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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(40)

 

「ほんっ……とにごめんなさい!」

 浩之は土下座をしていた。さもありなん、事故とは言え、女性の胸をはっきりと見てしまったのだ。土下座以外に浩之の出来ることはなかった。

「もう、本当にいいか……いいですから」

 先ほど、波の音でも打ち消せないほどに大きな悲鳴をあげた女性は、そう言って浩之を立たせる。

「私も、不注意……でした。まさか、こんなところにまで人が来るとは思って……なかったので」

 言葉の歯切れが悪いのは、何も怒っている訳ではないようだ。胸を見られたのだから、責任がどちらにあるにしろ、女性は怒っても勝てるだろう。しかし、その女性は顔の赤みは消えないまでも、浩之を責める様子がないのには、浩之も気付いている。

「でも……君も、何であんなに隠れるように近づいて来たの?」

 とがめるような口調ではない。理由を分かって落ち着こうとしているのかもしれないと思い、浩之は事情を説明する。

「小さな悲鳴が聞こえたもんだから、何かあったのかと……」

「波をかぶったから、絞ろうと思ったんだけど……間が悪かった……みたいね。君も、悪気があった訳じゃなさそうだし」

 浩之を見る限り、自分よりは年下だと思っているのだろう。どこかお姉さんぶった口調が、どうも板についていない。ここまで言葉に詰まっているのなら、いっそフランクに話した方がいいのでは、と思う。おそらくは、この春大学になったばかりの学生だろう、と浩之は予想した。大学生にしてみれば、高校生をどう扱っていいのか、まだいまいち分からないのだろう。

 確かに言われてみると、女性は長い髪まで濡れている。Tシャツからは水がしたたり落ちるぐらいだ。不注意に岩場に近づいたのだろう。砂浜の波はそう高くはならないが、岩場にぶつかった波は、盛大に跳ね上がるのだ。いくらスポーツブラだからと言ってそれまで一緒に絞ろうとするのはいかがなものかと思うが。

 と、そこでスポーツブラが完全に透けているのに気付いて、浩之はさりげなく視線を外した。

「……どこかいかなくていいから、少し、まわりを見ててくれる? 服、しぼるから」

「はい……」

 どうも、浩之のさりげなさは、女性には通じなかったようだ。まあ、そのままにする訳にもいかなかったので、これでもいいのかもしれない。それに、胸を直接見られることに比べれば、スポーツブラは単に水着にも見えるので、大したことはない。が、見ていいかどうかは別だ。

 浩之は、女性に背を向けて、他に人が来ないかだけに集中する。さすがに背中で服を脱いでしぼられていると考えると、さっき見た光景が頭に浮かんでしまうので、浩之としても必死だった。エロさには定評がある浩之だが、相手が嫌がることはなるべくしたくないのだ。

 時間にすれば短い間だったのだが、正直、勘弁して欲しい時間だった。遠くに行くと逃げられると思ったのだろうか? しかし、どうも女性の方は浩之を責める様子もなさそうだったので、それはそれで不思議な話だった。これが綾香なら、まあ、そんなへまはしないと思うが、同じことがあれば相手を殺す、間違いない。浩之だって、生きて帰れる可能性は限りなく低いのだ。

 綾香の恐怖が、浩之を多少冷静にさせた。こういう使われ方は、非常に綾香としては不本意だろう。しかし、邪念に一番有効なのは、やはり恐怖なのだ。

「もういい……ですよ」

 一応、女性の恰好はまともになった。まあ、多少透けるのは致し方ないとしても、その程度ならば汗をかいてもなるだろう。透けるのが嫌なら、服を黒ぐらいにしないと無理だろうから、こんなものだろう。

「本当にごめんなさい」

 浩之は改めて頭を下げた。

「いい……ですよ。事故のようだ……ですし、正直、あまり言われると、余計に気になり……ます」

「あ、確かにそうだな。じゃあ、さっきあったことは、話題に出さないことにするから」

「そうしてくれ……ください」

 やはり、女性はいちいち口調を気にしているようだった。出会いが普通であれば、例え初対面であっても気軽に話してくれ、と言うところだが、いかんせん、出会いがまずかった。さすがの浩之も、この女性に対しては、後ろめたい気持ちがあって、それが言葉を躊躇わせた。

