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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(61)

 

「ふー、やっぱ涼しい場所の方がいいね」

 女子にあてがわれた部屋に、今は坂下と鉢尾の二人だった。電気の無駄遣いをしたい訳ではないが、締め切った部屋の中にはずっと冷房が入れてある。そもそも、これだけ広いと、一度暖めてしまうと冷やすまでが大変なのだ。電気代は払うので、その程度のことはけちらずにしようというのが坂下の考えだ。環境には悪いかもしれないが、部員達にとってはありがたい話だ。

「……ほら、睨んでないでねころんどきな。あんたにまた倒れられると寺町が困るよ?」

 鉢尾は、しぶしぶという風に、自分にあてがわれた布団の上に座る。が、横にはならない。同じく目の前に座った坂下を必死に睨んだままだ。坂下も、ため息をついて、とりあえずは言うことを聞かせるのをあきらめた。

 本当は、見学などせずに、ここで鉢尾は寝ておくべきなのだ。疲労と熱中症で倒れたというのは、実のところ冗談では済まされない。すでに限界が来ているのを分かってそれでもやりたいようにやらせていた坂下も寺町も、本当なら責任を取らねばならないほどのことなのだ。どうも、そのあたりのことが鉢尾にはいまいち理解できていないようで、これでもし理解できているようならば、坂下は鉄拳を持って色々なことを理解させているところだ。例え両方が半病人であっても、坂下はやると言えばやる女だ。

「……それで、お話は何ですか?」

 無言が怖くなったという訳でもないだろうが、先に鉢尾が話を切り出す。しかし、今度は坂下がそれにとりあわず、部屋に来るときに取って来た、凍る直前まで冷やしたスポーツドリンクを手渡す。

「せめてそれを飲んでおきな」

 先ほども暑い場所にいたし、坂下の目から見て、鉢尾は十分に水分を取っていない。

「そんなことはいいですから、お話を……」

「いいから飲みな」

 坂下の声に、力が入る。それだけで、鉢尾は息をのんだ。そこらの女子高生と坂下では、そもそも迫力が違う。坂下に怒気を当てられれば、子供なら泣き出すだろうし、大の男だって後ろを向いて逃げ出すだろう。怪我をしていてもそれは変わらない、鉢尾も、まわりに気を配る必要のなくなった坂下の怒気に呑まれ、こくこくと頷くと、言われるままにスポーツドリンクの蓋を開ける。

 鉢尾は、一度口をつけると、そのまま一気に五百ミリのペットボトルを飲み干してしまった。気持ちはともかく、鉢尾の身体は水分と冷気を欲していたのだ。

 ふうっ、と一息つく鉢尾は、だいぶ落ち着いたようだった。身体が限界のところに、下手なプレッシャーがかかれば、それはおかしくもなる。坂下に言い返すのは、そもそも鉢尾の本当の姿ではないだろう。まあ、それでも坂下に多少なりとも反論できるあたり、そこそこの度胸はあるのかもしれないが。

 坂下は、取ってきたもう一本のスポーツドリンクを鉢尾に渡す。

「ほら、これを飲みながら聞きな」

「……はい」

 多少落ち着いたことと、一度水分を取って、身体が補給を思い出したのだろう、気にかかることはあるが、坂下が何かしらの話をするつもりなのも理解して、鉢尾はやや迷った後に頷いた。

「一応……まあ無駄だろうけど、一応確認をとっとくよ? 寺町についていっても、多分不幸になるだけだけど、それでもいいのかい?」

「はい」

 これには、まったくの躊躇がなかった。まあ、恋している状態では多少の障害はむしろプラスにしかならないだろうし、そもそも今の鉢尾が冷静に物事を考えられるとも思えないので、聞くだけ無駄だったかとも坂下は思ったが、まあ聞くだけならばすぐだ。

