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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(67)

 

 湯気の立つ真っ白なご飯の乗った茶碗を左手に持ち、右手にある箸でほじほじと真ん中に穴を掘る。右手でたまごを持つと、慣れた手つきで片手で卵を割り、その穴に生卵を落とし込む。やおら醤油差しから醤油を上にたらし、またぐりぐりと混ぜ合わせ、おもむろにそれを口に運ぶ。

 由緒正しいたまごご飯だ。どうでもいいことだがたまごご飯は日本にしかないそうだ。欧米ではむしろゲテ物として扱われるらしい。まあ、タコのことをデビルフィッシュと言う文化であるので、別段不思議でもない。そして関係もない。さらに関係ないことを言えば欧米でもタコを食べる地域はある。

 今朝三杯目のご飯で、二杯目のたまごご飯だった。一杯目はベーコンエッグで消えている。

「……いや、知ってたけど、綾香、食い過ぎじゃないのか?」

 浩之は、綾香の食べっぷりに呆れるばかりだった。呆れられてもそれをまったく意に介した様子もなく、ちゃっかり浩之の横を陣取ってたまごご飯をかきこむ、消化にいいかどうかはともかくそれでも絵になるのだから美人は得である、綾香は実に美味しそうに三杯目のご飯を半分ほど消費していた。

「うーん、昨日も思ったけど、この釜炊きのご飯って美味しいわよね」

「あー、いや、うまいとは思うけどな」

 綾香ほど異常ではないものの、浩之の食欲もそれなりに回復していた。朝はあまり食欲の沸かないタイプではあるが、起きた後に一時間ばかり肉体的には楽でも精神的にはちょっと拷問っぽい柔軟をしたのが良かったのだろう、そこそこに食欲もある。身体の痛みも、だいぶ和らいでいる。

 まあ問題は、多分これは身体が回復しきった訳ではなく、回復を止めたからこそ痛みを感じなくなったのだろうが。筋肉痛の痛みというのは、筋肉が修復している間に起こるものなのだ。そこが身体を痛めたときの痛みと筋肉痛の違う場所だ。

 無理は禁物なのだが、厳しい練習をするにしろ厳しい遊びをするにしろ、食べておかねばならないのは同じだ。食欲がある程度戻ったのをこれ幸いと、浩之は朝から二杯のご飯を食べた。

 ちなみに今朝のメニューはご飯におみそ汁、ベーコンエッグにサラダだ。和風なのか洋風なのか判断つきかねるが、釜炊きのご飯は美味しかったし、食欲さえ沸けば十分に美味しく感じられる献立と料理人の腕だった。いや、そんな大仰なものではない、これをまずく作る、というのはなかなか大変だろう。

 お茶碗に二杯とおかず、浩之のお腹はこれで一杯だった。正確には今入る量としてはこれが限界、と言っていいだろう。これ以上食べようと思うと、昨晩のように無理が必要になってくる。栄養的には十分と思えば、無茶をしてまで食べる必要はない。

 だが、綾香はそんなものでは済まなかった。一杯目でおかずとおみそ汁を完食すると、まだ足りないとか言って台所からたまごをもらってきて二杯目(おみそ汁付き)を食べ始めたのだ。

 ここまでならば見て見ぬふりを決め込んでいた浩之も、そこからさらに三杯目に綾香が取りかかったときには、つっこまざるを得なかった。

「ていうか、綾香。食べ過ぎじゃないか?」

「仕方ないじゃない、昨日は慣れない砂浜の練習で疲れたんだから。遊ぶのだって、海の中はけっこう疲れるし。やっぱりプールで練習してても波があると違うわよねえ」

 今度波を起こす機械でも導入しようかな、と何か不穏なことを綾香はつぶやいている。そもそも、家にプールがあるのか? いや、綾香であればまったく驚くべきことではないのだが。相変わらずつっこみ場所が多すぎる。

 まあ、もう一つだけつっこみを入れるとすれば、あれだけハードな練習をして、次の日もけろりとしているどころか、体力回復のためとか言いながら三杯飯を食べれるそのタフネスさだろう。今更女の子なのにとかつっこむ気にもなれない。

「あ、綾香さん、片手でたまご割れるんですね。不器用な私には出来ないですよ」

 と言ってこちらも二杯で済ました、いやそれもけっこう凄いのだが、葵は言うほど無茶苦茶な不器用と言う訳ではないのだが、少なくとも目をつける場所が人とは違っていた。むしろ気にしなくてはいけないのは別のことだと思わなかったらしい。

 その葵のどこに焦点が合っているのか分からない言葉に対する綾香の返答も。

「片手で割れないと格好良くたまごご飯食べれないじゃない」

 ともうどこを目指しているのか分からない言葉だった。確かに流れるようにたまごご飯を作って?いたが、それは違うだろう。TKGとかそんなちゃちなレベルではない、もっと何か別のものだ。

「綾香さん、さすがです!」

「……いや、二人が楽しいんならそれでいいんだけどな」

 そしてさらに驚くべきことは、ここまでどこかというかだいたいにおいてぶっとんでいる二人が、かわいさの部分以外ではここではそう目立っていないことだ。

 四杯目をかきこんでいる、ちなみにこちらはまったく不作法にたまごご飯を作ってもらって食べている寺町を筆頭に、甲斐甲斐しくというかそれはやりすぎではないのかと思われる寺町にたまごご飯を作って?あげて寺町が食べるのをにこにことしている向こうの女子部員や、朝から元気に後輩を統率している坂下、眠いのか滅茶苦茶不機嫌そうなサクラ、他の部員も大なり小なりかなりさわがしい。高校生が集まればこんなもの、とかでひとくくりにしてはいけないような気もする。

 さわやかな朝って何だろな、と浩之は自問した。少なくともここのことではないのは確かだ。

「少なくとも、浩之は朝ご飯前でも楽しそうだったけど?」

 食事を続けていたはずの綾香が、いつの間にか浩之に顔をよせて、ぼそっとつぶやいた。

 何のことだ、と聞き返しそうになって、残念なことに、浩之はすぐに気付いてしまった。ストレッチ中の、嬉しいんだか苦しいんだか分からないランとのスキンシップのことを。

 というか、あの話は一話完結の大したことのない話で終わるんじゃないのか、と浩之は混乱してかなりメタなことを考えていた。視線は、横には向けられない。だって怖いし。

「まあ、少しぐらいのことで目くじら立てる私じゃないんだけどさあ」

 嘘だ、声が明らかに殺る気だ。四杯目が浩之の活け作りだって驚かない。いやそのときは驚くことすら出来ないだろうが。

 助けを求めるように、事が事だけにそれはそれで間違っていると思うのだが、葵の方に目を向けると、葵は無邪気な顔にハテナマークを浮かべていた。まあ女の子とのストレッチでちょっと浩之が嬉しかったとか葵に知られなかったことはそれはそれで幸運なのだろうが、今の助けにはなれそうになかった。

「浩之、朝から元気そうだから、今日はもうちょっと練習きつくしてみる?」

 いや、無理だから、と浩之は素直に思ったが、言葉が出ない。かわりに、葵がそれに返事する。

「はい、がんばります!」

 葵のやる気満々の声が、浩之にはかなり痛かった。というか、今日を無事に通過できるかどうか、浩之は酷く不安になるのだった。

 

続く

 

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