「うげっ、出やがった」
雄三を見た彩子の最初の一言はそれだった。女性としてはどうだろうかと思うのだが、彩子は怖いので何を言ってもオールオッケーだ。少なくとも突っ込みを入れる人間はいない。何せ、すでに修治は逃げの体勢、浩之すら突っ込みが遅れるぐらいの危機的状況なのに、そんな些細なことを気にする猛者はいない。
浩之が思うに、中では一番の猛者である雄三がこんな状態であることがそもそもの間違いなのだが。
「元気そうでなによりだ、彩子。もう少し家に戻って来い。お小遣いぐらいはやるぞ?」
こんな状態である。声も態度もだだ甘い。
「あのねえ、あたしが今何歳だと思ってんだい? そもそも、あたしは自分で稼いでるっての」
「ではわしをどこかうまい店に連れて行ってくれればよかろう」
「……今度母さんに送金するから勝手にいきな」
「酷いのお、老人はもう少しいたわるものだろう?」
「けっ、誰が」
彩子の先ほどまでの余裕のある態度、というか無駄に大物そうな雰囲気が崩れ、仲の悪い親に対するような態度になっている。片や、雄三の方は彩子に、まるでかわいいだけの孫に対するおじいちゃんのように話しかけている。
……て、比喩じゃなくて、師匠の孫にあたるのか、この人。
しかし、何せ日頃の修治に対する態度を見ていると、孫に甘いなどとは少しも見えない。というか、他人よりも厳しいぐらいだ。しかも理不尽な方で。雄三が自分の祖父でなくてよかった、と思ったのは一度ではない。修治でなければ耐えられるものではない、その程度に理不尽だったりするのだから酷すぎる。
そうやって状況をうかがっている間にも、雄三が親身に話しかけて、彩子がそれを嫌がっている、阿鼻叫喚な状況は続いていた。
まさか男と女だからここまで対応に差があるとも思えないしなあ……
昔は知らないが、今の雄三は男女平等だ。というよりも男だろうが女だろうが、強い弱いが一番最初に来ているのだ。まあ、年齢的に言っても今更性欲がどうとかというものもないだろうから、そういう意味でも公平ではある。
と、浩之はそこで一つのことに気付いて、修治に聞く。
「……修治、何かうれしそうだな」
というか、けっこう満面の笑みにも見える。先ほどまでは戦々恐々としていた姿からは想像もつかないほど嬉しそうなのだから、気にならないはずがない。
「いや、この二人が会うと面白くってなあ」
「それは変わってるとは思うけど、楽しいか? ちなみに、どのあたりが楽しいんだ?」
身内にだけに分かるネタでもあるのかもしれない。何と言ってもこの三人は家族だ。何という危険な家族だ。
「ジジイが姉貴にすげなくされるのと姉貴が嫌がってるのを見てるとざまあみやがれと思……げふっ、ジ、ジジイてめえ……」
「口は災いの元だと何度か教えたつもりだったのだが、お主は本当に学習せんやつよのお」
何のことはない、非常に直接的な理由で楽しかったらしい。まあ彩子の方はともかく、雄三には日頃からやられっぱなしなのでそれぐらい思うのは仕方ないと思うのだが、その雄三が隙をついて修治のボディーにかなりきっついのを一発入れたので、浩之は黙ることにした。修治には悪いが、正義よりも命だ。
「それに比べ、彩子の何と才能に溢れたことか。今からでも遅くはない、帰って来て道場をつがんか?」
「寝言は寝ていいな。だいたい、修治以外弟子のいないような道場なんて……」
「いや、そこの藤田浩之、わしの弟子だ」
雄三からそう言われ、彩子は驚いて浩之を見ると、しばし凝視していた。
「……まじか」
「あ、ああ、まあ、なりいきというか必然というか」
何か彩子の目が自分のことを同情した目で見ていたようにも思えた。まあ、同情されるのも仕方ないかなあ、とまだ回復しない修治を見ながら思ったりする。
「……とにかく、あんな道場継いだって何もいいことなんてないよ。というか、この話はおう終わってるはずだろ?」
「まったくのお、あのときそこの修治がもう少しがんばっておれば、いや、もう少しでは意味もないか」
使えんやつ、という冷たい目でやっぱり回復しない修治を上から睨み付ける雄三。やっぱり孫に甘い様子は欠片ほどもない。あるのならその欠片のさらに破片ぐらいは修治に使ってやるべきだろう。
「えーと、話から想像するに、修治を倒したら道場継がなくていいとかそういう話?」
もうけっこうのけ者、というかあまりにも濃い家族に毒気を抜かれた綾香が、しかし頭の回転は衰えていないのだろう、話を想像して聞いてみた。いや、綾香だってこんなベタな展開はないだろう、と思いはするのだ。思いはするのだが。
「ああ、修治を倒したらもう言わないって言うから、肩外したり後頭部から落としたり顎砕いたりしたんだけど、これがまたジジイと一緒でしつこくってね」
何か、綾香相手だってなかなか聞けない物騒な言葉を平然と言ってるような気もする。聞き流した方がいいのだろうか? 多分その方がいい。
「一緒にせんでもらいたいものだ。しかし、わしも酔ってたとは言え、バカな約束をしたものよ。修治ごときが、彩子に勝てる訳がないのにのう」
やっぱりベタなネタだったーーーーっ!!
聞いている方は言葉もない。というか綾香と対等に戦う修治が、ここまでコケにされるというのが家族なのだろうか? そんな家族はいらない、と思った。まあ、つまり修治はこんな環境で、強くなるしかなかったのではなかろうか、と同情九割でそれでも立ち上がろうとしている不屈の修治を見る。
「先輩、酷すぎます! 修治さん、私はいつでも修治さんの味方ですから!」
ここぞとばかりに由香が修治にとりついて何か言っているが、正直由香がそんなことを言うと本気には聞こえない。何かそうやって余計に惨めな状況に修治を追い込もうとしているようにしか感じれなかった。いや、これは単なる浩之の邪推であって欲しいものだが。
「……えーと、これ、収集つくんでしょうか?」
「いや、丸投げなんじゃないの?」
物凄い置いてけぼりを食らっている、家族とおまけ一人以外は、とりあえず場を収拾させることをあきらめた。
続く