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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(49)

 

「く……くくくくっ」

 地獄の底から響くような笑い声が、熱い砂の上に倒れ伏した修治から吐き出される。

 ぐぐぐっ、と修治はその死に体の身体を持ち上げた。

「おおっ!?」

 浩之は思わず感嘆の声を上げた。不屈の精神で立ち上がる姿は非常に綾香伝にはお似合いの姿な訳だが、浩之がもし同じ状況であれば、きっと立てない。それほど厳しい。武原修治、男の中の男だ。格好いいかどうかはまた別の話だが。

「ふっふっふっふ、今まで俺が何度振られてるとおもってやがる。一度や二度とどめを刺されたぐらいで……ぐらいで!」

「いや、ほんと俺が悪かった」

 浩之は後ろからドロップキックをかまされた恨みも忘れて、血を吐くように言葉を発する修治に同情する。

「で、物凄くうざったいんだけど」

 が、綾香はまったく容赦なし。まあ、綾香は女性な訳で、もてない男の気持ちなど理解する方が難しいだろうし、そもそも綾香の美貌は、相手をえり好み出来るレベルなのだから仕方ないとも言える。まあ、うまくいっていない、という意味で言えば、綾香だって大概ではあるのだが。

「この俺の気持ちの万分の一でも嫌な気持ちになってやがれ」

 まあ修治は修治で自重していない。というか凄くかっこ悪い。とは言え、むしろ修治自身が(笑)とつけられるぐらいの状況なので、許してやるべきなのだろうか?

「で、結局ほんとに何しに来たのよ?」

「あ? だから邪魔しに来ただけだろ。別に浩之がマジメに練習してるとか興味ないしな」

 それでも兄弟子か、と言うほどの言いぐさだ。夏に海、しかも一緒にいるのは美少女二人、これで楽しく遊ばない方がどうかしている。つまり浩之はだいぶどうにかしているのだろう。そう、ただ青春するならば、こんな過酷な練習をする必要はないのだから。

「何だ、浩之を監視しに来たのかと思ったのに」

「練習さぼって弱くなるのに、俺に責任はねえしな。勝手にやらずに勝手に弱くなればいいだろ」

 練習を強制させる、これは、案外重要な教育なのだ。人間の自主性などに期待するのは無駄だ。無茶でない程度に、練習を強制させた方が、人は伸びる。中には練習が好きで好きでたまらない人間もいるが、そんなのはごく一部だ。人というのは楽な方へ楽な方へ流れるものだ。

 ゆとり教育、という名の教育放棄がただ学力を落としたのを見ても分かるように、誰も強制されなければ好きこのんで勉強はしないものなのだ。良い悪いは置いておいて、結果とすれば生徒に勉強を強制できる先生が、ベストではなくともベターな先生なのだ。

 修治は、明らかに指導者としてはよろしくはない。まあ、修治はそもそも年齢的に見ても指導者にするには若いので問題はないかもしれない。そもそも、浩之が初めての弟弟子である訳で、今まで人に教える機会すらなかっただろう。だからと言って指導放棄というのもいただけない訳だが。

「まあ、浩之に限ってはその心配もないだろうけどな」

 そう、結局、浩之には修治が練習しろと強制する必要はないのだ。浩之は、練習をさぼったりはしない。

 どこかのバカのように、練習することが楽しくて楽しくて仕方ないのか? それとも、同じくどこかのバカのように練習した成果が出るのが楽しいのか?

 まあ、どちらも間違いではない。どっかの寺町というバカ、もちろん弟の方、ほどではないにしろ、浩之だって身体を動かすのも、その結果上達することは楽しい。

 だが、浩之にとって、事はもっと切実だった。楽しいとか楽しくないとかは置いておく必要はなくとも、辛いからと言って練習を切り上げることはできないのだ。練習して、強くならなければ、とどかないのだから。

「まあ午前中は遊んだし、午後は練習づけだけどな。で、師匠は?」

「ああ、知り合いのところで下手な将棋打ってるぜ。どっちも笑っちまうぐらい弱いから、見ててもつまらんから一人出て来た」

「将棋、ねえ」

 そう言えばたまに雄三が将棋の本を読んでいるところを見た記憶もあった。修治がそこまで言うのだから、どこまで弱いかはともかく、強くはないのだろう。修治の女関係ではないが、弱い雄三というのも想像出来ない。修治も雄三も、浩之から見れば怪物のようなもので、それが人並みに将棋で負ける、と聞いても想像の外だ。

 まあ、そう考えてしまう要因は、そこで優雅にスポーツドリンクをすすっている綾香にも原因があるだろう。綾香は、弱点らしい弱点を持たないのだ。才色兼備、と言葉にすれば簡単だが、本当に何だって出来る。その所為で、怪物とは何でも出来るもの、と浩之は思ってしまうのだ。その点、浩之だって綾香ほど飛び抜けたものはないものの、全般的に綾香に劣っていないのだが、残念ながら浩之は自分のことだけには疎いので、それに気付いていない。

「ま、下手の横好きとしては平和でいい趣味なんだろうがな、才能ないんだろ」

 雄三をそう断ずる修治も、相変わらず怖いもの知らずである。

「さて、そろそろ練習再開するから、どっか行ってくれない?」

「いや、綾香。まだ動けるほど回復してないんだけど。ていうかせめて水分ぐらい補給させてくれ」

 さっさと追っ払いたい綾香には悪いが、浩之は練習を続けられるような状態ではなかった。無理をしてこその練習ではあるが、動かないものはどうしようもない。というか多少休んだぐらいで動けるようになる綾香がおかしい。

 しょうがないわねえ、と言って綾香は自分の飲んでいたスポーツドリンクを投げて渡す。関節キスとかその程度のことは気にしないのだろう。修治とかに言わせるとその自然さが腹が立つのかもしれないが、実際気にしないのならば大したことではないので、修治も何も言わない。

 まあ、気にするのも何か、と浩之は思って口をつけようとしたその瞬間だった。

「ああああああーーーーーーーっ!!」

 思い切り響き渡る大音量の声に、浩之は驚いてスポーツドリンクを取り落とす。綾香も葵も修治さえも、何事かと思ってその声をした方に振り向いていた。

 まさに風を切る、と言っていいぐらいのスピードで、その小柄な物体は砂の上を駆けてこちらに近づいて来ていた。言ったように、砂はスピードを吸収する。そんな中で砂浜を目にもとまらぬスピードで動ける、それだけですでに異常だった。

 残念ながら、すでに根尽きている浩之には何の対処も出来ないが、すでに体勢を整えている綾香にも葵にも、そして万全であるはずの修治にも、隙はないはずで、その小柄な物体にどれほどの害意があったとしても、浩之以外はどうにも出来ないだろう。

 そう、思っていた。

 しかしその物体は、精神的にはともかく、肉体的には現在一番万全であろう修治に向かって一直線に走り込み、あろうことか、修治の懐に入り込んで、タックルをかけていた。

 さらに驚くことに、修治は、為す術なくその物体に体当たりされ、後ろに飛んでいた。その光景に、浩之は自分の目を目を疑ったのだった。

 

続く

 

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