作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(39)

 

「……よし、何とかまけたようだな」

 パニック物の映画ならば完璧に死亡フラグのセリフを吐きながら、浩之は一息ついた。

 サクラの大きすぎる胸に目を取られたのを見とがめられ、先ほどまで綾香に追いかけられていたのだ。もし、あれで砂浜に人が多くなく、綾香が手にたこ焼きを持ったままでなかったら追いつかれていたことだろう。まあ、後ろを振り返らなかった浩之には、最後まで綾香がたこ焼きを捨てなかったのを見ることは出来なかった訳だが。

 綾香が怒るのも当然という気もする反面、浩之は多少納得がいかなかった。綾香の胸にちらちらと視線が行くのは容認しても、他人の胸に気を取られるのは駄目らしい。それを理不尽と言ってしまう浩之の、何と女心が理解できないことか。

「……うーん、とりあえず逃げて来たはいいが、どうせ帰らないといけないしなあ」

 いつの間にか、浩之は先ほど散歩に行っていた方向とは逆方向の岩場の方にまで来ていた。綾香に追いかけられる、という恐怖があったから仕方ないだろう。逃げる距離など気にしていたら、すぐに捕まってしまう。今逃げられたのも幸運以外の何物でもなかった。

 とは言え、こんなところで幸運を使うべきではない、とも言える。何せ、まだ合宿は一日も終了していないのだ。ここまでも全然平穏ではなかったが、これからも平穏に終わる様子はまったく感じられないのだから、困ったものである。

 ま、面子を考えるだけでも、最初から平和に済むとは思ってなかったけどなあ。

 坂下率いる空手部の面々に、寺町率いる空手部、とこちらは単に寺町一人が問題なのだが、それにマスカレイドで最強であったチェーンソーの中身、初鹿。そこに葵と綾香が加わるのだから、結果は推して知るべしだ。浩之はもちろん自分のことは完全に棚に上げている。

 さらに言えば、そこに修治と雄三が加わり、加速度的に状況は危険な方向に傾いた。さらにそれだけではなく、合宿に来ていた島田にも会ってしまったのだ。変人と危険人物がこれ以上入って来ても、何も溶けないのではと思うほど飽和している。

 ……これ以外に、危険な知り合いいたっけか?

 一応、浩之はそんな心配をしてみた。浩之は変わった友達には事欠かない、だから自分を見てそれを考えろと思うが、のだが、少なくとも格闘技に関わった危険人物はもうほぼ全員そろったと考えていいだろう、と思っていた。後はセバスチャンと、あまり関わり合いのない北条鬼一ぐらいしかいない。この二人は、強さ的に見ても変人度で言っても文句なしの上位なので、それだけでもだいぶ救われている。

 いや、そもそもこんなところでは会わないのが普通だ。今までがアレだったので、それと対比して考えると酷いことになるだろう。

 まあ、その中で坂下は怪我をしているし、修治はふられて使い物にならなくなっているので、だいぶ戦力は落ちており、額面通りにの戦力ではないのだが、いやそれでももう十分という感じがする。というか綾香と雄三が健在な時点でもうあふれ出ている。

 しかし……坂下を狙う人間……か。

 念の為、と初鹿は言っていたし、サクラにも深刻な様子は見えなかった。サクラの方は付き合いがあまりにも短いのでよく分からないが、初鹿は戦いのことはともかく、少なくとも自分達に不利なことをするとは思わない。仮に面白さが優先されて浩之達を騙したとしても、自分以外の手で坂下が倒されることを望むようにはまったく見えない。

 というより、今一番坂下にとって危険な相手は初鹿だとすら思うのだが。坂下に一度敗れ、それでも坂下を倒すことが出来るほどの強さを持ち、怪我もすでに癒えている。

 ……やあ、まあそれもないか。怪我してる坂下を倒して、満足できる人間じゃないよなあ。

 チェーンソーであることを隠していたというのはあるが、それを加味しても、どうも初鹿には怪我した相手を狙うという陰険なものは似合わない。それならば、まだランの方がそういうことが似合うだろう。いや、ランは坂下を襲う理由はまったくないし、正直、今の坂下ですら、ランの手には余るだろうが。

 単に、今回の話は、出来る出来ないをまったく余所に置いて坂下にだって勝てると言ったバカがいたぐらいだろう。実際には坂下に挑もうとなど、考えもしていないはずだ。坂下がそもそもすでに通常のレベルでは考えられないほどの強さを持っているのは、素人でも見て分かるのだから。

