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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(53)

 

 彩子は、綾香の態度に気付かないのか、そのまま言葉を続ける。

「まったく、フロントもこんな遊びに出るのを許可しなくてもいいのに。まあ、出るからにはがんばって目立つんだね」

 勝敗のことよりも、目立つことの方が重要だ、と言わんばかりの口調だった。というか、事実そう思っているのだろう。彩子には、まったく悪気もなさそうだったし、綾香を挑発している様子もなかった。

 修治よりも強い、のかどうかは分からないが、修治が恐れるほどの相手だ。綾香とだって戦えるだろうが、それにしたって、態度に余裕が在りすぎだ。

 どちらかと言うと、これは修治の姉というよりも、寺町の姉と言われた方がしっくりいくだろう。あの空気読まさはまさに天下一品で、彩子はそれに劣らない、危険度だけで言えば寺町の空気の読まなさよりも酷い。

「せっかくの大会なんだから、出るのは個人の勝手じゃないですか〜」

 同じく空気を読まず、というかこっちはただ単に分かって無視しているだけのような気がするが、由香が反論する。

「ここで名を売っておけば、メインにだって頻繁に使ってもらえるかもしれないですよね!」

「いや、そんなに簡単なもんじゃないだろ。まあ、そっちから客引っ張ってくるんなら、せめて優勝は欲しいんじゃないのかい?」

「もちろん優勝狙ってるに決まってるじゃないですか〜」

 この由香の発言は、別に挑発にはならないだろう。出るからには、誰しも優勝を目指すものだ。

「クジ運が悪くて、アヤにあたってさっさと敗退すると思うんだが?」

「こう見えてもクジ運はいいもん。ね、アヤちゃん、当たったら見せ場はあげるから勝かしてくれないかな?」

 こうも堂々と八百長を公言していいものか、と浩之は考えたが、口は挟まない。何を言ったら綾香が爆発するか分からないからだ。ここには、綾香と均衡できるほどの実力者がいるとは言え、危険なものは危険なのだ。

「嫌」

 当然、アヤはにべもなく断る。しかし、今までの会話を総合すると、少なくともアヤは由香よりも強いということになる。葵も強さを認めた由香よりも強い、となれば、どのレベルかは分からないが、かなりの実力者だ。

 ……いや、その儚い雰囲気を目の前にすると忘れがちだが、浩之は一度は感じているのだ。この少女が、綾香と同等の、おそらくは怪物であると。

 そして、このメンツを合わせても一番底の見えない彩子は、二人の和やかでもない掛け合いを、呑気に笑いながら見ている。

 綺麗なりかわいいなり格好いいなり、とにかく見目の良い女性達の掛け合いは、平和そうと言えば平和そうなのだが、しかし、それがあったからと言って、一度立った波が消えてくれる訳ではなかった。問題は、まったく解消されていないのだ。

「……ねえ、彩子さんだったっけ? エクストリームが遊び、と言われのは、ちょっと聞き捨てならないんだけど」

「ん?」

 顔は笑っているが、明らかに目が笑っていない綾香が、彩子の前に立っていた。お互い自然体。どちらにも相手を警戒させるような動きはない。しかし、このレベルになれば、そんなことは何の保証にもならない。一秒あれば、人を壊せるのだ。

「んーーーー……?」

 さすがに、綾香から放たれる殺気に気付いたのだろう、彩子は怪訝な顔をして、しばらく首をかしげ、ややあってから、おもむろに手を叩いた。

「ああ、ごめんごめん! そっちメインの人に遊びなんて言っちゃ悪いね!」

 そう言うと、何の躊躇もなく、バンバンと綾香の肩を叩く。けっこうな力で叩かれているだろうに、さすが綾香はまったく揺るがなかった。正直、彩子のその姿は隙だらけで、綾香ならばいかようにも出来たのだろうが、何を思ったのか、綾香は手を出さなかった。

 ……こいつらと付き合ってると忘れそうになるけど、そう簡単に人に手をあげる方がどうかしてるのか。

 浩之は、自分の思い違いに気付いて、自戒する。下手をすれば、浩之もその色に染まってしまうかもしれないのだ。そこはあくまで一般人でいたい浩之だった。

 彩子は、笑いながら、しかし多少は申し訳なさそうな顔をして言い訳をしだす。これを見るだけでも、わざとではないのは明らかだった。というか、もう少し気をつけるべきだと浩之などは思うのだが、彩子ほどにもなれば、気にならなくなるのだろうか? 迷惑な話だった。

「エクストリームを悪く言うつもりはなかったんだよ。でもあたしら、プロレスラーだからね」

「プロが出るようなもんじゃないって言ってたけど?」

「言葉足りなかったのは謝るよ。プロって言っても、あたしらのプロはプロレスラーさ。プロレスラーが出る試合じゃないって言ってるのさ」

 その言葉はいまいち浩之には理解できなかった。本当に言葉だけでは、挑発と取られても仕方ない、というかそれで挑発ではないのだろうか?

