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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(45)

 

「おお、見事な裏投げですな」

「というか、投げっぱなしジャーマン? あ、着地した」

「おおお、着地して起きあがったところにラリアットですか、これはまた!」

「一応、空手にも腕刀とか裏小手とかあるんだけど……あれはラリアットだねえ」

「むむ、さすがに藤田君もあれだけ綺麗に決まったら立てませんか」

「あの、浩之先輩、さっき一回転してませんでした?」

「もう少しがんばれば自分が乱入しても分からなかったかもしれないのに、いや、実に残念ですな」

「いいからお前黙れよ」

 バックを取った綾香がブリッジで浩之の身体を後ろに投げ飛ばし、天高く放り投げられた浩之は、しかしこれ幸いとばかりに回転を上げて足から着地した浩之が起きあがるよりも先に立ち上がっていた綾香が浩之の首を腕で刈って浩之は一回転、砂浜にダウン、KOという非常にエキサイティングな場面なのだが、まわりで見ている分には、単なる見せ物でしかなかった。まあ、あれを見て綾香に声をかけようなどという猛者はさすがにいないようだが。

 一応人の流れが切れたところでやっていたとは言え、一歩間違えばまわりの人も巻き込みそうな勢いがあった。おそらく、綾香がよほど腹に据えかねることがあったのだろう、と坂下は浩之に同情した。矛盾しているようだが、別に不思議なことはない。浩之が悪い可能性はあるが、綾香が短気ではなかったという選択肢はないと思っているのだ。

 まだ昼の休憩は終わっているが、元気のある数人は、散歩に出かけているのだ。ただし、水着なのは坂下だけである。その坂下も怪我があるので泳ぐことはできない。パーカーの下は、水着よりも面積の大きい包帯がまだ取れてはいないのだ。潮風とかが傷に響かないかと、実のところ御木本などは気にしているが、坂下は平気そうだった。

 午前中もあれだけ動いたというのに、皆元気そうだった。身体を動かせない坂下と健介はともかく、御木本と寺町、中谷はさすがと言えよう。ランがここにいるのも、さすがと言える。ちなみにもう一人池田は余裕があるが、今のうちに夏休みの宿題をやるのだと、監視代わりに残っており、サクラと初鹿は別行動を取っている。

 その中でも、寺町は元気過ぎだ。というかもう少し自重しろ、と皆思うほど元気だった。いくら三十分ほどは寝ていたとは言え、回復が早過ぎる。そして無駄にテンションが高い。さっきからまとの外れたセリフは全部寺町の言葉だった。まあ、この男に空気読めとか言っても仕方ないことだ。馬だってもう少し真剣に聞くだろう。

 ほとんど今回の空手部の上位が並んで歩く姿は、正直あまり海水浴場には似合っていない。そもそも水着が一人しかいない時点で合わないのに、その中でも特に海水浴場と寺町という組み合わせは、すりあわせとかそんな要素すらない。

 むしろ寺町が元凶とも言う。寺町を除けば皆見栄えはいいのだ。するかどうかは別にして中谷も御木本も一人ならば女の子をナンパも出来ようし、その二人には負けるが、健介だって捨てたものではない。ランも見た目は十分かわいいと言えるどころか空手部で一番かわいいし、坂下はもちろんダントツで格好いい。

 まあ、あくまでこのメンツでは強さが第一であり、外見の善し悪しは付加価値ぐらいしかないのだろうが。

「……で、ついて来て言うのも何だが、このメンツで何するんだ?」

 一緒に遊ぶ、とかまったく思い付かない顔ぶれに、御木本は辟易しながら言った。かく言う御木本は、もちろん坂下がいたから来た。それ以上の理由をこの見た目軽そうな男は必要としない。

「私は散歩だけど?」

 返答する坂下の言葉は短く端的だ。そもそも、一人で行こうとしたところに御木本や健介がついて行こうとしたところから人が増えたので、坂下にプランがある訳がない。

 健介は御木本の言葉に反応もしなかった。最初から健介は遊ぶ気もなかった。ただ、坂下を一人で行かせるのは危ないと思ってついて行こうとしたら、御木本がしゃしゃり出て来たので別の意味で危ないかと思ったのだ。怪我があろうと御木本相手に坂下が遅れを取ることはないと思っていたが、それで坂下の怪我が悪化するのは健介としても見逃せない。というか健介は御木本をまったく信用していなかった。男女の間の話になると健介はかなりシビアだった。どれぐらい御木本が空気読めと思っているのかも理解しているが、だからこそ健介はついて来たのだ。

「御木本……先輩が勝手について来ただけじゃないですか」

 一応、先輩をつけたが、ランの方も不満がにじみ出ていた。二人に遅れて坂下について行こうとしたランだが、そもそもランのやりたかったことは浩之と合流することだったのだ。一緒に遊びにでれなかったのは坂下の監視下では仕方なかったが、坂下と一緒であればそれも問題ない。と思っていたら、見つけた瞬間に綾香に投げっぱなしジャーマンからのラリアットで浩之はあえなくKO。ランとしては機嫌が良くなる理由がない。むしろさっきのタイミングで心配して駆け寄る、という選択肢を取らなかったことを猛烈に後悔していた。その役は、躊躇している間に葵に取られてしまっている。

「え? 何で来たかって? 練習するんでしょう?」

 ……まあ、バカは放っておくとして。

「まあ、僕は部長が皆さんに迷惑をかけないように……」

 「主将と呼べ、主将と」といういつものおきまりのセリフを聞き流しながら、さすがに皆中谷に同情した。というか、中谷はこのバカで危険で空気読まない男の面倒をずっと見ているのである。並々ならぬ苦労があるだろう、本当に頭が下がる。

「まあ、バカはいつも通りだからいいとして、寺町、あんた、部員の子放っておいていいのかい?」

「皆へたばってますが? まったく、これぐらいはこなせるようになって欲しいものですよ」

 いや、それを言うのはさすがに無理なのでは? と皆思った。日頃から鍛え慣れている坂下の方の空手部員だって、皆寝ているのだ。ここにいる方が間違いなくおかしいのだ。

「じゃなくて、鉢尾だっけ、寺町に昼食作ってぶっ倒れたの。あの子の面倒は見なくていいの?」

「と言われても、そもそも男は女性の方の部屋には入れませんよ」

 寺町の癖に常識的なことを言われたので、皆何故かむかついた。理由はいわずもがなである。お前が常識を口にするな、と考えるのは、寺町相手ではおかしくない。

 皆が思っていることが分かるのだろう、坂下もさすがに苦笑しながら続ける。

「まあそうなんだけどさ。一応、あんたは部長で、しかも自分に飯作ってくれたのに、気にするぐらいはした方がいいんじゃないかい?」

 一応、倒れたのは坂下の所為もあるので、強くは言わなかった。無理をして休まずに寺町に昼食を作ったのも、やはり本人の責任でもある。しかし、寺町が少しも気にしていないのは、少し報われない、と思ったのだ。いらないお節介だとは坂下本人も思っていた。

「大丈夫ですよ」

 寺町は、いつも通りどこかに確信を持った口調で答えた。寺町には、他の皆が持つような躊躇とか葛藤とかがないようにすら見える。それはバカなのだろうか、それとも、ある意味完成しているのだろうか?

「倒れはしましたが、あれぐらいでどうにかなるほど、うちの部員は弱くはないですからね。それぐらいは信頼してますよ」

 今でもずれたことを言いながら、やはりバカはバカでも、ただのバカではない、と坂下は思うのだった。

 

続く

 

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