「だったら、まずははっきりしとこう。あんたの不安も色々含めてね」

「……はい」

 鉢尾は警戒を強めたようだが、坂下にとってはどうでもいい話だ。どうせ続きを聞けば、そんな余裕はなくなる。

「まず……これはむしろ想像された私が腹がたつんだけど、寺町と私が付き合うことはないから」

「……」

「まあ今のあんたに言っても納得はしないだろうけど、私は嫌だよ、寺町と付き合うなんて」

「でも……先輩は強いですよ?」

「おいおいおいおい、全部寺町と一緒にしないでおくれよ。何で男女の間に強い弱いが関係するのさ」

 そう言われて、鉢尾はうっかり忘れていたものを思い出したように、はっとした。

「まあ、寺町も付き合うのに、強い弱いを考えるのかどうか知らないけどね……正直、そんなこと気にする人間は、私は二人しか知らないよ? 少なくとも私は違う。だいたい私より強い相手って、どれぐらい選択肢少ないのよ?」

 鉢尾は、基準が寺町だ。だからこそそう思いこんでいたようだが、男女の間に強い弱いなど関係ない。だいたい、ケンカが強いなど、現代において、何の価値もないのだから。むしろそれを誇示すれば欠点ですらある。

 それに、けっこう重要なことなのだが。

「俗なこと言うけど、私どっちかと言うと面食いだし」

「先輩は格好いいです!!」

 言った鉢尾が真っ赤になっているのなら世話はない。まあ、坂下だってそんなことは言いたくない。そのセリフは、正直綾香に聞かせると警戒されてしまいそうだからだ。何せ、浩之はやる気ない表情がアレではあるが、間違いなく美形なのだ。坂下の目から見てもそうであるのだから、これは言わないべきだろう。綾香に警戒されるなど、考えただけでも嫌になる。よく葵はがんばるものだ、と坂下は常々思っていた。まあ、今回はそのことは関係ない。

「や、まあそこはどうでもよくて」

「よ、良くはないです、私にとっては重要な……」

「もっと重要な話があるんだけど?」

 そう言われて、ぴたりと鉢尾は言葉を止めた。

「もっと重要、ですか?」

「そう、重要。はっきり言っておくけど、あんたが格闘技において、寺町に興味を持たれることは、一生ないよ。どんなにがんばってもね」

 びきり、と鉢尾は固まった。それは、まさに死刑宣告だった。

 それを男女間に結びつけるかどうかは分からないが、寺町に取って強いかどうかが全てであるのは間違いない。だから、どうあっても弱いままだ、と言われれば、寺町には一生相手にされないということだ。

「健康の為にやるのはいいよ。でも、どんなに血を滲む努力をしても、あんたは、そうだね、うちのランに勝つことはないだろうね」

 浩之のあのバカげた才能には遠く及ばないものの、ランだってあれでも才能の方はなかなかだ。この世界才能の有無は絶対ではないが、才能のない人間の努力は、才能のある人間の努力に及ばない。それすらねじ伏せた坂下でも、本物の怪物には勝てなかったのだ。

 残念ながら、鉢尾には才能はない。まったくない。死ぬ気でやろうが一生を捧げようが、駄目なものは駄目だ。

 まあ、それすらも覆すことは出来る。無理を通すことは不可能だが、それすらも道理を壊して進むことは可能だ。だが、その場合、鉢尾は死ぬだろう。どう見ても身体も心も強くなるまでは耐えきれない。

 まして、今の努力はそれこそ徒労だ。その程度の努力ではまったく無意味。倒れていつ身体を壊すか分からないような努力でも、結果が伴わなければ単なる無駄でしかない。

 少なくとも、ランは鉢尾以上の努力をしているし、坂下だって今は怪我でできないが、やってきた。狂った練習に耐えきれないようでは、才能以前の問題なのだ。

「……それでも、私は……」

 まあ、そう分かっても、あきらめられるものでもないんだろうねえ。

 鉢尾の返答は分かっていた。絶望を教えたところで、見ないふりをするぐらいしか鉢尾にはできないだろう。徒労と分かっていても、無駄な努力はそれはそれでけっこう精神的には救われるところもあるのだ。少なくともやっているときは何も考えなくていいのだから。

