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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(37)

 

「あーん」

 綾香は片手で髪をかき上げると、口紅も塗っていないのに真っ赤な唇に、それは包み込まれる。口を開いたときに見えたピンクの舌の艶めかしい。てらてらと鈍く光るそれを口に含んだ綾香はおもむろに。

 ブチッ!

 何も躊躇なく噛み千切った。

「……」

「ん、どうかした、浩之?」

「……ああ、いや、ちょっと嫌な想像してな」

「ふーん、まあいいけど」

 もぐもぐと綾香は豪快に噛み千切ったフランクフルトをかみ砕く。そう、容姿には似合わないほど豪快な食べ方だ。これならば、横で小さな口で食べている葵の方がよほどかわいらしい。

 ちなみに、浩之は多少なりともふらちな想像をしたのだが、それ故に嫌なことを想像してしまった。まあ、深くは突っ込まないでおこう。

「センパイ、すみません、おごってもらって」

 葵の手にも、綾香と同じようにフランクフルトが一本握られている。

「ああ、いいっていいって。本当はもうちょっと栄養を考えたものにしたかったんだけど、さすがに海の店じゃあな」

「あはっ、確かにそうですね」

 三人はアスリートだ。それも、日本一とかそういう次元で話をするレベル、少なくとも綾香はそうであるし、葵もそれに近く、浩之だって、届かないなりにがんばってはいる。だからこそ、食べるものもかなり気をつけねばならないのだ。

 例え重量別の戦いではなくとも、体重は気をつけねばならない。脂肪で動き難くなった身体では、勝てるものも勝てないからだ。フランクフルトは肉なのだから、タンパク質でいいのでは、と思うかもしれないが、こういうものはタンパク質よりも脂肪の方が多い。脂肪はアスリートにとっては鬼門だ。消化しにくい上に、当然脂肪なので、そのまま身体の脂肪になり易い。

 本当であれば、低脂肪高タンパク、塩分は控えめ、そして野菜は沢山。これが理想であるが、フランクフルトなど、それに真っ向から否定するような食べ物だ。

 まあ、そう気にするほどのことではない、という見方もある。歳を取ればともかく、この年齢では、どれほどカロリーがあっても足りないぐらいだ。普通は足りるのかもしれないが、足りないほどに三人は運動をしている。それに、動きさえ衰えないのならば、体重というのはけっこうバカにならない強さの要因の一つになる。脂肪をつければ、鎧をつけるようなもので、本当に打たれ強さはあがるのだから、完全に削ってしまうのもまずいというのもある。

 ようは、日頃から気をつけている限り、多少不摂生をしたところで、他で挽回できるのだ。そう気にすることでもないのだ。

 葵が笑ったのは、そんなことまで気をつけるのが日常になったことだ。浩之は、そこまで完全に格闘技に本気であることが、葵は少し嬉しかったのだ。自分が楽しいと思うことを、好きな人が楽しいと思ってくれることは、嬉しいに決まっている。

「気にしない気にしない。私なんか全然気にせず食べてるわよ」

 そう言いながら、二本目に取りかかっている綾香がいたりする。というか、片手に二本フランクフルトを手にしていた美少女はシュール以外の何物でもなかった。

 綾香の場合は、栄養に関しては、専門家にまかせているのだ。これも家が裕福であるのと、自身が賞金で稼いでいるからこそ出来ることだろう。買い食いや外食をまったく綾香は自重していないが、何せ綾香の身体はそもそも普通の人間とは違う。カロリーの消費量も半端ではないのだ。もしかすると、綾香に一番効果があるのは兵糧攻めかもしれない。

「だいたい、浩之だってお昼はほとんど油と炭水化物の塊食べてたじゃない」

 ヤキソバは焼くときに油を使うし、具に使っている豚肉は油の塊のようなものだ。確かに綾香の言う通り、栄養的にはどうかというものだ。

「いや、もちろんタンパク質が足りないのは分かってるが、何か最近あれぐらいは食わないと痩せてくんだよな」

「どっかの女の子が聞いたら発狂しそうな言葉ね」

 まあ、痩せた太ったと言うどっかの女の子が浩之の練習量をこなそうとすれば、それこそ発狂しそうだが。いや、発狂するまもなく身体を壊すだろう。

 最近の浩之のエンゲル係数は正直自分でもどうかと言うレベルに達している。親が前よりも仕送りを増やしてくれたというのに、毎日浩之は腹を空かせていた。しかし、これ以上食事の質を落とす訳にもいかず、あかりの世話になったり、武原家でご相伴にあずかったりして何とかやりくりしているのだ。

 それだけ食べても、大きくなったという自覚が浩之にはない。相も変わらず、浩之は身長の割に細い。昔は何も気にならなかったが、寺町のような見事なごつい身体を見ると、うらやましく感じるのだ。あれだけの体格があれば、格闘技にかなり有利に働くのに、と。

