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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(55)

 

「はい、じゃあ次は組み手行くよ。ほら、並びな!」

「「「「押忍っ!」」」」

 坂下の号令の元、まるで軍隊のように機敏に動く坂下の方の部員と、体力的にだぶへばっている寺町の方の部員の動きが、はっきり差として出ていた。まあ、その点については坂下は何も言いたいことはない。上下関係に関しては、一度坂下が壊してしまったので理不尽なものはないとは言え、坂下のところの空手部が、学校でも随一の厳しい部活であることには違いない。まだ出来たばかりの寺町のところの空手部がついて来れることの方が驚きなのだ。

「よし、とりあえず三人ずつ休憩、後は三分組み手。いいね」

「「「「押忍っ!」」」」

 中でもかなり体力的にきつそうだった三人を選んで休憩させ、残りは組み手を連続でやらせるというかなりきつい練習をさせる。休憩している方は冷たい水の入ったたらいを用意してあり、そこに足をつけて休憩が許されている。もちろん、水分はいつでも取っていい。

 根性論の練習など今更流行らない。休憩するべきときは休憩すべきだし、水分はちゃんと取っておかないで熱中症で倒れられては練習にもならないのだ。しかし、せっかく板張りの格技場についている冷房は切っており、扉や窓が全開になって、そこに大きな扇風機が置かれているだけだった。

 これは、もちろん普通の練習でもあるのだが、根性を鍛える意味もあるのだ。先ほど根性論は流行らない、と言ったばかりでそれか、とも言われるかもしれないが、何も坂下は根性を否定している訳ではない。

 無意味な根性は必要ないが、意味のある根性というのもあるのだ。もう少し言葉を選べば、慣れとも言える。

 環境的には、今でさえ極限とは言えない。風通しのいい室内は、外で練習するよりは何倍も快適だ。この状況にすら慣れないようでは、少しの環境の違いで実力が出せなくなってしまうだろう。いつも練習している場所で試合がある訳ではないのだから、日頃ない環境での練習も必要だと坂下は考えていた。

 ……まあ、うちも冷房なんて気の効いたものはないけどね。

 明日は冷房の中の練習にするつもりだった。今日暑い中での練習をこなせてしまえば、明日は楽に感じるだろう。もしかしたら、急激な環境の変化に耐えられない部員もいるかもしれないが、それには普通に休んでもらえばいい。環境の変化に身体が弱いと分かっているだけでも、対処の方法はあるだろう。

 坂下は、この次の大会には間に合わないが、少しでも後輩達が良い結果を出せるようにする義務がある。それが先輩というものだ。だから出来ることは全てやらせるつもりだった。ぐだぐだ言う前に、無理にでも練習をさせた方が結果につながることを、坂下は若いながら知っているのだ。それは、ある意味指導者には向いているのかもしれない。

 部員達の、無理とそうでない境界、坂下はそこを攻め続けているのだ。だから、空手部の部員の成長は飛躍的でもある。決して楽ではない練習について来ているのも、結果が出るからというのを、坂下は否定しない。自分の人徳など、坂下はまったく信用していないのだ。

 自分が練習できないとはいえ、坂下の後輩に対する指導はがんばりすぎとも取れるかもしれない。いや、坂下は、自分が練習できるときもこうやって指導し、それ以上に厳しい練習を自分に課してきた。自分がやるのならば他人に押しつけてもいいとは言わないが、押しつけられる方の印象は、やっているとやっていないとでは大きく違う。

 まあ、それでも、坂下には、今の部員が、皆それなりに総合的に空手部を楽しんでいる、と感じていた。実際坂下が感じるだけではない。ここまで一体感の持てる部活も少ないだろう。まして、個人競技である空手でここまで良い関係が築けていることを、坂下は誇ってもいいのだ。

 で、こっちはどうも楽しんでいるようには見えないんだよねえ。

 坂下と同じ、扇風機の当たる涼しい場所に、こちらは無理をさせる訳にはいかないので座らせている、寺町の方の空手部の唯一の女子部員、確か、鉢尾とか言っただろうか。

 空手を楽しんで欲しい、と坂下は自分のことは放っておいて他人には思うので、鉢尾の空手を楽しんでいない様子は気にかかったのだ。

 まあ、それでも寝てればいいのに、見学だけでも来るあたり、寺町のやつ、ほんと愛されてるんだねえ。

 理解はできるが、共感はできない。それが坂下の気持ちだ。

 正直、疲労だろうが熱射病だろうが貧血だろうが、倒れたのならばもっと安静にしておいてもらいたいというのが坂下の本音だった。練習していれば人が倒れるぐらいよくあることだが、坂下はそれを甘く見てはいない。無茶をして困るのは本人と、そして責任のある寺町なのだ。

 ……しかし、あのバカも、面倒なこと押しつけるねえ。

 もう少しゆっくり練習しろ、と坂下はこの子に言わなければならないのだ。まあ、それはやぶさかではない。坂下はそもそも面倒見の良い質で、このままこの子が無茶をするのを良しとはしていない。引っかかるのは、それを寺町に言われたことだ。

 バカなんだけど……いやただのバカじゃなくて超のつくバカなんだけど……ただのバカじゃあ、ないんだよね。

 そっちの特別コース、空手部上位者を集めたローテーションの中で、寺町は喜々として御木本と組み手を行っている。けっこう、というかまったく手加減抜きに見える。御木本にとっては危機だろうが、まあ、御木本ならば何とか逃げ切るだろう。坂下も責任は取れないが。

 ……わかってないんなら普通のバカだけど、わかってやってるんなら、救いようのないバカだよねえ。

 言ったように、坂下は鉢尾に忠告することを躊躇ったりはしない。嫌われるかもしれないが関係ない、実際に手遅れになったら遅いのだ。

 が、素直に言い出せないのは、やはり寺町のことが引っかかっているのだ。

 ……多分、というか希望的観測で言って分かってないんだろうけど、私が言うと、逆効果になるってわかってるのか?

 無理矢理、という手はある。駄目と言われても坂下はそうする。坂下が一度でも練習を見た以上、坂下にも責任がある。責任を持って無理にでも彼女を止めるだろう。それでうらまれるのはかまわない、というかそれが学校は違えど年長者としての仕事だ。

 しかし、物事はそう単純ではないのだ。

 多分、私が言うと、寺町とのことを勘ぐられるんだろうねえ。

 もちろん、未来永劫寺町とは何もないが、さて、その常識的なことが、恋する乙女に通じるかどうか、恋をしていない坂下からは想像つかない。してたって想像するに止まるだろう。何せ、予測がつかないのだから。

 恨まれるのはいいが、正直寺町とそういう関係で見られるのは嫌だよねえ。

 正直、想像しただけでも嫌だった。このバカは、ある意味嫌いではないが、正直異性としては駄目だろう。意識しているから駄目とかそんな甘い要素はまったくなかった。素で駄目なものはやはり駄目なのだ。

 だからまあ、坂下が躊躇しているのはそんな個人的な内容でしかないのだ。とは言え、そう見られる方は坂下で、それを他人が良しと言う訳にはいかないだろう。

 そしてまた、そんな理由で言わない、などという甘ったれたことを言う坂下ではないのだ。すでに部員達は練習を始めており、坂下の号令も必要となくなっている。仕方ない、と坂下は小さくため息をつくと、口を開いた。

「なあ、鉢尾だっけ? ちょっといいかい?」

 声をかけただけなのに、びくりと彼女の肩が震えたので、坂下は別に悪くもないのに、彼女に対して悪い気持ちになるのだった。

 

続く

 

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