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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(35)

 

「ふいー、食った食った。というか食い過ぎて苦しい」

 浩之と綾香と葵の三人は、人の増えた海水浴場を少し外れ、岩場の多い方の海岸を歩きながら腹ごなしをしていた。まあ、腹ごなしが必要なのは浩之一人だが。遊ぶにしろ練習するにしろ、今の浩之では吐きかねない。

 厳しい練習は、もともとそんなに弱くなかった浩之の胃腸をまるで鋼鉄のようにきたえあげているので、浩之の経験から言えば、後一時間もすればまったく問題なく動けるようになるだろう。

 半分は遊びに来たとは言え、午前中は良く遊んだ。午後は練習になるものと浩之は考えていた。

 ちなみに、空手部員も午後の一番暑い間は自由時間である。とは言え、初日は自分が思うよりもペースを飛ばしすぎるから、というあの凶悪なメニューを考え実行させている坂下のありがたい言葉により、初日の午後休憩は、部員全員昼寝の強制参加を食らっていた。強制参加の昼寝って何だ。ランを筆頭に、部員の少なくない数が不満そうだったが、空手部では坂下が白と言えば黒も白だ、逆らう訳にはいかないようだった。そのうちあの空手部は軍隊とかになるのかもしれない。

 付け加えるのなら、寺町の方の部員は、寺町以外は満場一致でそれを歓迎していた。まあ当然だ。向こうの女子部員など、食事が終わって倒れてしまったぐらいだ。さすがにその女子部員は、食事中に戦っていた、などとは浩之の想像の範疇外だ。

「無茶して全部食べるからよ」

 綾香は、苦笑しながら苦しそうな浩之に当然のことを言うが、葵の方は、自分にも責任があると思ったのだろう、真剣なまなざしで浩之に謝っている。

「すみません、センパイを少しなめてました。ああなることぐらい予測すべきでした」

「いや、葵ちゃんが何を言いたいのか良くわからないけど、食べたのは俺だから、全部俺の所為だよ」

「この超度級鈍感が……」

「ん、綾香、何か言ったか?」

「べっつに〜」

「まあ、センパイのそれはもはや病気レベルなので、私もあきらめてますが……」

 何のことか浩之にはわからなかったが、とりあえず褒められていないのだけは確かなようだった。

 いや、というか綾香さん、さっきからずっと目が笑ってないんですが。

 空手部員達やラン、葵の持って来たヤキソバを食べるときにはそっちに必死で気付かなかったが、どうも綾香はご機嫌斜めのようだった。それだけで浩之は思わず頭の中で綾香にさん付けをしてしまうぐらいだ。

 しかし、怒っている、というのも微妙に違う気もする。基本的に、綾香は隠す隠さないの差こそあれ、ストレートな感情を持つ少女だ。陰に入る要素が少ないとも言う。多感な少女としては、それが普通なのか、それとも変わっているのか、残念ながら浩之にはわからない。

 今の綾香の表情は、どこか定まっていなかった。機嫌がいい、とは明らかに見えないが、だからと言って怒っているのも、何か違うようだった。というよりも、微妙に感情が動いているようにすら思えた。一所にまとまらないのでは、いくら綾香がストレートに感情を出したところで、人生経験の少ない浩之では理解しようもない。

 まあ、表情だけで相手の感情が読める、というのもなかなかに凄いことなのだが、それは短くも濃い二人の関係もあるだろうし、一方では並ぶことなき鈍感の浩之だからこそ、その他の部分で敏感なのかもしれない。

 実際、綾香は自分の感情を持て余していた。

 ヤキソバを自分で作って浩之に食べてもらう、という選択肢が、そもそも綾香の頭の中には浮かばなかった。それが浮かんでいれば、最初から何かと理由をつけて別のところで昼食を取っていただろう。思い付いても、それを実行する魅力を、綾香は感じなかった。そもそも、綾香は天才だが万能ではない。料理など、ほとんどしたことがないのだ。それでもお手本があればそこそこはどうにか出来るだろうが、料理は運動に比べ、圧倒的に経験の方が重要なのだ。実際に料理がうまい相手とためをはれるとは、さすがの綾香だってうぬぼれてはいない。

 綾香は負ける戦いはしない、というタイプではないが、わざわざ不利な状況に進んで身を投じるほど酔狂ではない。いや、興味があることならばそれも悪くないが、料理に関してはそこまでの興味はわかなかった。美味しいものは好きだが、それを自分が作って、相手に食べさせて喜ぶ趣味は、自分にはないと思っていたのだ。

 しかし、浩之が女の子達にヤキソバを渡され、それを浩之が美味しそうに、まあがっついているだけ、という話もあるが、食べるのを見ていると、腹の奥でむかむかするものを感じたのは、紛れもない事実だった。