 改めて、浩之は女性の姿を確認する。身長は目算で百七十センチを超えているだろう。靴が運動靴なのを考えると、女性としてはかなり高い部類に入るだろう。綾香に匹敵するほどの長い髪を後ろで無造作に束ねている。運動の邪魔にならないようにしているのだろう。美人、というか美形だ。鋭い切れ目と言い、ややほりの深い顔のつくりと言い、りりしい、という言葉がしっくりいく。綾香や葵と比べれば太い、がそれはあくまであの二人が細いだけで、身長の高さがあるのに、大きい、という感覚はない。引き締まった身体は、明らかに何かスポーツをやり込んでいる体型だ。だいたいのスポーツで身長が高いというのは有利に働く。女性で長身となれば、その恩恵はかなり大きいだろう。

 自分が格闘技にどっぷりつかった所為か、最近人を見るときに、まず鍛えられているかどうかを気にしている自分に気付いて、浩之は心の中で苦笑した。男としては、まずはその胸の大きさとかに胸が行くべきだろう。

 総合すれば、まるでハリウッドの女優のような女性だった。しかもアクション映画の主人公のそれだ。綾香とはまた違ったタイプの華がある。綾香はそれでも日本人だし、ハリウッドを例に出したがこの女性も完全に日本人であるのだが、その二人の間の雰囲気の違いは大きい。

「何かスポーツをしてるのか?」

 相手は口調を気にしているようで、だったらこちらがフレンドリーに話していれば、そのうち相手もくだけてくるか、またはむっとするかもしれないから、そこから口調について話題を出せる、と思って、浩之は努めてくだけた口調で聞いた。

「え、あ、ええ、まあ……」

 女性は、言葉を濁した。何かふれられたくないことでも聞いたかと思って、浩之はしかしすぐに思い至った。

「あ、悪かった。詮索する気はなかったんだ。ごめんな、っと、話題に出さない約束だったな。じゃあ、俺は行くから」

 考えてみれば、こっち加害者、あちら被害者。仲良くお話できる出会い方ではなかった。浩之は、頭を下げてさっさと逃げるようにここを離れるべきだったのだ。それがおそらく、女性にも良かったはずだった。

「い……いえ、いいん……です。それよりも、悪く思うのなら、少し、相手してくれますか?」

 相手、と言われてすぐに格闘技の相手を考えてしまった浩之は、だいぶ何かに毒されている気がして、自戒した。もちろん、そんなはずもなく、どうも話し相手をしてくれ、ということらしい。

「あ、いや、もちろんお詫びが出来るんなら、そっちの方がいいんだけど……いいのか?」

「あ……はい、奢って欲しいとかそういう話ではないですよ。高校生におごってもらうほど、困ってませんから」

 自分では気の利いたことを言った、と顔に書いてあるようなまる分かりの表情で、女性は笑った。言葉にするのならばにへら、という笑いで、まったく緊張感がない。そのりりしい外見とは裏腹に、愛嬌のある笑いだった。

 正直、女性がどういうつもりなのか、いまいち浩之には理解出来ない。しかし、浩之には断る理由もないし、実際迷惑をかけたのはこちらで、少しでもそれを返せるというのならば、選択肢は決まっていた。

「ああ、名前を教えてませんでしたね。私は、羽民(うたみ)と言います。君は?」

「藤田、藤田浩之だ」

 そういえば、初鹿と会ったときも、こんな感じだったなあ、と浩之は思い出していた。あのときと違うとすれば、浩之に負い目があることぐらいか。

 彼女との出会いが、この混沌と狂騒の合宿の中でで、出会いとしては、一番大きな出会いだったのは、むしろ浩之としては喜ばしいことだっただろう。

 

続く

 

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