作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(58)

 

 あー……やっぱり素直には聞いてくれないか。

 明らかに表情を硬くした鉢尾は、まさに坂下の思う通りの反応をしていた。

 今までだって何度か寺町に言われているはずで、それでも頑なに練習を続けているような子が、坂下が多少何か言ったぐらいで言うことを聞くとは思っていなかった。というか、明らかに逆効果だろう。

 さすがはバカというか、分かっているようで分かってないよねえ、寺町は。

 いや、むしろさらに分かっているのだろうか? 坂下が、その程度のことで目的を失敗したりしないということを。いや、だとしてもバカだろう。それも救いようのない。

 まあ、寺町が救いようのないバカであることは、まさに今更のことだ。坂下はそれを承知で、寺町に頼まれたことをするしかないのだ。

 まずは、軽くジャブと行く……前に。

 初鹿とサクラは先生の奥さんと一緒に夕食の準備やあれこれの雑用をしているのでここにはいない。一応見学という立場なのでここにいる健介は、空気を読んで離れた場所に立っている。練習している部員にはまず聞こえないだろうし、何より寺町と御木本がうるさいので、それで十分なごまかしが聞くだろう。

 まわりからは見えるが、話すのは密室と同じようなものだ。まあ、他人に聞かれてもそれはそれでやっかいなので、この状況は悪くない。恋する女の子と一対一で物事を言い聞かせる、というのは無理難題にも思えるが、坂下にとっては、さして辛い作業ではない。まあ、内容が内容なので面倒ではあるが、言わないといけない理由が理由なので、躊躇することはなかった。

 というわけで、まずはジャブだね。

「練習についてこれてないのは仕方ないけど、これ以上無理をすると、身体壊すよ?」

「……」

 返事は、ない。坂下が横に立っている状態で話しかけられて、無視を決め込めるなど、何という度胸だろう。部員ならば正座をして聞きそうなものだ。それほどに坂下の教育は行き届いているのだ。主に恐怖の面に関して。

 実際に、坂下の拳が鉢尾に振るわれることはないだろう。だが、分かっているからと言って坂下を無視できるようなものではない。安全と分かっていても、怖いものは怖いのだ。この怖さを消すのは、慣れしかなく、簡単に慣れられるほど坂下の恐怖は弱いものではない。

 とは言え、坂下はあくまで言い聞かせるように優しく話しかけており、まあそれの方が怖いとか部員達なら言いそうだが、恐怖するのも筋違いとも言える。無視するのはそれでもなかなか難しいが、答えられないものには答えようがないのだから、沈黙を保つしかないだろう。

 ま、これがしかっている場面なら、完全に私のチョンボだけどね。

 叱るときに、返答を求めるような言い方は間違っている。叱っている以上、何かしら叱られている方が悪いことをしたのだろうが、叱っている以上、すでに悪いことは決定しているはずだ。それを返答を聞くようなことを言っても仕方ない。嫌がらせ以上の意味はない。叱るときは悪いことをしたことをただ叱るべきで、何でしたなどという叱り方は下の下だ。返答の必要のない叱り方が正しく、返答を求めながらできない叱り方が間違っているのだ。

 ただ、こと今回に関して言えば、鉢尾は返答できないものの、坂下が間違っているとも言えない。そもそも叱っている訳ではないのだ。ただ、鉢尾の方は叱られている気分になっているだろうが。

 まあ、鉢尾のやり方が間違っていると私が思っている以上、叱っているのと同じかねえ。

 坂下だって、常に正しい道を進んでいる訳ではない。まして、まだ高校生の、人生経験も豊富でないような子供なのだ。人一人を説き伏せることがどれほど難解なものか。どんな経験を詰んだとしても、曲がる気のない相手を曲げるのは不可能に近いのだから。

