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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(56)

 

 暑い……

 しごく当たり前のことを私は考えていた。後、身体がだるい、重い、もう横になって寝たいなどとまったく非生産的なことを考えている。これは何も私が引きこもりで久しぶりに冷房の効かない外に出たとかそういう話ではない。

 冷房をかけてない夏の日中なので暑いのは当然だが、身体がだるい云々はさぼっている訳ではなく、あくまで練習の結果だ。

 いや、仕方ないと思うのだ。暑い中十五キロほどけっこうな速度で走った後に基本練習をやっぱり暑い中でこなした上に、熱い鉄板の前でヤキソバを作ったのだから、平均的な、まあ最近はそれでも少しは体力がついたいと思うが、それだって普通の域を出しっていない私にとってはかなりきつい練習だった。というか最後のヤキソバ作りは根性だけでやっていたのだから倒れるのは当然だろう。

 正直、昼寝後の練習は休めと言われてほっとしている。こんな状態で組み手はできない。

 それでも部屋で休んでいろと言われたのを推して見学という形を取っているのは、当然、先輩の練習風景を見る為だ。一人休んでいると何か仲間はずれな気分になるからというのも少しある。

 言い遅れた。私の名前は鉢尾 美祢。まあ脇役なので覚えなくていいだろうが、誰か分からないというのもアレなので自己紹介しておく。

 一言で言い表すと寺町先輩目当てで空手部に入っている、うちの空手部唯一の女子部員だ。

 ……物好きにもほどがあるとか言われそうだが、本当にそうなのだから仕方ない。後、本当は最初はマネージャーとして入ろうとしてたのに、何故か先輩に普通の選手として考えられていた結果、こんな風になっている。先輩の頭の中に、マネージャーとかなさそうだし、これは仕方のないことかもしれない。私も早々あきらめた。というか、先輩はそんな細かなことを気にすべきではないのだ。

 しかし、所詮は普通の女子の体力しかない私だから、先輩には色々と迷惑もかけているし、気も遣われているようで、それが心地よくもあり、また嫌でもある。今見学しているのだってそうだ。先輩には部屋で休んでいろと言われたけれど、私は無理をして見学だけでもしている。

 自分でも、一応理解はしている。本当に先輩の練習についていこうと思えば、合宿でなくともすでに私の身体は壊れているだろう。ああ見えても、先輩は色々と心配してくれている。だから、私の身体が壊れるときは、それは私の意地の所為であって、先輩の所為ではないだろう。

 ……正直、それで先輩が責任を感じることに、私は少し優越感を感じてしまう。悪いとは思うが、そういう部分は、私はしごく一般的な女子高生なのだ。気持ちまで消すことは不可能である。

 だからと言って、わざと身体を壊せば、それこそ先輩が責任を負わねばならなくなることも考えられるのだから、私は自重すべきなのだろう。そう思いながらも、今見学している私がいて、うまくいかないものである。

「ちょ、くんじゃねえよ!!」

「はっはっはっは、それでは組み手にならないじゃないですか!」

 ちょっと軽そうな、でも強そうな御木本という人と、先輩が組み手をしている。というか御木本という人が逃げに走っていて、それを先輩が追う形だ。でも、先輩を相手に逃げれるというのもなかなか凄いと思う。池田というけっこうがたいのある女の先輩が向こうの空手部のナンバー2だと聞いているけれど、私の目からはあの御木本という人の方が凄そうに見えるのだが、どうなのだろう?

 まあ、どうでもいい話だ。正直、ほとんど興味がない。少し疑問に思っただけだ。本命はそこではない。

 相変わらず、先輩は格好良かった……どこからともなくつっこみが入った気がするが、誰に言われても、例え坂下さんから言われても、私は声を大にして言う。寺町先輩の格好良さは随一だ。なるほど、あの来栖川さんの彼氏、なのかどうかはよく分からないが、先輩が倒した藤田さん、向こうの女子部員が騒ぐほどの格好良さだとは思う。長身で細身、少し怖そうに見えて、話すと案外に気さくで面倒見が良い。綺麗な女性と知り合いが多いというのも、端から見る分にはけっこうなステータスだ。あれで強いというのだから、まったく非の打ち所がない。

 でも、戦う寺町先輩の格好良さには足下にも及ばない。

 完全に床と同化したようなどっしりとした構えから、上に突き出した拳が、何の無駄もなく真っ直ぐ一直線に、相手に突き出される。

 格闘家の評価としては軌道が読みやすいテレホンパンチだとか言われているが、その見え見えのパンチを、ほとんどの者が防げてないのだ。あの坂下さんだって初見では下を攻撃するしかなかったほどなのだ。

 惚れているから、どんなものでも良く見えるとか、そんなものではない。何度見ても、私の奥底がしびれる。私を蓼食う虫という友達達も、試合の映像を見れば、しぶしぶ格好いいと認めるほどに、先輩の姿は格好良かった。

 最初に見た感動は、まったく衰えることがない。これを見る為なら、重い身体をひきずって練習しろと言われても私は喜んでするだろう。

 まあ、見学の方がちゃんと見れるのでいいという話もある。横に坂下さんがいるのと暑いのは多少気になるが、少なくとも暑さに対してはそれなりに気を遣われているのだし、文句を言うべきではないだろう。そもそも、無茶を言っているのは私の方なのだ。

 私が、また至福の時間に身をゆだねようとした、そのときだった。

「なあ、鉢尾だっけ? ちょっといいかい?」

 一瞬、私は自分のことを言われているのだと、気付かなかった。どちらかと反射的にそちらの方を向くと、やや真剣な目つきの坂下さんと目があった。それだけで、私の身体が恐怖とも違う感覚で凍り付く。

 この人は、本当に高校生なのか、たまに疑いたくなる。高校生にしては落ち着き過ぎているというか、奥底が見えない。確かに、格好良い人である。寺町先輩と格好良さを競うのならば、この坂下さんか、または来栖川さんぐらいしか相手にならないだろう。しかし、相手になるぐらい、この人は格好良い。

 けっこう簡単に人をぽんぽんと殴るのは、御木本という人や新しく入った健介という人を見ていて知っているが、凍り付いたのは恐怖ではない。飲み込まれる、と私は感じたのだ。なるほど、それを恐怖とも言い表せるかもしれないが、やはり少し違うとも思う。

 現在は、怪我で練習は出来ないけれど、それでもこの人を中心に空手部が回っているのは間違いない。そして、こんな状態ですら、先輩でも勝てるかどうか分からない、女性とか高校生とかそういうものを超越しているように感じるのだ。というか本当に人類なのかも怪しいとすら思う。

「……」

「……おーい、聞こえてるのかい? やっぱ部屋で休んでおく?」

「あ、はい。大丈夫です、何ですか?」

 返事ないことを理由に部屋に戻されたのではたまったものではない。私は慌てて返事をした。

「いや、ちょっと言いたいことがあってね」

 あまりいい予感がしないのは、何故だろうか? そして、多分、この予感は当たっている。

「鉢尾でいいよね? あんた、もっと楽な練習にすべきじゃないかい?」

 それは、ただ聞くのならば何ら問題にならない言葉だったけれど。

 私にとっては、大問題だった。

 

続く

 

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