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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(68)

 

 ミ〜ンミンミンミン

 まだ夏休みは始まったばかり、夏休みだって1ヶ月あるのに、こんな朝っぱらからセミは絶賛鳴きまくりだった。どんなに人間がうるさいと言ったところで止まるものでもない。まあ、これはこれで夏の風物詩であるので、正しい風景なのだろう。まあ、実際のところ、朝の方がうるさいぐらいなのだ。いくらセミは暑い方がいいとは言っても、炎天下の真っ昼間はさすがに暑いと思うのだろう。

 子孫を残すためにがんばっているセミに向かってそんなことを考えている人間様は、パラソルと木陰でいい感じに出来た日陰の下で、横には冷たい飲み物を置いて、非常に心地よい夏の朝を演出していた。

「あ〜〜〜、平和だ」

 健介がぼーとしながらそう思うのも、あながち間違いではない。これだけならば、非常に平和な夏休みの朝だろう。

「ほらほら〜、バカな顔してないで続きしなさいよ〜」

 現実逃避していた健介を現実に無理矢理引き戻したのは、甘ったるい口調をした、アンバランスなほどに胸の大きな女性だった。男ならば、十人が十人目が行ってしまいそうな大きな胸だが、健介はそれに目を奪われてしまうには、いささか矜持が在りすぎた。ついでに言えば、いくら本能が優先されるとは言え、その胸の持ち主のことが好きになれないのならば当然かもしれない。

 目の前にいるのは頼みもしないのにいつも健介の世話を焼いてくる田辺……ではなく、何故かサクラだった。頼んでもいないのはどちらも同じだが、健介の感じるものが天と地ほその差があった。それは田辺がどうということではなく、サクラに問題があるからだ。

 健介も何度かマスカレイドでは世話になったことがある。サクラは、マスカレイドのあのいかれた治療班の主任とも言える立場なのだ。いかれている、と言っているのは、サクラ以外の治療班は皆ムキムキのマッチョでスキンヘッドだからだ。どこからあんな人間を赤目が調達して来たのか、未だに健介には謎だし、その意図など、考えるのもバカらしい。

 マスカレイドでは小さな傷なら数えられないほどしている。そのたびに世話になるのだから、向こうが覚えているかどうかはともかく、健介の方は覚えていた。

 いや、サクラも覚えているだろうとは思っていた。マスカレイドには何人も選手がいるとは言え、そしてとくに下位は頻繁に変わるとは言え、それでも十五位にまで上がって来た健介、ビレンは十分目立っていた。

 そして何より、このサクラ、生意気な少年をからかって遊ぶのが何より好きらしいのだ。当然、それに完璧に合致する健介は、何度も標的にされているのだ。それでも健介はまだましな方だ。この世で一番健介が苦手とする姉に雰囲気が似ているので、少なくとも色仕掛けはまったく健介には通用しなかったから。だが、それでも嫌だと思ったことは数え切れない。つまりは、このサクラ、どうしようもないサドなのだ。

 見た目に騙される青少年、あそこに来るような少年は、そんなさわやかなものとは縁遠いが、未熟という意味では大差ないだろう、は後を絶たない。散々からかわれたあげくに捨てられるので、心に一生残りそうな傷になるような気もするが、正直健介は他人のことなど知ったことではないので関係ない。

 問題は、自分の前にいられるとむかつくということだ。

「てめえには何も頼んでねえよ、どっか行ってろ。てめえの大好きな少年がいくらでもいるだろうが」

「別に私はショタじゃないわよ〜」

 生意気、かどうかは置いておいて、部活には健介と同年代の少年が何人もいる。まあ、実際にいじめるために手を出そうとすればさすがに坂下が黙っては、いや、坂下のことだからそれも社会勉強と言って容認するかもしれない。

 とにもかくにも、彼女付きの、ついでに言えば彼女なしでもまったくサクラになびかなかった、というか確実に毛嫌いしている健介の近くにいる意味が分からない。

 というかショタって何だ? と健介は思いながら、しっしと手でサクラを追い払おうとする。が、サクラの方はどこふく風だ。

「う〜ん、年齢はともかく、みんな素直なのよねえ〜。いじめがいがないわ〜」

「だったら御木本でもかまってろ」

 生意気という意味では健介にもまさろうかというヤツだ。サクラの趣味には少し見た目が大人びているかもしれないが、生意気というのならばぴったりである。

「あの子も駄目ね〜、一途だし、誤解させようにも好きな相手があれじゃあね〜」

 まあ、一途かどうかは置いておいて、いじめがいがない、という意味では同感である。何せ、御木本の好きな相手は坂下で、坂下以外のことで御木本が動じるとはあまり思えないのだ。まして、その坂下は、御木本よりも動じることがないだろう。

「何でもいいからさっさとどっか行けよ」

「だから駄目だって〜、というか、さっさと宿題の続きやりなさいよ。分からないなら教えてあげるって言ってるでしょ」

「ぐっ?!」

 じと目のサクラの鋭くなった言葉に、健介は詰まった。まさに正論だったからだ。サクラは何も本当に健介をからかうためだけにここにいるのではない。

 部員は練習のできる人間は全員ランニング中。朝とは言えこの暑い中正気の沙汰とは思えないが、顧問の先生が車で先回りしており、先々で水分補給の休憩は入れられるらしい。まあ、それでもなくとも多少辛いぐらいは練習なので仕方のない話だ。真夏なのだから、暑いのもむしろ当然。無理して日射病や熱中症になるのはまずいが、まったく無理をしないのでは練習にもならない。

 健介には、正直炎天下の中でランニングの方が良かった。そっちの方が全然辛くない。

 昨日の晩に夏休みの宿題がろくに進まなかった健介は、一人補習を行わされていたのだ。講師プラスお目付役を受け持ったサクラは、健介が苦しむのを喜々として真面目に監視していた。苦しむのが楽しいのか責任持って頼みを聞いているのか、どっちが重要なのかは、言うまでもない。

「くそっ、まさか合宿がこんなに辛くなるとは……」

 練習の出来ない健介にとっては、合宿はまったく辛いものにはならない予定だった。いや、練習が出来ないのも、健介にとってはストレスの原因なので、完全に、とは言いかねるが、少なくとも、ここまで辛いとは思っていなかったのだ。何せ、勉強しなくていい、というのは、どこでも健介にとっては天国のようなものなのだ。久しぶりに真面目に試験を受けて、それを切実に思った。

「しかもこんなやつに偉そうに……」

「あ、言っておくけど、これでもけっこう勉強できるからね〜。というか、見せ物でも偽物でも医療に携わる人間が勉強が本当に出来ない訳ないじゃない。ほらほら分からないなら言う言う。ちゃんと教えてあげるからね」

「く、くそう……」

 完全敗北の健介は、さすがにうらめしそうな目を、サクラに健介の勉強を教えるように頼んだ張本人、少し離れた場所で、野菜を切る坂下に向けるのだった。まあ、それで現状が良くなる訳でもないわけだが。

 

続く

 

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