 しかし、だからと言って、確かに警戒しない理由もない。坂下には、今まで痛いこともされたが、それも含めて色々とお世話になっている。そもそも、友人の身の危険に手をこまねいているような浩之ではない。それは浩之の根幹に関することなのだから、曲がり様がなかった。

 警戒はしとくか。とりあえず、空手部の部員とかが一人になったりしないように警戒しとかないとな。

 浩之はそう結論付けた。サクラの言葉がどれほど信憑性があるのか分からないが、こんな場面で送られて来るぐらいだから、下手をすれば浩之よりも強いかもしれない。そのサクラがまず横についている坂下よりも、むしろ空手部員を心配すべきだろう。誰か人質に取られることも考えられるのだから。

 まあ、空手部には何人か猛者がいるので、皆でいれば怖くはないだろうが、夜に数人で出る、とかになると問題である。そこらは、別に何の情報がなくとも坂下辺りは気をきかせて禁止するなりお目付役をつけるなりするだろうが、それだって完璧ではないだろう。

 夜に逢瀬、という可能性は、若い男女の集まりだから心配する必要のあることだが、実際のところはわざわざそんなことを心配する必要などないのだ。そんな元気を残せるような合宿ではないので、浩之が心配するほどのことはなかったりする。しかし、すでに人外に近づきつつある浩之は、自分の体力を基準に考えてしまうので、そんな結論に達したのだ。

 だが、浩之は人の心配よりも、まず自分の心配をすべきだろう。帰ったら確実に綾香の折檻が待っているのだから。その現実逃避だったのかもしれない。

 そのときだった。

「キャッ!」

 短く小さいが、間違いなく女性の悲鳴を聞いて、浩之はとっさに腰を落としていた。普通ならば、ひときわ高くあがった波の音でかき消されて聞こえなかっただろうが、浩之の耳はなかなか有能に出来ていた。自然に身体が動き、辺りに油断なく目線を走らせる。

 十秒ほど待ったが、それ以上は何も聞こえて来なかった。悲鳴は、少し離れた岩場の影から聞こえてきた。虫に驚いたとか、その程度の悲鳴だったのだが、このとき、浩之は坂下が狙われている話を聞いていたし、坂下達が不埒なナンパに会ったことも聞いている。そんな状況であれば、警戒するのも仕方のない話だろう。

 いや、大したことではないかもしれない、ということは浩之もちゃんと冷静に理解していた。だが、今まで起こったことを考えると、気を抜く理由はそこにはなく、もし本当に虫に驚いただけであるのならば、それはそれで何も問題ないのだからかまわない、と思っていた。

 素早く、しかし臨戦態勢を解かないままに、浩之はその悲鳴のあがった岩場の方に動く。何もなければただ驚かすだけだし、何かあれば、隠れて近づくことには意味がある。浩之の統制された身体ならば、滑りやすい岩場でもそれは苦にもならなかった。

 そうではなくても、波の音で何もかも聞き取り難い上、浩之にそこまでされては、近づいてくるのに気付けなくて当然だ。

 言ってしまえば、間が悪い、としか言えなかっただろう。

 見知らない女性だった。大学生ぐらいだろうか、長身で、長い髪を後ろで無造作に束ねている様子は、整った顔も合わせてなかなかに凛々しく見えただろう。

 だろう、というのは、このとき、さすがの浩之も、容姿に目が行くほどの余裕はなかったからだ。

 女性は、濡れたTシャツとスポーツブラをたくし上げて、今まさに脱ごうとしているところだったのだ。しかも、もう致命的なまでに両腕でもちあげているところだった。二つのふくらみとその先まで、浩之の前におしげもなくさらけ出されていた。

 多分、大きさとしても大きいし、形も良いのだろう。多分というのは、服やブラの上から見るのは初めてではないにしても、こうまで完全に女性の胸を見るのは、思春期を超えてから初めてのことだったからだ。

 唖然とする浩之に、女性はすぐに気付いた。いくら浩之が音を消していても、こちらを向いていたのだから、出てくれば気付く。

 浩之と、女性の目が合う。僅か数秒の間だが、二人はピタリと動きを止め、無言のまま、見つめ合った。

「キ……」

「キ?」

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 その悲鳴は、波の音程度では消されないほどの大きさで響いた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む