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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(48)

 

「うおっ?!」

 いきなり目に飛び込んで来たのは、砂だらけの足の裏だった。しかも、浩之の類い希なる動体視力を持っても、それは一瞬のことでしかない。まあ、簡単に見切られるような技を出す修治ではない。それが冗談でもだ。

 浩之はとっさに両腕でガードするが、質量のある一撃を、それで受け止められる訳ではない。そもそも、先ほどまではいずるようにしてしか動けなかったのだ。あっさりと、浩之の身体は後ろに跳ね飛ばされた。

 砂の上を盛大に滑り飛ぶことを浩之は覚悟したが、しかし、浩之の予測とは違って、酷く柔らかいものに浩之の身体は受け止められていた。

 浩之の後ろにいたのは、何のことはない綾香だ。いくら疲労がたまっていると言っても、浩之一人飛んで来たぐらい回避するのは訳ない。が、綾香は逃げずに、浩之の身体を受け止めると、身体のバネを最大限に使って、衝撃を殺したのだ。

 ドロップキックを打ち込んだ当の修治はと言うと、運動エネルギーを完全に浩之に打ち込んだのか、その場でぐるりと回転して、あっさりと着地していた。さすがに跳ね飛ばされた浩之には見えなかったが、浩之を受け止めた綾香の前で、いかにも見せつけるような大きな動きだった。

 思い切り冷たい眼差しで、綾香は修治を睨む。

「……何、あんた。ケンカ売ってるの? こっちは練習で忙しいんだけど」

 短気そうに見える綾香だが、案外ここまで敵対心を出して相対することは少ない。弱い者に敵意を向けても弱い者いじめにしかならないと思っているのかもしれない。そういう意味では、修治は綾香が対等に嫌えるだけの強さを持っているとも言えるだろうか。

 綾香に敵視されれば、誰だって怖いだろう。女なんて怖くない、という言葉は、綾香の前では三秒と持たない。見た目は美少女だが、本気で睨まれて平然としていられる者はいまい。やろうと思えば、綾香は簡単に見た目ですら強くなることができるのだ。

「いや、ケンカ売るにももう少しコンディションがいい場所じゃねえとな。こんな砂浜でやったら俺が有利過ぎるだろ」

 そんな綾香を目の前にしても、修治は不敵な笑みをまったく変えなかった。さすがは綾香と対等に戦えるだけの人間だった。

「はっ、どの口でそれを言うの? 何なら、今からそれが思い違いなのを理解させてあげようか?」

「と言う割には、えらくお疲れのようだが、そんな状態で俺と戦う方が愚じゃねえのか」

 ニタリ、と綾香は暗い笑みを浮かべる。

「私があんたに負ける訳ないでしょ」

 修治も、まるでそれに応えるようににやりと笑う。

「俺が負ける訳ねえだろ」

 綾香は、例えどんなコンディション、どんな場所、どんな時でさえ、負ける気がない。あの坂下にまで勝ってしまったのだ。誰と戦うにしろ、負ける要素がない。今度セバスチャンに挑戦しようかなどと、本気で考えているのだ。まあ、それに関してはセバスチャンの方が本気で戦わなそうなので、実現することはさそうだが。

 しかし、おそらくは修治の方も、綾香と同じようなことを思っているだろう。修治だってその強さは本物で、近くで倒すべきは、多分修治の師匠である雄三ぐらいしか残っていない。

 ある意味、綾香と修治は、お互いがお互い、丁度良い対戦相手なのだ。ただし、始まってしまえば、おそらくは死闘になる。勝てると思ってはいるが、楽な相手だとは少しも思っていない。だからこそ、丁度良い相手なのだろうが。

 ただ、まあ今この二人が戦うことはないだろう。話としてもここで最終決戦が行われるのには適した状況ではないのはもちろん、ここでは修治に有利過ぎる。スピードが殺される砂浜に、綾香の練習の疲労、この体勢で始めるのなら浩之の身体だって邪魔になる。こんな状況で戦うのは、綾香が許したって修治が許せない。戦って勝ちたい相手ではあるが、どんな状況でもいいと言う訳でもないのだ。