 しかし、坂下はその無茶を止めさせるのが目的なので、鉢尾には悪いが、それをさせるつもりはなかった。

「誤解しないで欲しいね。私は、アプローチを変えろって言ってるんだよ」

「で、でも、先輩は戦うことが全てですから、それ以外なんて……」

 いや、まあよく寺町のことを理解していると言えばそうなんだけどね。

 だが、それは一年の年齢差なのか、それとも寺町に異性としての魅力をまったく感じない所為なのか、これほど目立つところが鉢尾には理解できていない。

「そもそも、寺町、バカよ?」

「……!!」

 反論しようとして、鉢尾は声もなかった。というか、まあ鉢尾だって理解しているのだろう。そう、寺町はバカだ。突き抜けて、いい意味でも悪い意味でもバカだ。むしろ、それこそが寺町の、魅力、というにはいささか躊躇があるので、特性とでも言っておこう。

「格闘技はともかく、それ以外はてんで駄目だと思うけどね」

「あ、あれで成績はそう悪くありません」

 まあ、あれで、という言葉がひっつくあたりが寺町なのだろう。鉢尾だってそれは分かっているようだった。

「そういうことはどうでもいいんだよ。ようは、寺町に必要と思われればいいんだから、簡単なものだよ」

「え、そ、それはそうなれば嬉しいですが、そんなに簡単なものだは……」

「深く考えすぎなんだよ。寺町は単純なんだから、相手する方も単純でないと」

 細々考えたとしても、寺町はそれを一蹴してしまうだろう。細かいことを気にする寺町とか、それこそありえない。

「丁度寺町の姉の初鹿さんも来てるし、頼んで寺町の家で家事とか手伝わせてもらったら?」

「で、でもいきなりそんな……」

「寺町がその程度のこと気にすると思う?」

「……」

 後輩の女の子が、何故か自分の家で家事をしてくれる、これがその程度、とはとても坂下も思わないが、寺町が気にするか、と言われると気にしないと言い切れる。常識など、寺町には通用しないが、つまり寺町に相対するときには常識を必要とはしないのだ。

「少なくとも、初鹿さんは喜んで承諾すると思うけどね。あの人、なかなかくわせ者っぽいし」

 まあ、チェーンソーの中身で寺町の姉という状況は、下手すれば寺町よりも非常識だが。

「深く考え過ぎなんだって。寺町のやつ単純だから、料理とかで餌付けすれば簡単に鉢尾なしでは生活出来なくなるね」

 坂下の考えた手はこれだった。寺町は単純であり、それは何におても代わりない。常識がいかに通じなくとも、利益になることをずっとやってもらえば感謝の気持ちはわくし、餌付けはむしろ効果は高いだろう。いつの間にか離れられなくなった、というのが一番ベストだ。

「で、でも、すぐに先輩は北条鬼一のところで住み込みの特訓に……」

 鉢尾の言葉に力がなくなってきている。有効性というものを理解しだしたのだろう。反論しているのも、条件反射と、寺町と付き合いがある癖にまだ抜けない常識の所為だろう。が、そんなものは意味のない反論だ。

「ついて行けばいいんだって」

「え?! でも、え、それは……」

「これがまた丁度良いことに、綾香って北条鬼一とけっこう親しいらしいのよ。ま、北条鬼一の方も、なかなか常識とはかけ離れてるみたいだし、家事とかやってくれるのは色々と助かるから二つ返事でOKすると思うよ」

 鉢尾も泊まり込みになるが、北条鬼一が保護者ということになれば、まず文句も出まい。こういうときにある程度社会的地位のある人間は便利だ。

「……先輩は、迷惑に思ったりしませんか?」

 それが、とどめだ。

「あの寺町が、そんな繊細な訳ないね」

 坂下は断言した。それは、鉢尾にも十分納得できる言葉だった。

「……わかりました。お願いします、一緒にお姉さんと来栖川さんに頼んでもらえますか?」

「いいよ。その程度なら、軽いもんだし」

 坂下は、一人の少女に不幸な人生を送らせることになったかもしれないのを少し悔やみ。

 面倒事を完璧に寺町に丸投げして、ざまあみやがれ、とすがすがしい気持ちで綾香と初鹿を探しに立ち上がった。

 

続く

 

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