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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(64)

 

 やれやれ、役得なのか災難だったのか分からないなあ、と思いながら、初鹿が戻った五分後ぐらいに、浩之は合宿所に戻って来た。

「くそっ、いっそ一思いに殺せ!!」

 合宿所に入るなり、いきなり物騒な叫び声が聞こえたので、浩之は一瞬驚いたが、その驚きは一秒も持続しなかった。現状がどうなっているのか、すぐに理解したのだ。

 合宿所の中には、テーブルが置かれ、そこには部員達が皆席について、それぞれノートやプリントに書き込んでいる。まあ、決して楽しそうではないのだが、平和と言えば平和な光景だった。

「健介、黙って宿題やりな」

 あきれた坂下の声に、これから拷問でもかけられる、というかすでに拷問を受けた後のように憔悴しきった健介が力なく首を横に振る。

「くそっ、何だって合宿に来て勉強なんてしなくちゃならないんだよ……せっかく追試から逃れられたと思ったのに……」

「うちの部活は文武両道だよ。さぼって赤点なんか取ったら、どうなるかわかってるんだろうね?」

「勉強するぐらいなら空手部でしごかれる方が何百倍もましだ、さあ殺せ!!」

「いいからさっさと宿題しな。どうせ放っておいたら、あんた宿題やらないつもりだったんだろ?」

「いいじゃねえか、しなくても。何でせっかくの休みに勉強しなくちゃならねえんだよ。嫌なら夏休みなんて作らなきゃいいじゃねえか!」

 部員に取り囲まれるような位置に座らされているのは健介だ。この男、決して頭が悪い訳でもないのだろうが、所詮勉強などそれに時間をかけているかどうかで決まり、はっきり言ってまったく勉強に時間をかけていない健介は、それが大の苦手らしい。色々と株をあげるようなこともあったのだが、この姿ではその株も急降下だろう。

 ゴッ

「おごっ!? てめえ、俺は怪我人だぞ!!」

 一応怪我人である健介を容赦なく辞書の角というなかなか人の殺せるもので殴ったのは、健介の彼女の田辺だった。

「いいから勉強しなよ、このバカ!!」

「勉強できないのは事実だが、バカってのはそこの格闘バカにでも言え!!」

「はっはっはっは」

 指さされてバカ呼ばわりされた寺町は、まったく気分を害した様子もなく笑っている。まあ格闘技以外のことはかなりどうでもいいと思っているふしもあるので、多少バカ呼ばわりされたぐらいでは揺るぎもしないのだろう。

「ちなみに、部長は期末試験の結果は学年二十番内に入ります」

「まじか?!」

 中谷の苦笑つきの解説に、健介だけではなくこちらの部員は全員驚いている。坂下一人あきれているようだ。向こうの女子部員が何故か自分のことのように鼻高々な顔をしているが、寺町本人はまるで他人の言葉を聞くように笑っているだけだった。

「あのバカにも負けるのか……もう俺、生きてく気力なくしたわ……」

「そんなことはいいからさっさと宿題の続きをしな。うちの伝統で、合宿中に宿題の半分は終わらせることになってるからね」

 嘘である。そもそも、一度に全部やるのが不可能とは言わないが、日時が多い分、夏休みの宿題はけっこうな量になる。練習の合間に出来るものではない。いや、坂下は去年実際に半分ぐらい終わらせている訳だが。

「おまけに、あんたは怪我で練習できないから、明日はこもって宿題かね。良かったね、涼しい部屋の中にいれて」

「あ、何か俺炎天下の中走りたくなった。ランニングぐらいいいだろ?」

「残念だねえ、うちは怪我をしている人間に無茶するような厳しい部じゃないんだよ」

「無理、このまま勉強続けたら俺死ぬ」

「じゃあ死ね。もちろん、逃げようとしても無駄だからね。御木本、逃げようとしたら徹底的に邪魔していいよ」

「すまんなあ、好恵の命令には俺も逆らえないからなあ」

 ニヤニヤと笑いながら御木本は自身も宿題をしていた。ただ、怪我ありの健介が疲労のみの御木本を出し抜ける訳はないし、そもそも逃走のプロとも言える御木本相手では、相性が悪すぎる。

「くそっ、死ね、頭破裂して死ね」

 呪詛をぶつぶつ言いながらも、健介は強制的に宿題をやらされる。呪詛の言葉があまりにも子供じみているのは、まあ許してやるべきだろう。

「……何か楽しそうだなあ」

「あ、浩之。おかえり〜」

 はしっこの方に座った綾香も、本を開いていた。丈の短いスカート姿なので、今にも見えそうだが見えないぎりぎりのラインを保っている。その横では葵がプリントとにらめっこをしている。こちらは寝間着用のジャージ姿なので、あまり色気はない。まあ、かわいいとは思うのだが。