「でも、最近センパイ、筋肉増えてません?」

「いや、それがさっぱり。むしろ昔よりも痩せたような気すらするんだが」

 前はぴったりだったウエストも、何かゆるくなったような気さえするのだ。もともと太っていないのだから、これはかなりのことだ。

「……まあ、趣向が効いてるというか何と言うか」

「ん、どうかしたか、綾香?」

「別に〜」

 綾香は、口の先まででかかった言葉を、別の言葉でかき消した。

 浩之はやつれているのではない、鍛えられて引き締められているのだ。確かに筋肉は発達してきている。今までの筋肉よりも、より一歩質の高い身体に変化しているのだ。無駄な筋肉がほとんどない、結晶のような身体が作り上げられてきている。

 これが、もし武原流の練習によって作り上げられているというのならば、武原流は綾香が思う以上に、教え方がうまい、と言える。

 ま、どっちかと言うと、指導者が浩之の才能におんぶにだっこのような気がするんだけどね。

 修治を見れば分かる。綾香の見立てでは、修治の身体の筋肉は、浩之のそれよりも明らかに質で落ちる。それを量でカバーしているのも凄いとは思うが、こと才能という面で言えば、修治は浩之の足下にも及ばないであろう。

 しかし、それは浩之に遠く及ばない才能であそこまでたどり着いた修治を褒めるべきことなのだろう。そもそも、筋肉の質を浩之と比べること自体ナンセンスなのだ。修治に才能がないのを置いておいても、浩之の方が異常なのだから。

 それでも、才能ある者を才能あるだけ育てるというのは、なかなか出来ることでもない。浩之のそれは、確かに放っておいても成長する域を超えている。武原流をなめるべきではないだろう。何せ、少なくとも師範と師範代は、綾香とためを張れるだけの強さがあるのだから。

 浩之の成長には、鍛える側が、少なくともそうしようとする意志を感じるのだ。だから浩之の身体は、無駄を一切省いたダイヤモンドのような身体に仕上がっていっている。

 まあ、芸術性はともかく、ダイヤモンドは熱にも衝撃にも弱いので、決して最高とは言いかねる。最高とは言えない、と綾香ならば言える訳だが。

 もしゃもしゃと綾香は考え事をしながらも、欲望のおもむくままにフランクフルトを食べきる。実に色気のない食べ方だ。下品ではないのに、何故もこう色気なく食べることが出来るのか、一度聞いてみたいぐらいだ。

「ごちそうさま、まあ腹半分ってところかな」

「……いや、まあそんなもんだろうとは思ってたが」

 浩之はお茶のペットボトルを綾香に渡しながら呆れた声を出す。けっこう大きなフランクフルトは、油分が多いのも合わさって、けっこうお腹にたまるはずなのだが。

「大丈夫だって、金欠の浩之にこれ以上たかろうなんて思わないから」

 実際、後十本ぐらいはいける。これを浩之に出させるのは、いかにこちらが女の子とは言え、綾香も心苦しい。というか、そもそも綾香の方がまったくお金に困っていないので、甲斐性など放っておいて、綾香が奢るべきなのでは、とすら思える。

「くっ、否定したいが否定出来ねえ……」

「ごちそうさまでした、センパイ。気にしないで下さい、一本でも十分ですよ」

 葵はフォローを入れるが、葵もお腹一杯とは言い難い。そして葵の経済状況も浩之と似たりよったりなので、十分嬉しくはあった。稼ぎのない高校生の身には、フランクフルト一本とは言えけっこう切実な話だ。綾香がおかしいのだ。

「とは言っても、海の店じゃあそんなに高望みできないわよねえ。セバスチャンに電話して出前でも頼む?」

 けっこう冗談に聞こえないのが凄い。こういうところは、庶民とは違う世界に住んでいるのだなあ、と浩之は改めて感じさせられた。

 と、浩之は、視線が動く。なるべくそうはしないようにしているのだが、ここは海で、当然水着の女性も沢山いる。いかに連れの二人が美少女であったとしても、大きな胸や、きわどい水着の女性が前を通れば、視線が動いてしまう。まあ、それを見咎められるとかなり立場が危ういのでなるだけ我慢はしているのだが、自分の意思だけでは抑えきれないのは、男として仕方のない話だ。

 で、その綾香を超える大きな胸に目が行ってしまったのを、まあ責められるのは仕方ないとはしても、必然であったろう。というか、目の前にこられたら、目を向けるなという方が難しい。そう、目の前にそれはあった。もうこれ以上なくたわわに実った二つの胸が。

「やーん、藤田君、視線がいやらしいわよ〜。まあ、健全な高校生だし、仕方ないか〜」

「……って、サクラさん?」

 見せ付けるように浩之の目の前で腕を組んでいた、坂下の付き添いとして来ているはずのサクラと。

「どうも、浩之君」

 柔らかな笑みの、お嬢様のようないでたちの少女、初鹿。

 異色の、組み合わせだった。

 

続く

 

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