「まあ、結果壊している私が言うのも何だけどね」

「……」

 これは、あくまでジャブでしかない。だから、これ以上追求する気はないことをアピールする。案の定、鉢尾は黙っているが、一瞬気を緩めたようだ。

 攻撃を止めると見せ掛けて相手の隙を突くなど、初級の手だ。

「でも、私の怪我は私の所為で通るけど、あんたが身体壊すと、あんただけの責任じゃなくなるよ?」

「っ!!」

 こわばるどころの話ではない。一瞬で鉢尾の表情は激変し、無視を決め込むことすら出来ずに、坂下の方を睨み付けた。おそらくは、一番突かれて痛い場所を、坂下は容赦なく攻めた。責めてはいない。何を当たり前のことを、と坂下は思うが、おそらくは鉢尾も自覚があることだ。責めるのはあまりにも酷だろう。だが、自覚がある以上、攻められても文句は言えまい。

「もちろん顧問の先生にも迷惑はかかるだろうけど、多分、まわりは寺町を責めるだろうね。実質的にあんたらを指導しているのは寺町なんだから」

「……寺町先輩には、責任はありません」

 というか、私を睨むとか、なかなか凄い子だねえ。

 もちろん子猫に威嚇されたからと言って虎は動じたりはしない。だが、激昂する虎もいるだろう。そこらへんの損得勘定が、今の鉢尾にはつかないらしい。まあ、そう誘導している坂下は、別に怒る気はないが。

「責任はあるさ。監督不行届、先輩として、後輩の面倒を見るのは当然のことだし、それで責任が生まれるのも当然。まあ、寺町も、驚くことに普通の高校生だから、実質的なおとがめはないだろうさ。でも、回りは責めるよ?」

 本当に寺町が悪いとか、そんなことは関係ない。他人というものは、本当の責任の所在など気にしない。責めれる相手がいれば責めるものなのだ。坂下にとっては反吐の出るような話だが、その事実を理解しないほど子供ではない。

「まして、寺町はエクストリームに出場するから、もうけっこうな有名人だ。知名度があがれば、まわりの無責任な責めは余計に強くなるよ?」

「…………」

 別に坂下がそうする訳ではないし、部員の誰にだって許すつもりはないが、そんなこととは関係なく、まるでその責任が坂下にあるように、鉢尾は坂下を睨んだ。いや、おそらくは、鉢尾自身も理解はしているのだろう。その責任がどこにあるのか。いや、責任はなくとも、原因を作るのが誰であるのかは。

 正直、その程度のことで寺町がつぶれるとは、坂下は思っていない。まわりの無責任な声、というのは思う以上に辛いものだが、寺町にとってはどこふく風だろう。社会不適応者まっしぐらの寺町だからこそ、どこか壊れているからこその強さというもので、寺町はまったく負けることがないだろう。

 が、はっきり言うと、この場合寺町のことは本当にどうでもいいので、坂下はその事実に知らないふりを決め込む。実際、寺町には効かないが問題は起こるので、鉢尾が責任を感じる必要はあるのだ。

 しかし、勘違いしてはいけない。これは、本命の攻撃ではないのだ。攻めているのは、あくまで、決定的なチャンスを作る為で、こんな方法では、ラッキーパンチすら考えていない。罪の意識で折ろうなどと、坂下の矜持に反する。

 ま、その程度の矜持よりは、この子が身体を壊さない方が重要だと思うけど。

 それは、負けるぐらいなら目つぶしをしてでも勝つとか、そういう部類の考えだが、坂下はあくまで物騒なので、躊躇はしない。

 ただ、そんな必要は、今回はない、と坂下は思っていた。自分程度の人間でも、十分、鉢尾を説き伏せることが出来る、と考えているのだ。その方法は、色々とアレだが。

「しかし、分からないんだよねえ。何で、あんたがそこまで選手でいることに拘るのか。それこそ、マネージャーでいいと思うんだけど」

 もう、鉢尾は無言でいることは出来ないだろう。攻められた以上、殻に閉じこもっていることは不可能だ。ましてその攻撃が苛烈を極めたとなれば、どこかに、攻めるか逃げるかするしかない。停滞は、許されない。

 わざわざ攻めたのは、この為だった。何故、ここまで鉢尾が選手でいることに拘るのか。それを聞き出す為に、坂下は攻め、その決定的なチャンスを、まるで格闘技をしているかのように、作り出したのだ。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む