女の子相手には愛想を振りまくものだ。浩之は、取っつきにくい感じはあるものの美形であり、空手部の練習に付き合ってからは、そのけっこう面倒見の良い性格も知られている。何かを期待して声をかけた女子部員を悪いとは言えないだろう。悪いことがあるとすれば、それはそのなりで声をかけやすい状況を作ってしまった浩之と、早さを最後まで保てなかったランだ。

 後困ったことがあるとすれば、浩之だって、女の子達に囲まれてちやほやされれば、悪い気持ちにはならないということだ。まして、囲んでいる女の子達は、どちらかと言うと冗談のような態度を取っているので、深く考える必要がないとも言う。

 しかし、ランに対しては、あまりうかつな行動は出来ない。何せ、一度は告白されて、それを断っているのだ。あまり思わせぶりな態度を取るのはまずいし、しかし冷たくあしらうのはさすがに気が引ける。どちらにしろ、ランには悪いことをしていることになるのだから、正解などないのだが、だからと言ってぞんざいに扱うことは浩之には出来ない。そこらへんが、いつか浩之の首を絞めなければいいのだが。

 まずは、直に迫っているかもしれない、自分の首のことを浩之は気にとめるべきだろう。

 色々と考えることはあるものの、浩之は女の子達に、照れながらもそれなりに愛想良く対応した。というか、それ以外の方法はなかっただろうし、言ったように、浩之だって別に悪い気はしないのだ。

「あ……」

 この状況で、遅ればせながら自分と浩之の分を持って来た葵が、女の子に囲まれた浩之を見て固まっている。葵の行動力は疑うべくもないが、しかし、今回はかなり遅れを取ったと言わざるを得ない。ただ、それがうまく作用する場合もあるので、一概にどちらが良いとは言えないのだ。

「あ、葵ちゃん」

「え、え、私ですか?」

 浩之は、別に何か考えていた訳ではないが、葵の姿を見ると、何も考えずに葵に声をかけていた。その一言で、女の子達は思わず葵へ対して道を開けてしまう。

 葵は、一秒ほどはまごまごとしようとして、それをあきらめて、おどおどしながらがも、浩之に話しかける。

「あ……えっと、センパイの分も作って来たんですが……いりませんでしたか?」

「え、あ、いや、大丈夫だって。思いっきり遊んだし、お腹すいてるからな、みんなの分ぐらい全部食べられるって」

 実際、浩之はお腹が空いていたし、今の浩之ならば数人分ぐらいの食事は普通でしかない。特訓とか色々していると、燃費は極端に悪くなるのだ。そして、そういうつもりはなかったが、この微妙な状況から抜け出すには、恰好の選択だった。

「さすが藤田先輩、甲斐性あるな〜」

 女の子の一人がそう言ったが、意味はともかく、確かにその通りだった。ここで誰のかを断るのは角がたつし、落としどころはそんなものだろう。というか、甲斐性というのは経済力とか面倒見の良さとかの意味であって、貢がれるのをどんと来いという意味ではないというか、まったく正反対である。いや、ある意味面倒見が良いのだろうが。

 この浩之の落としどころには、多少不満はあったものの、ランも断る訳にはいかなかった。

「ありがと、ラン」

「……いえ、どうぞ」

「ああ、ありがたくいただくよ」

 それでも、面と向かって浩之にお礼を言われて、しかも美味しそうに食べられたのでは、文句など言えないし、何よりも、不機嫌そうな表情からも、嬉しそうな気持ちが見え隠れしている。

 浩之は言葉通り、もらったヤキソバを端から食べ尽くしていく。見た目の細さからは、どこに入るのだろう、とも思えるが、今の浩之にとってみれば、大した量ではないのだから、いかに日々の特訓が厳しいのかわかりそうなものだ。

 で、問題は、坂下に対して持って来たヤキソバを半分奪取して不機嫌そうにしている美少女が横の方に一人。

「あら、綾香。余裕こいていると、まずいんじゃない?」

「余裕よ、余裕。これぐらいで慌てないとと思っちゃうようじゃあ、好恵、そのうち彼氏できたら相手刺しちゃうわよ?」

 と言いながらも、綾香の手にしていた割り箸が、音をたてて折れた。

 皮肉に皮肉を返しているが、不機嫌さが消えるものではない。何より、ここから移動せずに様子をずっと伺っているのがいい証拠だ。浩之はほぼパーフェクトと言っていい反応で女の子達に対処したが、リングの外にまでは気をくばる余裕はなかった。

 綾香の立場には、まだまだ余裕はある。別に浩之が尽くしてくれる子が好きならば、とっくの昔にあかりに転んでいるだろう。そして、外見で言えば、綾香は葵と比べたって飛びぬけているのだ。何も恐れることはない。

 が、そう単純に考えられないのが、恋心というものなのだ。綾香だって、本当にあせっているわけではないのだが、不機嫌になる気持ちまでは消しようがない。

 全部をカバーできるほど、浩之も万能ではなく、その分、綾香が気持ち的にわりを食らったわけだが、実際のところ、自分の身を案じるのならば、浩之はまず綾香のことを気にかけるべきだったのだろう。

 まあ、冗談はおいておけば、自分がわりを食らうぐらいを気にする浩之ではない。甲斐性がある、という言葉は、確かに的を射ているのだろう。

 

続く

 

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