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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(41)

 

 海水浴に来て、そこで知り合った女性に声をかけられる。

 これだけ書けば、まず男からはうらやましがれる状況だが、当然、事はそんなに単純なことではないし、同時に浩之も単純に喜んでいられる状況ではなかった。

 出会いからして、事故とは言え、相手のあられもない姿を見てしまったのだ。それだけでも、浩之としては相手に対して一歩引け目を感じているので、決して居心地の良いものではない。

 とは言え、羽民と名乗った女性は、それについてはまったく言及してくるつもりはなさそうた。何も、浩之を責めるために話をしようと言った訳ではなさそうだった。

 そう思えば、浩之はあまり躊躇わなかった。責められても仕方ないのだし、そのときはそのとき、と割り切ることにしたのだ。女性が慣れない言葉を使っていると気付いたので、ことさら浩之はぞんざいな口調を心がけたものだから、うち解けるのも早かった。

 そもそも、浩之は天然でジゴロの才能がある。得てして顔に恵まれた人間は、相手の好意に関して自信過剰になることが多いのだが、浩之はその点自分を最小評価しかしておらず、節度ある態度は好感を呼ぶだろう。それでいてすぐに初めて会った人間とうち解けるのだから、これはむしろ相手が誤解しても仕方のないところだろう。

 そういう弊害に、さてこの女性はあてられたのか、ものの二、三分ほど会話をしただけで、浩之と羽民という女性はうち解けてしまった。まあ、悪いことではないのだろう。

 二人の会話は、浩之のことにうつっていた。

「へえ、藤田君は、遊びに来てるんじゃないんだ?」

「ああ、部活……というには、そもそも二人しかいないから、どうかなと思うけどな。他の部活にひっついて来てるだけだから、部活の合宿というのも変だしな」

「なるほど、団体行動じゃないからこんなところで覗きを……ああ、ごめんなさい、別に責めるつもりはないの」

 浩之が申し訳ない表情になったのを見て、羽民は慌てて手を振ってそれを否定した。これだけ見ても、羽民が浩之を責めるつもりがないことは分かるし、そしてこの女性が人がいいことが伺える。

「でも、上がいないから自由に出来るってのはあるな。まあ、だからってさぼる訳にはいかないんだよなあ。もう対して本番まで時間ないし」

 それどころではない。実際のところ、この合宿の時間も惜しいのだ。予選三位の浩之に、余裕を持つようなものは存在しないのだ。まあ、事実から言えば、いくら焦ったところでどうしようもなく、この合宿だって遊んでいるようでいて、何故かかなり厳しい戦いをしているような気もする。

「大変なのね。まあ、その身体を見たら、よっぽどのことをしてるってのは分かるけどね」

「正直、俺としては、もうちょっと筋肉が欲しいんだが」

「……それよりも鍛えようと思ったら、身体壊しそうな気がするわ」

 大して鍛えてなくとも、浩之のころの年齢であれば、筋肉質な男子は十分に鍛えているように見える。部活でもやっていればもう十分だろう。

 しかし、今の浩之はそういうものとは次元が違う。細くしなやかだが、明らかに異常な状態にまで身体が引き締められていた。浩之は、その才能と根性と回復量に物を言わせて、短期間でかなり無茶な鍛え方をしているのだ。壊れなかったのは、浩之だからだ。

 鍛えている、というのは分かるだろうが、それを見ただけで看破できるものかどうかは、浩之には分からない。まあ、羽民もスポーツマンのようなので、そこらへんは敏感に反応するのだろう、と浩之は頭の中で勝手に理由をつけた。

 勝手に、というのは、どうも羽民が自分のことにふれられるのを避けているようだったからだ。あまり器用なタイプではないのだろう、何度かあからさまに話をそらそうとしたりするので、浩之も気を利かせて、そういう方向には話題を持っていかないことにした。

