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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(57)

 

 坂下さんから突然話しかけられ、私は警戒した。いや、怖がった、と言った方が正しいのだろうか?

 坂下さんは、正しい。だからこそ、正しくないことを色々とやり続けている私にとっては、相性が悪い相手なのだ。まあ、そんなことを言わずとも、この超然としている坂下さんに話しかけられて平然と出来る人は少ないと思う。

 しかし、警戒したのは、間違いではなかった。

「鉢尾でいいよね? あんた、もっと楽な練習にすべきじゃないかい?」

 気遣いが見えるような口調ではない。命令しているような言葉でもない。しかし、確かな強制力のある言葉だった。いや、言葉ではなく、坂下さん本人に強制力があると言った方がいいのだろうか。

 合同練習をしているとは言え、私と坂下さんはそう親しい訳ではない。その坂下さんから、直に話しかけられた言葉は、私にとっては大問題だった。

 坂下さんが言いたいことは、よく分かる。辛い練習に、私がついていけていないのは明らかだ。例え一緒に練習する時間が短かろうとも、その程度は見抜かれているだろうし、坂下さんならばそれぐらいは目を光らせているだろう。

 上下関係が理不尽な運動部であれば、楽にしろなどとは言われないことも分かっている。坂下さんは非常に、寺町先輩が出す練習が生やさしいと思うほど厳しいが、無意味に無茶なことを言ったりはしない。本当によく出来た人だと思う。

 そして、私はその練習についていけていない。それどころか、日頃の普通の練習ですらついていけていないのだ。私が正常な理由で部活に入っていたら、おそらくは挫折しているほどに私は皆についていけていない。

 しかし、多分うちの部員には寺町先輩以外には全員知られていると思うが、私の動機は不純でであるので、何とかここまでやってきたのだ。

 確かに、もう無理も効かなくなってきている。身体のどこかを痛めるよりも先に体力の方が尽きているので本格的に身体を痛めたというのはないが、それも時間の問題だろう。不思議なことでも何でもないが、動機が不純であれ、練習していれば体力はついていくのだ。もう少しすれば、自分の身体の耐久力よりも体力の方が上回るかもしれない。

 いや、そうならなくとも、私が倒れるたびに仲間に迷惑をかけるのだから、それだけでも弊害だろう。

 坂下さんは、多分そこは考えていない。自身、健介という人を何度もKOしているのだ。あちらの空手部では人が倒れるぐらい日常茶飯事……なのかどうかはともかく、それを迷惑とは考えていないようだ。

 だが、迷惑と考えずとも、そのうち迷惑になる。下手をすれば最悪の結果にすらなるかもしれない。私がいつ倒れて、それが取り返しのつかないことにならないとも限らないのだ。体力が尽きて倒れるのは、自分から頭を守ったりできないのでそれだけで危険だし、そもそも体力を使い切って倒れる、というのが身体にいい訳がない。そのうち、限界が来るだろう。むしろ今まで何もなかった方が奇跡なのだ。

 分相応の練習で、基礎体力をもっとあげるべきなのだ。いや、そのまま下げたレベルで練習を続けたって、練習としては十分なものだろう。

 理由をあげれば、全てが坂下さんの言葉を支持するものとなる。それは理解している。

 しかし、私は、坂下さんの言葉に容易に頷いたりはできなかった。

 正当な理由など、ない。別の部の人間が口を出すな、という言葉などまったく通用しない。合同練習を何度かして、もうあちらの部とはそれなりの付き合いになっている。もう赤の他人とは言えない。関わりの少ない方である自分ですら、そうだ。

 でも、私は何も言えない。何も言わない。頷くなんてもっての他だった。

 女々しい、と言われるかもしれないが、先輩に付き合って練習し、自分の身体を痛めつけることは、どこか陶酔するものがある。自己犠牲、ではなく、単なる得るもののない犠牲なのだが、それを先輩との絆と思う部分も、あるのだ。あまり良い精神作用とは思わない、というか寺町先輩とは、身体を痛めつけるにしてもまったく相反することで、もし口に出してしまえば、先輩から嫌われるかもしれないが、そう感じているのは事実なのだ。

 きつい練習をずっと続ける意味など、その程度しかない。ああいや、確かに最近姿勢も良くなったし冷え性も解消されたし、何よりもウエストが引き締まって来たが、それはあくまで副次的なものだ。友達にうらやましがられるのに優越感を持っているのは嘘ではないけれど。

 しかし、何よりも私が坂下さんの言葉に従えない理由は、もっとくだらないものだ。

 嫉妬、である。

 分かってはいる、分かってはいるのだ。坂下さんは、先輩を異性として見たりはしない。それに、私がいくら格好いいと言ったところで、寺町先輩が女の子にもてるとはとても思えない。そういう人ではないのだ。言っては何だが、坂下さん相手では、寺町先輩ではつり合わない。

 まあ、つり合わない、というだけならば、私だって寺町先輩につり合うような女の子ではない、こんな暗い女は、先輩にはまったく合うとは思えない。自分で考えて暗くなってしまいそうだが、本当にそうなのだから仕方ない。

 万に一つも、億に一つも、坂下さんと寺町先輩が付き合うことはないだろう。片思いすらないだろう。それでも、私は嫉妬してしまうのだ。そうすることで、余計に寺町先輩に似合わない女になると知っていても、止めることなんて出来ない。

 私の大切な時間を、邪魔するな、と言いたくなってくるのだ。

 いや、このまま話を続けられたら、私は直に言ってしまうかもしれない。勇気のあるタイプではない私が、坂下さんに口答えするなど、まさに死にに行くようなものだが、それでも、私は自分を止められないだろう。まさに、その点もどっしりと構えた寺町先輩とはつり合わない。

 だから、これ以上話しかけないで欲しい、という気持ちを出して、私は口をきゅっとつむいで、目をそらした。坂下さんは、強引なようで空気を読んでくれる人だから、私のわがままぐらいは、見逃してくれる、そう考えたのだ。

 しかし、それは多少甘かったようだ。

 いや、甘すぎるにもほどがあるだろう。坂下さんが、いかに考えるよりも甘い人でも、言うべきときに言わないような人だと、私は何故考えたのだろうか?

 私の頑なな表情を見ても、坂下さんは怒った風も、とまどった風もなく、出てくるのは、仕方ないなあ、というか何で私が、というあきれたため息だった。必死な私と比べ、それは何と軽いことだっただろう。だから、私は余計に頑なになる。

 それが、すでに坂下さんの術中にはまっているのだと、正直、私は後からも当分分からなかったのだ。

 

続く

 

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