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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(42)

 

 蓼食う虫も好き好き。苦い蓼の葉だが、それを好む虫もおり、人の好みはそれぞれということだ。

 私にとって、この言葉は縁遠い話だった。何を強く好むこともないが、趣味に関して言えば実に普通だったのだ。今までの友達は、多分自分のことを普通の子だと評するだろう。大人しいという訳でもないけれど、それでも何か特徴がある訳でもなかったからだ。

 そんな私が、夏の暑い日に、クーラーの効いた部屋の中で昼寝をしているのは、そう、普通に考えれば、何もおかしなことはない。例え暑さと疲労に負けて倒れた後だとしても、それこそ女の子であれば普通かもしれない。

 しかし、これが空手部の合宿であると知れば、さて、どれほどの人が普通と言ってくれるか。

 まず、女性の空手部員が少ない。私の学校では私一人だ。更衣室は他の、やはり女性部員が少ない部と同じ場所を使っているので問題ないけれど、端々で、やはり女性には向いていない部活だと思う。女性部員が多いダンス部と比べると、やはり汗くささなどは比較にならない。まあ、そこは副部長の中谷君がそれなりにしっかりやっているので、他の部と比べればまだましなのかもしれないけれど。

 次に、練習で倒れた、というのが問題だ。正確には、練習の後にろくに休憩も取らずに暑い鉄板の前でヤキソバを作っていたからこんなことになったので、その点は自分の責任とも言えるかもしれない。でも、厳しい先生がいるわけでもない、どこかの大会を目指している訳でもない、そんな女の子が、練習で倒れるのは、確かにおかしい。

 だいたい、空手部など、私のがらじゃないのだ。これでもちゃんと年相応にファッションや音楽に興味がある年頃だし、学校の友達とはそんな話ばかりしている。ましてや、自分はスポーツ万能などとはとても言えないのだ。運動部に入ることだけでも似合わないと思う。

 しかし、そんな私は、何故か空手部の合宿に来て、鬼のような練習をこなして、ヤキソバを作って倒れた。何かこう言うと最後のヤキソバが一番普通なのに一番浮いているような気がする。

 カーテンを締め切って暑い陽射しの入らない、クーラーの良く効いた、広い部屋の中には、僅かに聞こえる外の喧噪とクーラーの音、そして寝息しか聞こえない。

 坂下さん、坂下好恵さん。私にとっても、印象の強すぎる名前だ。多分、彼女がいるからなのだろう、向こうの空手部はかなり珍しいことに、女子部員の方が多い。そして、その鬼の練習量を決めたのは、その坂下さんだった。

 自分は怪我をしているので練習できない。なのに他の人には厳しい練習をかしている、などという不満があがろう訳がなかった。怪我さえなければ、坂下さんは私から見てもやりすぎなのでは、と思うほど練習をしている。土曜日にだけ見る私がそう思うのだ。あちらの部員はもっと思っているだろう。

 誰に名乗る訳もないが、一応、今更だが私の名前を言っておこう。正直、別にA子とかでもかまわないと思うのだ。世の中に主役と脇役がいるとすれば、私は明らかに脇役の方。ヒロインになるには容姿に恵まれていない、今日一緒になった松原さんまでとは言わないまでも、もう少し自分でもかわいければなあ、と思う。ヒーローになるには、さて、坂下さんや、やはり今日みた来栖川さんほどにならないと駄目だと思うので、別世界だ。

 そう、主人公になるとすれば、彼女達のような一握りの本物か、うちの部長みたいな……

 ……失礼、話がそれた。私の名前は鉢尾美祢(はちお みね)。すぐに忘れてもらっても何も問題はないと思う。

 南渚高校空手部の選手で一年だ。選手! まさか自分がそんな立場になるなんて、入学当時はまったく思っていなかったものだ。今だって、何でこんな場所にいるのだろう、と再三思うことがある……悔しいことに、体重計の前ではこれ以上喜ばしいことはないのだけれど。

 ことの起こりは、入学式での話だった。

 中学からの友達もそこそこにいたので、初日から私達はみんなで生徒を見学していたのだ。凄く綺麗な女生徒がいればそれを話題に、かっこいい男の子がいればそれを話題に、友達の間だ、何を言っても許される。

 それに、私も高校生なのだから、かっこいい彼氏が欲しいと思わないでもなかったのだ。顔が十人並みの私がそんなことを望むのもどうかと思うけれど、想像だけなら許されるだろうし、現実はそんなことはないだろうことも分かっていた。女の子というのは、男が思う以上に現実的なのだ。まあだから天然が、というか天然を作っている子が嫌われる訳だが。多分、同族嫌悪の延長なのだと思う。

 目についたのは、中谷君だ。長身の細身で、クラスの中では明らかに一番条件が良さそうに見える。他の男の子と話す姿を見ても、一人落ち着いている雰囲気を醸し出していた。まあ、私の好みには合うものの、だからどうしたと言う訳ではない。条件だけ見て告白する訳でもないので、単なるクラスメートになるだけのはずだったのだ。

 たまたまみんなで中谷君の容姿について、遠くで見ながら話題にしていた、そのときに来たのが、先輩だった。

 明らかに上級生、馴れ馴れしく中谷君の肩を叩く姿は、中谷君がわらっていなければ、先輩が後輩をいじめているようにしか見えなかっただろう。まわりで話す、他の男子生徒の言葉が入って来たのも、偶然だった。

「うわっ、あれって「一角」寺町じゃん」

「まじか。この学校だったのかよ」

 一角?

 その高校生らしからぬ、いや、そもそもあだ名にしても本人が聞いたら赤面物のそれが気になって、知っているのか友達に聞いてみる。

 友達も詳しくはないが、けっこう有名な不良らしかった。一般人にどうこうしたりするタイプではないが、夜な夜な街に出てはケンカを繰り返すいかれた人間らしい。しかし、ケンカの強さは本物で、五人相手でも勝つらしい。一匹狼で、同じ学校では他の不良すら敬遠するらしい。最近噂にならないと思ったら、高校生になってたのか、という友達の言葉に、私は驚きを隠せなかった。

 中学生で五人相手とかないから。多分、本人が強く見せようとして嘘を言いふらしたのだろう、とそのときは思ったのだ。そのときは、そこで先輩に対する興味は終わった。

 次の日、私は一人で校舎の外をまわっていた。友達は皆、自主的な部活の見学に行ってしまったのだ。仕方ないので、私は冒険がてらに校舎の外をまわっていた。

 そして、昨日の不良を見てしまった。いや、あのときまで、本当に不良だと思っていたのだ。

 使い古された空手着を着込んで、あのときは私は空手着と柔道着の区別がつかず、柔道着だと思っていたが、殴る練習をしていた。

 一瞬は、まずいところに来た、と思った。不良が身体を鍛えるのは酷く滑稽な気もするが、そんなところに、のこのこと無防備な女子生徒が出てきたら、さて、不良がどういう行動に出るのか分かったものではなかったからだ。自分でも驚くほど怯えながらも、場合によっては大声を出せばどうにかなるか、とそんなことを考えていたのだが。

 その不良は、まったくこちらに気付いた様子がなかった。真横であったらか、もしかしたら本当に視界から外れていたのかもしれないけれど、今はまず間違いなく、単に私のことが眼中になかっただけなのだと思っている。

 放課後、誰もいないところで一人殴る練習をする不良。それが、先輩との、本当の出会いになったのだ。

 

続く

 

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