 事故とは言え自分の胸を見られた身も知らない男に、多くの情報を教えるのはどうかと思う。それだけならば、浩之もある程度で会話を切って別れることも考えただろう。いても相手を不快にするだけならば、逃げるようだが引き下がるのは一番正しい。

 しかし、羽民からはそういう態度は見られないし、自分の会話を振らないのを、見たところ羽民自身に何か事情があるようだった。

 指導者や仲間とケンカでもしたのか、成績が伸び悩んでいるのか、それともまったく別の人間関係の問題か。

 初めて会ったから確実なことは言えないが、どこか羽民は気落ちしているようだった。だからこそ、見も知らない高校生と話をしようなどと思ったのだろう。何事にも、気を紛らわせる、というのは建設的ではなくとも精神衛生上はそこそこ有効なのだ。

 そう思えば、会話ぐらい浩之の苦ではない。そもそも、羽民ははっきり見てしまった以上間違いなく巨乳で美乳の持ち主で、それを理性でどうにか置いておいたとしても、長身でりりしい感じの美人だし、笑えば愛嬌のある表情になる。浩之だって、悪い気はしない。

「まあ、怪我については気をつけるから、大丈夫、と信じたい。さすがに今大きな怪我したら本番は間に合わないよなあ」

「大きな怪我もそうだけど、慢性的な怪我にも気をつけた方がいいわ。君はまだ若いんだし、これから先があるでしょう? 気をつけるに越したことはないわ」

 怪我……ではないみたいだな。自分が怪我をしてここまで平然と口に出来るとは思えないし、出来るんなら気落ちしたりはしないか。

 浩之はそう結論付けた。やはりスポーツマンにとって一番怖いのは怪我なのだ。こればっかりは、一度なるとどんな才能を持っても覆せない。怪我をしにくい、というのは確かに誰もがうらやむ才能なのだ。

 羽民もだいぶうち解けたのか、口調にも慣れたのか、言葉がなめらかになっていく。浩之は、無意識なのだが、羽民の警戒心をほとんど完璧に解いていた。

 会話をするだけならば、何も問題がない。相手が胸が大きかったり美人だったり愛嬌があるのならばさらに良い。

 しかし、そういう問題では、とっくになくなっていた。

 胸が大きかったり美人だったり愛嬌があったりするのは、重要なことではない。まったくもって重要ではなかった。それが問題だ。

 一番の問題は、浩之の悪い病気が発病したことだった。性質、と言ってもいいのかもしれない。どっちにしろ不治であるのは間違いない。

 坂下がないがしろにされるのを何より嫌うように、綾香が戦って勝つことをやめられないように、浩之の根幹に関わる、浩之にとっての原風景。

 浩之のその性質に、自分が関わっていると知れば、その幼なじみは喜ぶだろうか? それとも、それによって浩之が多くの女性から好意を寄せられることを苦々しく感じるだろうか?

 事実は分からない。浩之だって聞くことも、そもそも自分の性質を認識することもないだろう。だが、もしそういう状況があるとしたら、多分、その幼なじみは、誇るのだ。

 浩之は、困っている女性、弱っている女性を、放っておいたりできないのだ。それは打算もなく下心もない、説明はできるが単なる衝動の部類に入る。

 さらに一点、これ以上ない異常なことは、浩之はその衝動を平時のものとして、ずっと持ったままでいられることだろうか。

 だから、浩之はつとめて楽しそうに羽民と話すのだ。まあ、意識などしなくとも、羽民と話をするのは楽しかったのだし、意識する必要はないのだが、楽しくなくとも、そうしたであることが重要なのだ。

 詳しい状況は分からないし、そこまで深入りするのもどうかと思い、話し相手になるだけになっているのは、それでもまだ自制が効いているのだろう。

 ……これで自制が効かなくなったとき、起こることは、さて、誰にとっての幸福であり、誰にとっての不幸であるのか、現時点ではわかりようもなかった。

 

続く

 

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