作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(71)

 

 砂の上を、浩之と綾香はお互いを円で描くように動いていた。お互いがお互いの右横にまわろうとする動きをするので、まるで向き合っているような格好になっている。どちらも同じ意図で動いているとは言え、横に回り込むスピードの差で、浩之がやや横を取られやすくなっていた。

 このままではジリ貧なのは何度もやった結果、浩之には身にしみてわかっている。綾香の横を取るのをあきらめ、その場で身体の向きだけを変える。砂の上だ、いくら綾香の動きが速くとも、ただそちらを向くだけならば浩之の方が早い。

 が、浩之が綾香の方を振り向くと同時に、綾香は今度は反対に回り込もうとしていた。いくら早さでは勝てたとしても、今度は反対に回り込まれるのでは意味がない、浩之は、慌てて振り向くのを止める。

 と、その瞬間には、浩之は綾香に右横を取られていた。

 何が起こったのか理解できないが、それでも何とか綾香の方を向こうとした浩之の動きは、すでに遅すぎた。綾香は軽々と浩之の背中に手を伸ばして、背中にひっつけてあった布をはぎ取る。

「ほいっと、いっちょあがり」

 ひらひらと布を揺らす綾香を見て、浩之はたまらず、その場に尻餅をついた。

「タ、タイム、もう駄目だ!!」

 からこれ二十回ばかり、ずっと浩之は綾香と葵を交互に相手していたのだ。息が続く方がどうかしている。今までもったのも、よくやった部類に入るだろう。というか実際よくやっている。休憩のほとんどない無酸素運動をずっとやっているのだ。

「セ、センパイ、大丈夫ですか?!」

 葵が飲み物を持って座り込んだ浩之に駆け寄ってくる。ありがたいことに、大きめの日傘もさしてくれていた。

「あー、いや、ごめんな葵ちゃん。練習の足ひっぱって」

「そんなことありません。綾香さん、やっぱり勝ち抜けというのはセンパイだけに不利すぎたんじゃないですか?」

「いいのよ、最初からこうなるってわかってたから」

 おいおい、最初からそのつもりだったのかよ、と浩之は心の中で突っ込んだ。言葉にしなかったのは、綾香が怖かったからではなく、息が続かなかったのと葵にもらったスポーツドリンクをがぶ飲みしていたからだ。水分補給はゆっくり? そんな悠長なことを言っていたら脱水症状を起こしかねない。

 綾香と浩之のやっていたのは、簡単なゲームみたいなものだ。

 ルールは簡単、テーピングテープで布を背中につけ、お互いに相手の布を取り合うという、確かに格闘技の練習ぽいと言えばそうだが、どちらかと言えば遊びの要素が多そうなものだ。

 ただし、いくらか追加ルールがある。半径が3メートルほどの円の中しか動いては駄目なこと、相手の背中以外にはふれてはいけないこと、1秒以上同じ場所に止まっては駄目なこと、円の端で外に向かって背を向けては駄目なこと、そして後ろに逃げては駄目、ただし身体を傾けて横ならば良い、なことだ。

 そこに砂浜という自由に動くことのできない状況が合わさると、正直浩之は自分が何をしていいのか分からなかった。

 まず、動きを止めては駄目なので、守りに入ることができない、というかそもそも相手の背中以外にふれては駄目なのだから、手でガードするのも駄目なのだ。腕を広げて相手の進行を遮るのも反則とされるのだから、後は体捌きしかない。

 しかし、単純な体捌きでも二人に劣るというのに、下は砂浜で、瞬発力の多くが殺される。そもそも天性的に瞬発力に恵まれる浩之にとって、その利点を殺されるのは痛手だ。単純な瞬発性だけならば、浩之は葵に勝るのだが、砂の上では完全に逆転していた。綾香相手では言わずもがなだ。どうして綾香が砂の上でも敏捷性が衰えないのか、謎で仕方ない。何か特殊な器官とか持っているんじゃないだろうな、と浩之は本気で考えたほどだ。

