「しかし、分からないんだよねえ。何で、あんたがそこまで選手でいることに拘るのか。それこそ、マネージャーでいいと思うんだけど」
誰だってそう思うだろう。マネージャーでも部員としては数えられるのだ。むしろ、寺町先輩のサポートに回れるだけでも、私にとっては千金の価値がある。美容の為だけに続けるには、確かに辛い練習なのだ。
誰でも考えそうなことを、さも今思い付いたように言う坂下さん。その言葉を、私は無視を決め込もうとした。
が、それはかなわない。すでに一度顔をあげてしまった。それどころか、痛くて仕方ない場所を突き刺した坂下さんを、睨みすらしていた。もう、聞く気がないという態度は取れない。
何より、坂下さんと目を合わせてしまった。それでもう、私は目をそらす勇気も使い果たしていた。いや、例え勇気があっても、坂下さんは許してくれtだろうか?
吸い込まれるよう、というのはまさにこのことだ。吸い込まれるように坂下さんと同じ舞台に上がり、坂下さんと目を合わせ、そして外すこともできない。飲み込まれるよう、と表現したことが、まさかここまで正しいとは。
のぞき込む坂下さんの目は、真剣であり、余裕があり、笑っており、多分怒ってはいないが、多少不機嫌かもしれず、それだけならば単なる普通の人間の目でしかない。しかし、目はそらせない。人としての厚みが違うのか、獣としての本能が告げるのか、私は、完全に圧倒されていた。
「ま、寺町がマネージャーとか思い付く訳ないけど、自分から言うことは出来るだろう?」
「……寺町先輩は、そんな小さなことは気にしない人です」
おおらかと言おうと、大雑把過ぎると言われようと、関係ない。私は寺町先輩のそういうところを、いい、と思っている。まわりからはとやかく言われることの多い先輩だが、しかし、だからこそ、私は先輩の全てを信じていた。
それを聞いて、坂下さんは、あろうことか、坂下さんから目をそらした。それは、私が九死に一生を得た瞬間であり。
ははっ、と坂下さんは、目を伏せて小さく笑った。酷く、私は穢された気がした。悪意がないのに、これほど私の気持ちをかき乱す笑いがあっただろうか?
「寺町が気にしてないなら、私に相談して来る訳がないだろうね?」
逃走のチャンスは、一瞬で危機へと変わる。危ない、と分かっていても、私は坂下さんを凝視してしまう。
逃げる? バカらしい、好きな人の間のことを、分かってない、と言われて黙っていられるほど、私は温厚ではなかったし、そもそも感情的になると、まわりが見えなくなるタイプなのだ。恐怖など、そのときはまったく生まれなかった。
「……先輩の、何が分かるって言うんですか」
それでも、ギリギリ残った自制心が、声を音量だけは落とさせる。別に、まわりからどう思われようと、関係ない。でも、坂下さんに感情的に突っかかるような姿を、寺町先輩だけには見せたくなかった。
先輩と知り合って、わずか数ヶ月。はっきり言って、期間で言えば坂下さんともそう変わらない。でも、この僅かな期間を、私がどれほど幸せな気持ちで過ごしたか、坂下さんには分からない。私が、どれほど不安な気持ちでいるか、一生経っても分かるはずがない。
このときの私は、完全に頭に血が上っていた状態だった。考えることは、物凄く傲慢で、後から考えれば、赤面どころではない。それこそ寺町先輩に知られれば死にたくなるぐらいの状態だった。でも、このときの私は、そんなことを思う余裕など、ない。
「坂下さんはいいです。強いですし、綺麗ですから、放っておいてももてるでしょう」
「あー、まあその点についてはぼちぼちかな」
私が必死なのに、まるでちゃかすような坂下さんの態度。余計に、私は冷静さを失っていく。残っているのは、自制心というよりはただただ先輩に変に思われたくないという気持ちだけで、それがあるから、何とかまわりから注目されるような声を出すことだけは押さえることが出来た。
実際、坂下さんは、私から見ればパーフェクトに見えたのだ。綺麗、というか格好良く、男前の性格に、何よりも、強い。
「でも、私は違います。それが、どれほど不安なのか……」
「そう、私の聞きたいのはそれ」
「……え?」
今度こそ、私はとらえられた。まさか、今までの何度にも分けた挑発が、全てそこにたどり着く為とは。
私が、自分で避けているところに、たどり着く為だったとは。
「寺町のことなんて聞いてないんだよ。あいつには、まあ色々と問題があるけどね、そこは今回関係ない。あいつのことを分かっているとか分かっていないとか、そういう問題じゃないんだよ」
「……あの、言っている意味が?」
「聞きたいのは、あいつのことがどうかじゃない。あんたが、何故辛い練習を続けるかだ。あんたが、何を感じて、続けないといけないと思っているかだ」
「……」
「もっとはっきり言おうか? 何が不安なのか、が問題なんだよ」
……そう、不安だった。不安で不安で、仕方なかった。正直、そう遠くない未来、身体が壊れるだろう。自覚症状がないだけで、どこかすでに痛めているかもしれない。事実、歩頃でも身体の節々が痛む。しかし、そうでもしないと、この不安は、消えないのだ。それどころか、いくらやっても消えないのだ。
「……坂下さんには、分かりませんよ。この不安が」
もう、坂下さんは何を言ったりもして来ない。すでに答えがもらえると思っている坂下さんは、後は私を促すだけだった。
そう、細かなところでは、寺町先輩のことを、私だって理解できていないかもしれない。単純なようでいて、寺町先輩は、人に底を見せたりはしないのだ。あれを意識してやっているのか無意識でやっているのかは分からないが、決して簡単な人ではないのだ。
しかし、それでも私は、これだけは間違いないと断言出来る。
「寺町先輩は、戦うことが大好きで」
でなければ、何の目的もないのに夜の街でケンカにあけくれたりはしないだろう。
「戦えることが大好きで」
天然で挑発している、というのすら、後天的に自分で作ったのかもしれない。
「だから、強さが第一基準で、強い人が大好きで」
それは、恋愛感情とは違う。しかし、だからと言って、目の前で坂下さんに好意を見せる寺町先輩を、冷静に見ていることなんてできなくて。
「弱い私なんて、歯牙にもかけてくれないじゃないですか」
だから、どれほどがんばっても強くならないと、才能の欠片もないと分かっていても、練習を続ける。がんばれば、もしかしたら少しは、強さを、ひいては私を認めてくれるんじゃないかと、甘いことを考えながら。
でも、その甘い考えを、私は捨てられないのだ。
寺町先輩のことが、好きだから。
続く