「んー、納得されてないねえ。ええと、あれだ。陸上ってひとくくりにしたって、競技は色々あるだろ? オリンピックに長距離で出る選手が短距離に出たら、それはお遊びだろ?」

 陸上の、同じ走るという競技だが、これほど両立しない競技もないだろう。それは短距離勝負でも、まったく運動していない四十親父相手なら、長距離選手は勝てるかもしれないが、もしかしたら負けるかもしれないのだ。上のレベルになれば、もう勝敗など語るまでもない。

「……言いたいことは分かったわ。つまり、種類が違うって言いたいのね?」

「そういうこと。いやー、あたし頭はそんなに良くないからねえ。今ので理解してくれると助かるわ。プロレスは、あくまでプロレスだからね。格闘技と一緒にされちゃ困るんだよ。……ああ、この言い方もあんまりよくないね? 難しいもんだねえ」

 浩之も、理解はできた。

「プロレスラーは、エクストリームには向いてないって訳ね」

「そうだね、向いてない、そう、向いてないよ。どっぷりつかったあたしなんかはまず無理だね。その点、こいつらはプロレスラーとしてはまだまだひよっこだからこそ、エクストリームにも出られるって訳さ」

 しかし、まず無理、という言葉を信じていいものかどうか、浩之は疑っている。であれば、何故修治があそこまで彩子を恐れているのか分からない。どちらかと言えば、修治は反骨精神の塊のような人間なのだ。

「ひどーい、先輩。これでも、私もアヤちゃんも若手ではなかなかの人気なのに〜」

「はん、甘い甘い。とくにアヤ、あんたはもう少しがんばりな」

「はい」

「……まったく、返事だけはいいんだよねえ。まあ、そっちのは返事すら悪いという救えないやつなんだけどね」

「もー、先輩私に何か恨みあるんですか〜?」

 いや、お前の性格の悪さは演技しててもにじみ出るから、と浩之は思った。心の中だけにとどめたつもりだったので、由香に一瞬睨まれたのは錯覚ということにしておくつもりだ。

 とにもかくにも、驚異は去った、と思った瞬間だった。にいっ、と彩子が笑う。それは、今までの彩子ではない。そう、修治を何十倍も人を悪くしたような、ある意味凶悪な笑み。

「まあ、言ったようにあたしはプロレスラーだから、プロレスなら、ここにいる全員にかかってこられたって勝つけどね」

 今度のは、間違いなく挑発だった。

「へえ、言うじゃない」

 まずいっ!

 考えてもみれば、修治の姉が、良識を持ち合わせていると思う方がどうかしているのだ。プロレスラーがいくら総合格闘技と違うとは言え、綾香ほどの相手を目の前にして、自重するとは考えられない。浩之がすべきことは、気付いた瞬間に綾香の手を掴んでどこへともなく走り出すことだったのだろう。そう思っても、時すでに遅しというか、練習で疲れ切った浩之の身体では、何の手立ても打てなかった。

 まあ、当たり前と言えば当たり前なのだが、綾香がその挑発に乗らない理由はなかった。先ほどまでの練習も、多分同じように練習をしていただろう彩子にはハンデにはならない。つまり、イーブンであれば、綾香が躊躇する必要はない。

「来栖川綾香かあ、なかなかのビックネーム……ああ、悔しいことにあたしよりも知名度は高い相手に、ちょっと遊ぶぐらいは、問題ないだろう? そう思わないかい、修治」

「俺にふるな! というか俺は関係ないからな!」

 すでに逃げに入っている修治。あの修治が、逃げようとする異常状態は、極限と言ってもおこがましくない。浩之だって身体が動くのならば逃げたい。由香はちゃっかり修治の横について逃げようとしている。いや、あれは修治についていくことの方が本命なのだろうか?

 すでに逃げる手立てはなかった。だからこそ、彩子の横で何が起こっているのか理解していない顔で立ったままのアヤを見て、保護欲にかられて守らなければ、と残りの力を振り絞って立ち上がろうとしたときに、助けは来た。

「おお、彩子ではないか!!」

 それは、世にも珍しい、人をいたぶっているとき以外では見せたことのないような、いや、それですら聞いたことのない、甘やかした声だった。

 武原雄三、登場!

 ……どう見ても助けには見えなかった。

 

続く

 

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