 とは言え、だからと言って浩之に食べるな、とは言えない。すすめられたものを食べたのを責めるのはさすがに違う、と綾香は思っていたので、怒る訳にもいかないのだ。

 綾香は誤解しているようだが、それなりに良い感情を持っている相手にならば、人は奉仕することで満足感を得ることもあるのだ。だからこそ女の子達は喜んだし、浩之のことが好きなランにとっては、もう一ランク上の喜びだった。その喜んだ姿が、綾香の神経を逆撫でしているとしても、この場合責められるべきはつねに綾香にあった。

 天上天下唯我独尊で通る綾香でも、恥は知っている。人よりもプライドが高すぎるぐらいだ。葵ではないが、これぐらいのこと、予測出来ない綾香の方が悪いのだ。

 これならば不利な戦いに身を投じた方がましだった、と思うのだが、後の祭り、時すでに遅しだ。覆水が盆に返ってくるのならば、それはもうファンタジーの領域だ。

 綾香が自分の感情にやや流され気味になっているときに、ふいに浩之は思い出したように聞いて来た。

「綾香や葵ちゃんは、あれぐらいで足りるのか?」

「……あの、センパイ。もしかして私、大食いキャラで登録されてたりしますか?」

「……女の子相手に、その聞き方はどうかと思うけど」

 葵は少し落ち込んだように、綾香は怒りを向ける方向が出来たとこれ幸いに、浩之を睨み付ける。まあ、確かに年頃の女の子に聞くことではない。沢山食べるね、などと言って女の子を怒らせないのはまれだ。そのまれな機会が、浩之にめぐってきているとは考えづらかった。

 綾香は平気でラーメン大盛りとか食べるし、葵が女の子にしては大きなお弁当箱を持ってきているのも浩之は知っている。だが、話題に出していいかどうかは別だ。

 しかし、浩之は二人が考えるよりももう一歩上だった。

「いや、格闘家なんだから、身体が資本だろ? 二人とも、あんまり食べてないようだったしな」

「あ……」

「……」

 確かに、葵は浩之の分がメインで、自分は少量だったし、綾香も坂下のおこぼれを預かった手前、そんなに食べてはいない。

 表情までは見ていないのに、そういうところはちゃんと見ている浩之だった。もともと、浩之は女の子が沢山食べるのを否定したりはしない、どころか、この二人に関しては、太る心配もまずないので、もっと食べるべきだとすら思っていた。

「午前中も遊んだとは言っても、身体動かしてるだろ? 俺はさすがに入らないけど、あっちの海水浴場に戻れば、屋台とか海の店とか沢山出てたみたいだから、そこらで何か買って食べるか。それぐらいはおごれるしな」

「……ありがとうございます、センパイ」

「まったく、そういうところだけは良く見てるんだからね」

 葵は感極まったように頭を深々と下げ、綾香も毒気を抜かれたように肩を下ろして苦笑した。

「んじゃ、満場一致だな。ちょっと昼時だから人も多いだろうけど、どうせ俺がこれじゃあ何も出来ないし、丁度いいか」

 三人は、海水浴場の方に向かって歩き出し、砂浜にたどり着いたときだった。

 前の方から、女性の一団が団体を作ってランニングをしてくるのが見えた。別段珍しい光景ではない。言ったように、大学の体育会系の部や、中にはプロスポーツ選手も合宿に来る場所なのだ。すでに今日も何度もそういう団体を見ている。

 浩之達も、さして気にもとめなかった。何の集まりだろう、ぐらいには思ったが、そんなに興味を引くものではなかった。

 しかし、それもその一団が通り過ぎようとした、そのときまでだった。

「……葵ちゃん?」

 その集団の中の一人が、急に立ち止まり、葵の名前を呼んだのだ。

「え?」

 予測しない方向から声をかけられたので、葵達は反射的にそちらを振り向いた。

「あ、やっぱり葵ちゃんだ〜、ちょっとだけどお久しぶり〜」

 ニコニコしながら、その女性は葵に抱きついてきた。

「ついでにそっちのおまけと……あれ、あなた、もしかして?」

「由香さん、何でこんなところに? というか抱きしめないで下さい!」

「もう、由香ちゃんって呼んでって言ってるのに〜。ここにいる理由、それはもちろん合宿だよ、合宿」

 にへにへ砕けた笑いをしながら、予想だにしなかった登場人物は、葵から名残惜しげに身体を離した。

「……でやがった」

 何故か葵とは仲が良く、そして浩之の天敵たる読めない人物、島田由香、職業、プロレスラー、の突然の登場だった。

 

続く

 

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