「何だ、綾香も夏休みの宿題か?」

「寺女にはそんなものないわよ」

「……え、夏休みの宿題ないのか?」

「まーね、お嬢様は宿題なんて出さなくてもちゃんと勉強するらしいわよ。ま、私も別にさぼるつもりはないけど」

 ちょっとしたカルチャーショックである。

「……ということは、夏休みの最後にみんなで集まって宿題を終わらせる、なんてイベントは今までなかったって訳か」

「ないわよ、そんなこと。でも、何かちょっと楽しそうね」

「そんないいものでもないけどな」

 まあ、宿題をすでに終わらせた二人と、まったくやっていない二人の組み合わせになるのは毎回恒例の行事みたいなものだ。ただ、今年に関して言えば、浩之はそれには参加しないつもりだった。というか、夏休みが終わっても、エクストリームが終わるまでは学校には出ない予定なのだ。

「やれやれ、やっと健介も観念したみたいだね」

 聞き分けのない後輩の指導を終えた坂下が、浩之達の席まで来る。

「お疲れさま。というか、さすがに健介は勉強は苦手か」

「ついでにランもね。健介ほどは酷くないけど、さすがに学校さぼってて点数がいいのもおかしいし、仕方のない話だね」

 というか、何故寺町の成績がいいのか、そちらの方が不思議で仕方ない。話を聞く限り、真面目に中学に行っていたとはとても思えないのだが。

「で、そういう藤田は、宿題はどうした?」

「は? 合宿に持ってくるもんじゃないと思うんだが」

「……一応、合宿の冊子には書いておいたはずだけど? 実際、葵も持ってきてるだろ」

「あー、見逃してたみたいだなあ」

 見ていないのは本当である。まあ、見ていたとしても持って来たとは思えないが。

「……まさか藤田、あんた、夏休みの宿題やらないつもりじゃないだろうね?」

「あ……」

 坂下の言う通りだった。浩之は、今年に限って言えば宿題をやるつもりなど毛頭なかった。正確にはそんなことをやっている暇などないのだが、結果は同じだ。そもそも、する気がまったくないのだから坂下の読みは完全に的中していた。

「いや、エクストリームあるからさ、それどころじゃないだろ?」

 別に隠すつもりはない。実際、そんな暇はまずないだろう。この合宿の時間を当てる? それこそない話だ。

 だが、浩之は判断を誤った。それを、坂下に馬鹿正直に言うべきではなかった。

「……許さん」

「は?」

 坂下の目が据わったのを見て、浩之は危険を察知したが、すでに遅かった。

「先輩がそんなんだと後輩に示しがつかないだろ。プリントはどうしようもないとしても、教科書の和訳なんかはできるだろ?」

「あ、いや、俺、空手部じゃない……」

「部活とかは関係ない。目上としてちゃんとするのは、それこそ最低限の義務だよ」

 坂下は有無を言わせなかった。言っていることはまあ正しいのだが、何よりもそれを坂下が言うあたりに説得力と、それを上回る迫力がある。

「やってないプリントがあれば、それをコンビニでコピーすればいいんじゃない?」

 さらに綾香も追い打ちをかける。

 浩之だって、できることなら宿題などやりたくない。健介ほど騒いだりはしないが、やらなくていいのならばやる気などまったくなかった。しかし、この坂下の目の前にして、やらない、とはとても言えない。度胸とかそういうものではない。そもそも、この坂下に逆らう無謀さに比べたら、宿題をする方が万倍楽だ。とは言え、一応最後の抵抗をしてみる。

「ノートが……」

「私が予備を何冊か用意してる、問題ない」

 流石は坂下、まるで予想したような準備の良さだった。

「……はい、やらせていただきます」

「やるのが当たり前だろ。藤田には、ちょっと特等席が必要そうだね」

 坂下はむんずと浩之の首根っこを掴むと、そのまま健介の隣まで浩之を引きずっていった。浩之が困っているのを楽しそうに見る綾香と、すぐ近くに座っていたランが少し嬉しそうな以外、誰もうれしくないが、実に筋の通った気持ちのいい坂下の行動だった。

 浩之は、だから初鹿が自分よりも後に帰って来たことに気付けなかった。まあ、それはまったくもって致命傷なことではなかったのだが。

 

続く

 

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