 綾香の方も、その修治の気持ちは分かっているので、戦いを始めようとはしない。立場が違って同じ状況なら、綾香だって修治とは戦いたくない。

 しかし、それはあくまで、理性での話だ。修治の方は嫌でも、綾香にとってみれば自分が不利になるだけならば何ら問題にはならない。そして、本気で戦いを綾香が始めてしまえば、修治はそれをやり過ごすことなどできないだろう。

 二人の間の空間が、蜃気楼でもないのに歪んで見えた。綾香が怒っているのは当然だが、別に理由などなくとも、絶対に馴れ合えない二人なのだ。この関係に比べれば、馬の合わないランと御木本の関係が微笑ましく見えるぐらいだ。

 止める者もおらず、まさにそのまま弾けるしかない、そんな状況で、横から遠慮がちな声が、二人の緊迫した対峙をあっさりと壊した。

「あの……いきなり後ろから飛び蹴りは、さすがに危ないと思うんですが」

 遠慮がちに、しかし少し責めるような口調で、これまで黙っていた葵が口を挟んだのだ。

「っと、松原さんだっけか。いや、これはすまないね。まあ、浩之は俺が鍛えてるから、これぐらいはいつものなれ合いと思って許してくれないか?」

 いきなり、修治の対応がころっと変わる。顔には愛想笑いを浮かべて、驚くことに見た目多少ごついだけの好青年にすら見えた。

「いきなり態度変わったわね」

 さすがにその変わりように綾香もあきれかえって毒気が抜かれる。戦う意志は、葵の言葉が入った時点で消えてはいたが。

「そりゃそうだ。善良な少女と化け物と同じ対応する方がおかしいだろ」

「……まあいいけど」

 葵がそれなりに、というか綾香には劣るもののかなりの美少女であることが理由かとも綾香は少し考えたが、それを言うと、綾香は葵を超えるほどの美少女なのだ。まあ、修治がロリコンで、葵のような幼く見えるタイプが好きな可能性もあるが。

「で、話を戻すけど、練習の邪魔しないでくれる?」

 後ろから飛び蹴りは確かにやりすぎだが、それを置いておいても、修治は練習の邪魔にしかならなかった。まさか一緒に練習しに来た訳でもあるまい。もし一緒に練習しようなどと言われたらそれこそ戦っても追い払うつもりだ。

「いや、単に浩之をからかいに来ただけなんだが……何か腹が立つから殺す方に変更してもいいか?」

 修治は、浩之を指指す。

「「あ」」

 綾香も浩之を助けた後は、浩之の存在を忘れていた。受け止めた体勢のまま、思い切り自分の胸に浩之の顔が埋まっているのを、今更やっと気付いたのだ。

 水着でないのが悔やまれるが、それでも十分な至福の時間、終了。

 ぺいと砂の上に捨てられる浩之。叩き付けられなかっただけ良しとすべきだろう。パラソルの影から出ているぐらいは仕方ない。

「くっ……ありがとう、じゃなかったあんまりだ」

 本音が思わず半分ほど出ている浩之だが、のろのろと立ち上がって、とりあえず、パラソルの下に入り込むのは成功した。

「修治、よくもやりやがったな」

 一応兄弟子にあたるのだが、当然遠慮などしない。というか、いきなり後ろからドロップキックをかけてくるような兄弟子にする尊敬などない。

「ふふん、だったら仕返しでもしてくればいいだろ。出来るんならだがな」

 綾香と同等の強さ、というのは伊達ではない。日頃一緒に練習しているのでよく分かっている。修治相手では、浩之は手も足も出ない。本気で行ってもボロ雑巾のように返り討ちにされるのがオチだろう。

 だが、今の浩之をなめてはいけない。修治が原因だったとは言え、至福の時を邪魔されたのだ。これに仕返しせずに何が男だ。

「何だ、修治。ふられてさっきまで死んでたのに、もう回復したのか?」

 本当に容赦なかった。崩れ落ちる修治を見て、してやったりと思っている浩之は、性根が腐っていると見て間違いないだろう。

 

続く

 

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