 というか、このルールで一番きついのは、勝ち抜け。これがある時点で浩之は終わっている。動きを止める訳にはいかないが、下手な動きではあっさり相手に横を取られる。結果、ずっと無酸素運動を続けねばならないという拷問のような状況に陥っていたのだ。

「というか綾香、お前最後であれは反則だろ?」

「ん? 気付いたんだ。まあそこは流石って褒めてあげるけど、ルールで禁止されていない以上、反則ってことはないでしょ。私の使える技なんだから」

 最後に浩之は綾香に右横を取られたが、あの瞬間瞬間にも、浩之は綾香の挙動を冷静に観察し、判断はしていたのだ。だから浩之は向きを変えようとしたときに、綾香が反対に動き出した、と判断したのだが、それこそ綾香の思うつぼだった。

 綾香は反対に動いたように見せ掛けただけだったのだ。浩之の眼力ですら見抜けなかったのは、浩之がヘボかったという訳ではなく、綾香がうますぎただけなのだ。あのとき、綾香は重心のフェイントをかけたのだ。

 坂下に見せた、偽りの重心の位置を相手に見せる高等技術。人間ほどバランスの悪い生物にとって、重心の動きは全ての動きに通ずると言って良く、高いレベルになれば相手の重心の位置で相手の次の大まかな動きが読めるようになるのだ。

 しかし、綾香はそれを偽ってみせることができる。例えばバスケのフェイントがあるが、あれは上半身の動きか、素早いフットワークで相手を翻弄するのだが、綾香のフェイントはそんなものの比ではない。相手に偽りを見せ、自分は正しい次の動きに入っているのだから、そのアドバンテージは計り知れない。

 坂下相手に、追いつめられるところまで行ってやっと出した技を、こんな練習で使われたのではたまったものではない。しかし、浩之はけっこう自分のことには無頓着なので理解していないが、重心を少しは浩之が見えるからこそ、綾香の重心のフェイントは効果を発揮したのだ。浩之がそれぐらいは成長しているからこそ、綾香はそれを使ったとも取れる。

「だいたい、練習しとかないといざというときに使えないでしょ」

「いや、その理屈は分かるが、すでにへたばった俺に使う意味はないだろ。綾香なら、素で俺に勝てるだろうに」

 息切れを起こした浩之は、それでも何とかスピードが激減するということはなかったが、動きに切れがなかったのは事実だ。まあ、それでも綾香にとって、このルールで浩之を軽くあしらう、というのもなかなかできないことなのだが。実際、このルールは浩之の勝ち目を消しているが、綾香の飛び抜けた有利さは消える。綾香だって、限られたルールの中で浩之を完全に手玉に取る、というのは難しいのだ。

 だからこそ、これは練習になるのだ。

「動きが鈍るのは問題ないのよ。むしろ、そっちの方がいいの、これは速く動く為の練習じゃないんだから」

「へ? 砂の上でも素早く動く練習じゃないのか?」

 てっきり、その練習だと思っていたのだ。少なくとも、綾香と葵に比べ、浩之のスピードの落ちが多いのは間違いなかったので、その改善を目指しているとばかり思っていたのだ。

「あのねえ、そりゃ瞬発力を鍛える練習にはなるかもしれないけど、エクストリームは砂の上で戦う訳じゃないんだから、床の上で練習してもいいでしょ。もともと、砂の上ってのは体重の重い浩之に不利な条件なんだから」

「まあ、でもその分リーチは俺の方が有利だと思うんだが」

「少なくとも、このルールじゃ意味ないわよ。横にまわらないと、背中以外に触れないとか無理だから」

 というか、相手の横に回り込めれば、別に布取る必要はないし、と綾香は付け加える。確かに、これは布を取るというルールはあるものの、そこは重要ではないのだ。

「これは速く動く為の練習じゃないのよ。いかに、相手に動きを察知されないか、相手の動きを読むか、相手の動きを操るかの練習なんだから。私はともかく、二人には一番やっておかないといけない練習でしょ?」

 それは、綾香の言う通り、経験不足の浩之や葵にとっては重要な内容の練習だった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む